『ホーリー・モーターズ』
Holy Motors
寡作の映画作家レオス・カラックスによる14年ぶりの長編監督作品。リムジンに乗った不思議な男のランデブー。
公開:2012 年 時間:116分
製作国:フランス
スタッフ 監督・脚本: レオス・カラックス キャスト オスカー: ドニ・ラヴァン セリーヌ: エディット・スコブ ケイ・M: エヴァ・メンデス ジーン: カイリー・ミノーグ レア: エリーズ・ロモー アンジェラ: ナースチャ・ゴルベヴァ・カラックス テオ: ミシェル・ピコリ 眠る男: レオス・カラックス モーションキャプチャーの女: ズラータ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
主人公のオスカー(ドニ・ラヴァン)は、セリーヌ(エディット・スコブ)が運転するリムジンの後部座席を楽屋として使用し、パリの街なかをまわっては、銀行家・物乞い・モーションキャプチャーの男等、変幻自在に数々の役を演じていく。
今更レビュー(ネタバレあり)
カラックス待望の長編監督作品
寡作で知られるレオス・カラックス監督による9年ぶりの長編『アネット』が公開されようとしている。その前作が、途中にオムニバス作品『TOKYO!』(2008)の短編をはさみ、実に14年ぶりの長編新作ということで当時騒がれた本作だった。
『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983)、『汚れた血』(1986)、『ポンヌフの恋人』(1991)のいわゆるアレックス三部作で観る者を魅了した完璧主義の映像と濃厚な純愛度数。カラックスといえば、まずこの作品群が思い浮かぶが、本作でのカラックスはちょっと期待をはずしにかかる。
冒頭に現れるのは映画館で古そうな上映を観ている人々。別の部屋では、ベッドで犬と寝ている男が起き上がり、森林のような柄の壁をドライバーになっている指でこじ開けると、そこは先ほどの映画館になっている。
よく見れば、この男はレオス・カラックス監督本人ではないか。ここから、観客と一緒に映画を鑑賞しようという構成なのだろうか。
リムジンに乗った男
ならば、ここからが物語の始まりだ。美しいモダニズム建築の屋敷から、裕福そうな男性が出てくる。この建築はフランスの建築家ロベール・マレ=ステヴァンスのポール・ポワレ別邸として知られているらしい。先日観た『コロンバス』(コゴナダ監督)のように、美しい建築は映画の格調を高める。
オスカーと呼ばれるこの男性(ドニ・ラヴァン)は、女性ショーファーのセリーヌ(エディット・スコブ)が運転するリムジンのシートに身を預ける。
今日のアポは9件。何やらケータイで仕事がらみの指示をしたり、狙われているので銃を買い揃えろと言ったり。いったい、どんな会社の経営者なのだろうと想像を働かせる。
◇
だが、ここから先は信じ難い展開を迎える。オスカーは老婆に扮してセーヌ川にかかる橋の上で、物乞いを始めるのだ。
そしてそれが一段落すると、今度は黒子のような全身タイツ姿になり白い小さなマーカーを大量にぶら下げて、撮影スタジオに入り、モーションキャプチャー撮影の被写体になる。最後は同様な格好の女性(ズラータ)と隠微な雰囲気になり、揃ってCGキャラになってしまうのだから、説明不能の展開だ。
物乞いのミッションあたりまでの訳の分からない展開に、観客がついてきてくれるだろうか、カラックスは気をもんでいたようだが、どうやらオスカーは羽振りの良い経営者などではない。セリーヌの協力を得ながら、一日に何件も分刻みの謎めいたアポ(ランデブーと称している)をこなす仕事をしているのだ。
何のために、誰の代わりにしている仕事なのかは、皆目見当がつかない。だが、オスカーはリムジンで老若男女問わず何者かに変装し、決められた時刻に、決められた行動をとる。
次々と展開されるランデブー
三番目のアポは白目に緑の衣装が懐かしい、『TOKYO!』の短編でドニ・ラヴァン自身が演じていた怪人メルド(糞)。マンホールから地下用水路を通って、前作同様『ゴジラ』のテーマ曲とともにモンパルナス墓地に出現し、撮影中のモデル(エヴァ・メンデス)を攫って行く。
