『チェンジリング』
Changeling
クリント・イーストウッド監督が実際の誘拐事件を基に、アンジェリーナ・ジョリー主演で映画化したサスペンス。
公開:2008年 時間:142分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: クリント・イーストウッド 脚本 J・マイケル・ストラジンスキー キャスト クリスティン・コリンズ: アンジェリーナ・ジョリー ウォルター・コリンズ: ガトリン・グリフィス グスタヴ・ブリーグレブ牧師: ジョン・マルコヴィッチ J.J.ジョーンズ警部: ジェフリー・ドノヴァン ジェームズ・デーヴィス市警本部長: コルム・フィオール ゴードン・ノースコット: ジェイソン・バトラー・ハーナー レスター・ヤバラ刑事: マイケル・ケリー キャロル・デクスター:エイミー・ライアン サミー・ハーン弁護士: ジェフ・ピアソン スティール医師: デニス・オヘア クライアー市長: リード・バーニー アール・ター医師: ピーター・ゲレッティ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
1928年のロサンゼルス。シングルマザー、クリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)の息子ウォルター(ガトリン・グリフィス)が突然失踪した。
5か月後、警察がウォルターを発見するも、その少年はまったくの別人だった。そのことを信じてもらえないクリスティンは、思わぬ運命をたどっていく。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
信じがたいがTrue Story
公開時以来、10数年ぶりに観直したのだが、いい感じにストーリーを忘れていたのでぐいぐい引き込まれた。
『ハドソン川の奇跡』、『15時17分、パリ行き』、『リチャード・ジュエル』など、近年は実際に起きた事件・事故を題材にした作品が多いクリント・イーストウッド監督だが、本作も実話ベースだとはすっかり忘れていた。
自分が主演しない作品、それも実話ベースものとくればテンポよく淡々と物語を進めていくことが多い、イーストウッドお得意のスタイルが本作でも効果をあげる。
◇
1928年のロスアンゼルス。住宅街の戸建てに暮らす母クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)と幼い息子ウォルター(ガトリン・グリフィス)。
柱に立たせ傷を付け、「また背が伸びたみたいね」と仲の良さそうな母子。父親は息子が生まれる前に、「責任」という荷物を受け取り拒否して出ていった。
母は電話局の交換係で主任として働いている。ロスアンゼルスの街並みにはクラシックな自動車や路面電車が行き交う。そして職場では、壁一面の交換機を前に多数の女性オペレーター、そしてローラースケートでフロアを移動し、それを差配するクリスティン。
どのくらい、当時のLAをリアルに再現できているのかは分からないが、雰囲気は十分に伝わる。
24時間経たなければ動かない
ある日、たまたま非番の日に職場から呼び出され、シフトに入らなければならなくなった彼女は、ウォルターを一人残して家を出る。
歳の割にしっかりした息子にみえるが、頼りない網戸ドアで鍵もかけずに一戸建てに子供を置き去りにするのは、傍から見ていても不安。この時代、この町では、当たり前の光景なのか。
こうして、事件は静かに発生する。クリスティンが仕事を終えて家に戻っても、ウォルターの姿は見えず、どっぷりと日が暮れていく。
◇
「子供の失踪は、24時間経過しなければ捜索しない方針です。外で遊びたい年頃なんでしょう。大丈夫ですよ。99%戻ってきますから」
すがりつくように電話した警察の回答は、何とも使えないものだった。
この当時、ロス市警の腐敗ぶりはひどく、恥さらしだと市民がプラカードを持って取り囲むほどお粗末な組織だったらしい。この電話で芽生えた警察への不信感は、本作品を通じて、更にエスカレートしていくことになる。
結局、ロス市警は24時間後の翌日から聴き込みを始めるが、時すでに遅し。何の手がかりもなく、少年は戻ってこない。
この子は、ウォルターじゃないわ
そして5カ月が経過する。この間の彼女の心痛の日々を撮らずスキップするイーストウッド監督の判断を意外に思ったが、その先にこそ、この映画の本題といえる奇妙な出来事があった。
イリノイで無事保護されたとの連絡が入り、歓喜して駅に迎えにいく母。面目躍如のロス市警は、母子再会のショットを新聞各紙に撮らせる。だが、クリスティンはいう。
「この子は、ウォルターじゃないわ」
そこから、彼女の戦いの日々が始まる。戦う女にアンジェリーナ・ジョリーは、よく似合う。
クリント・イーストウッド監督の『パーフェクトワールド』をはじめ、児童誘拐を扱う映画は珍しくないが、無事に戻った子供が我が子ではない、という展開は新鮮だ。これがミステリーなら「そんなのありえねえって」と突っ込むところだが、実話に忠実に作られたと聞き、驚かされる。
コーエン兄弟の『ファーゴ』は実話ベースだといいながら、<実は実話ではないんだよ>というオヤジギャグで終わったわけだが、本作は実際に起きたゴードン・ノースコット事件を基に作られ、映画での役名も全て実名のままである。
悲惨な事件であるが、この奇想天外な物語がフィクションではないというのが、私には一番背筋が凍る部分だ。
取り替え子
『チェンジリング』といえば、シニア世代には本作よりもジョージ・C・スコット主演の『チェンジリング』(1980)が頭に浮かぶかもしれない。
あれはポルターガイストを描いたホラー映画だったが、どちらも、取り替え子(changeling)という、自分の子供が醜い子供に取り替えられるヨーロッパの民族伝承に因んでいる。最近ではスウェーデン映画『ボーダー 二つの世界』でも取り扱われていた。
◇
そんな経緯から、本作も途中からサスペンス・ホラーになっても不思議ではない雰囲気は十分だったが、そこはイーストウッド監督、きっちりと実話に則した展開から踏み外さない。
子供がウォルターではないと知りながら、警察の体面のために一旦子供を引き取らざるを得なかったクリスティン。そして、それはあくまでウォルター本人で、5カ月もたてば子供は成長するものだと彼女の主張に耳を貸さないロス市警のJ.J.ジョーンズ警部(ジェフリー・ドノヴァン)。
この後、息子の生還だけを求めて奮闘するクリスティは、まるで昭和の大映ドラマかと思うほど、奈落の底のように厳しい状況に転落していく。彼女を苦しめ続けるのは、警察の権力者J.J.ジョーンズ警部。
捨てる神に拾う神
反体制派のイーストウッド監督は警察組織が余程嫌いなのか、J.J.ジョーンズ警部が実に憎たらしい役に描かれている。演じるジェフリー・ドノヴァンは、最近ではダイアン・レインとケビン・コスナーの『すべてが変わった日』(2021)でも、不気味な役で好演。
そして、誰の助けも得られず途方に暮れるクリスティンに救いの手を差し伸べるグスタヴ・ブリーグレブ牧師にジョン・マルコヴィッチ。これが心強い。
彼にしては抑え目な演技なのだが、それがかえって効果的。ジョン・マルコヴィッチが善人役をやると、いつ豹変するかと気になってしまうが。『リチャード・ジュエル』(2020)で四面楚歌の主人公を助けた弁護士(サム・ロックウェル)と同様に、本作では好感の持たれる役。
さて、この子は絶対にウォルターではないと言い張るクリスティン、世間を味方につけて外濠を埋めて、この子は本物だと彼女を説くJ.J.ジョーンズ警部。はたして真実はどちらにあるのか。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
ゴードン・ノースコット事件
少年の顔だけでなく、背が伸びているならともかく柱の傷より低い身長、そして風呂で気づいた、ないはずの割礼のあと。どう考えてもウォルターではない。かかりつけの歯科医も、担任の先生も、口々に別人だという。
これだけ状況証拠や証人が揃っても、警部は主張を曲げず、お抱えの角野卓三似の医師(ピーター・ゲレッティ)を使い、丸め込みを図る。しまいには反抗的なクリスティンを、<警察が認定した事実を認めない異常者>として警部の一存で精神病院送りにしてしまうのだ。これは怖すぎる。
ここからは完全ネタバレだが、実際のゴードン・ノースコット事件を振り返ってみる。
カリフォルニア州ワインヴィルで養鶏場を営むゴードン・ノースコットが、20人近い少年たちを誘拐しては殺害し地中に埋めた連続殺人事件。映画ではゴードン(ジェイソン・バトラー・ハーナー)に脅迫された甥のサンフォード・クラーク少年(エディ・オルダーソン)が誘拐を手伝う。
子供が同乗しているクルマから声をかけられたら、見知らぬ男の誘いでも警戒心が緩むのだ。実際の事件では、犯人の母親までもが誘拐を手伝っていたということだが、映画には登場しない。
◇
これだけでも十分恐ろしい連続殺人事件だが、そこに取り替え子の事件が加わる。ゴードンに攫われたウォルターの代わりに、なりすまして登場した少年アーサーは、継母と折り合いが悪く、LAにいけば映画スターに会えるかもという不純な動機の悪ガキだ。こいつも万死に値するだろう。
その悪だくみに、功名を急いだJ.J.ジョーンズ警部がまんまと乗っかり、不手際を認めないばかりか、母親を精神病院送りにする悪行の上塗り。これらはいずれも事実なのだという。
これ見よがしな演出を避ける
この作品は事実に重きを置いているのか、いたずらに盛り上がる演出を避ける。ウォルターがゴードンに攫われる場面を回想することもなければ、ニセモノ少年がクリスティンを欺いて現れる種明かしさえ淡泊だ。
死刑が決まったゴードンは最後にクリスティンと面会するが、本当にウォルターを手にかけたのかはそこでも明かされずに処刑を迎える。息子の生存を終生信じていたというクリスティンの姿を、映画では忠実に描き出している。
◇
『ハドソン川の奇跡』、『15時17分、パリ行き』、『リチャード・ジュエル』。実話ベースのイーストウッド作品はハッピーエンドが多い中、本作は異彩を放つ。
ひとつのサスペンス作品として観た時に、このエンディングは重苦しい終わり方というより、消化不良気味ではある。だが、事実と明らかに反する結末をここに持ってくることには、違和感があるだろう。だから、この結末は、本作にふさわしいのだと思う。