途中、スタッフの女性の指を食いちぎり、もはや暴力行為で警察沙汰に傍目には見えるが、どこまでが仕組まれたものなのかは分からない。まるで、デヴィッド・フィンチャーの傑作『ゲーム』のようだ。
四番目のアポは、リムジンからプジョーの小型車に乗り換え、娘アンジェラ(ナースチャ・ゴルベヴァ・カラックス)をパーティーに迎えに行く父を演じる。自分の容姿に自信がなく、男の子とも仲良くなれない娘と父との会話。家族になりすましての会話もあるのか。まるでレンタル家族のようなランデブー。
◇
ここでインターミッションと称し、バンドネオンを持ったオスカーと男たちが大勢で聖堂の回廊を練り歩く。
◇
五番目と六番目はギャング映画が続く。ひとつはテオ(ミシェル・ピコリ)という男を刺して倒した後、髪型や服装を変えて自分が死んだように偽装するオスカー。続いて、赤の目出し帽で顔を隠したオスカーが、オープンカフェにいた銀行家を射殺し、護衛たちの反撃を受ける。
そのまま死んでしまったかと思えば、オスカーは七番目に瀕死の老人となり、彼を愛している姪のレア(エリーズ・ロモー)と涙の臨終場面を演じる。
◇
芝居がかった展開はさらに続き、ついに八番目のランデブーでドニ・ラヴァンは、自らがカラックス作品で演じてきたアレックスの役となり、ヒロインのミシェルを演じる同業のジーン(カイリー・ミノーグ)とミュージカルを始める。
ポンヌフにほど近いサマリテーヌ百貨店の廃墟の屋上で愛を語らった後、次はCAとして別の男と投身自殺を図るジーン。それを目の当たりにしてショックを受ける(演技の)オスカー。このランデブーは美しい。
そして本日最後のアポは、自宅に帰ったらチンパンジーの家族が待っていて一家団欒というものだ。大島渚の『マックス・モン・アムール』を意識したとしか思えないが、どうなのだろう。
映画史を振り返っているのか
それぞれのランデブーは独立しており、ストーリーの展開に影響を与える大きな縛りはなさそうだ。レオス・カラックスの感性の赴くままに好きに撮れたということなのだろうか。
全ての仕事を振り返れば、冒頭の映画館シーンから始まって、カラックスの造詣が深い映画史について語っていたという見方はできる。カメラが軽くなってしまったと嘆いたり、モーションキャプチャーでアクロバティックな動きを見せたり、ギャング映画やミュージカル、コメディとひととおりのジャンルを網羅してみたり。
オスカー役のドニ・ラヴァンはレオス・カラックスの監督作品に多く主演しているため、本作でこれまでのカラックス作品の過半を振り返ることができており、自身の映画史にもなっている。
◇
最後に仕事を終えたリムジンたちがホーリー・モーターズに戻ってくる。セリーヌが仮面をつけるシーンは、エディット・スコブが出演していた1960年の映画『顔のない眼』(ジョルジュ・フランジュ監督)のオマージュ。多くの映画監督に影響を与えている、不気味だが美しい作品として知られる。
また、七番目の老人の死を姪が看取る場面は作家ヘンリー・ジェイムズの代表作『ある婦人の肖像』から取られているようだ。
これらはいずれも、元ネタを知らなければ分かりようがない。エンドロールのフランス語を注意して眺めていると、Georges FranjuとHenry Jamesに謝辞を捧げているが、一般人にはなかなか気づかない。
なので、そんな監督の意図は知らずとも、深く考えずに、任務が良く分からない男の一日に付き合うのが、ストレスのない楽しみ方ではないかと思う。
ラストはガレージで人間がいなくなった後、リムジンたちが『トイストーリー』のように語り出す。
「人間はもう見える機械を望まない」
「もはやモーターを欲しがらない、行為(アクション)を望まない」
これはクルマの話をしながら、映画の未来について語っているのだろう。そういえば、ガレージの看板、<Holy Motors>の一部が電飾切れで<Holy Motors>になっていた。ウィキペディアによれば、映画の撮影開始の「Action!」をフランス語では「Moteur!」というそうだが、それに絡めているのかもしれない。「Morts(死)」も暗示しているのだとすると、更に意味深であるが…。