『シェルブールの雨傘』
Les Parapluies de Cherbourg
時代を越えて燦然と輝く、これぞフランスのミュージカル。ミシェル・ルグランの音楽とカトリーヌ・ドヌーヴが、あまりに美しい。
公開:1964 年 時間:91分
製作国:フランス
スタッフ 監督・脚本: ジャック・ドゥミ 音楽: ミシェル・ルグラン キャスト ジュヌヴィエーヴ:カトリーヌ・ドヌーヴ ギイ: ニーノ・カステルヌオーヴォ エムリ夫人: アンヌ・ヴェルノン ローラン・カサール: マルク・ミシェル マドレーヌ: エレン・ファルナー エリーズおば: ミレーユ・ペレー
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
フランス北西部の港町シェルブール。自動車修理工の青年ギイ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)と傘屋の娘ジュリビエーブ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は結婚を誓い合った恋人同士だったが、ギイに送られてきたアルジェリア戦争の徴兵令状が二人の人生を大きく翻弄する。
今更レビュー(ネタバレあり)
全ての台詞が歌になっている
ジャック・ドゥミ監督とカトリーヌ・ドヌーヴという組み合わせに、ミシェル・ルグランによる美しくもの悲しい調べの主題歌が相まって、人々の記憶に残る傑作ミュージカルとなる。
何せ、全ての台詞が歌詞として組み込まれており、普通の会話がただの一片もないのだ。これは度肝を抜く発想。
しかも、その歌詞の中には、「ガスはハイオク、レギュラーどちらにしますか」「ハイオク満タンで」ってな感じの、どうでもいい会話も含まれていて、何とも遊び心がある。
◇
大勢で踊りまくるダンスシーンがあるわけではないが、これも立派なミュージカル映画。ジェット団とシャーク団に分かれて戦ったり、迸る感情を力強く高らかに歌い上げるだけが全てではない。
しかも、すべてがフランス語というのがまた、聴き取れない者には、美しくミステリアスに響いてくるではないか。フランス語とは、愛を語らうにふさわしい言語だと改めて感じさせてくれる。
個人的な話になるが、私はミシェル・ルグランが好きで、本作のサントラCDを買って何度も聴いていた。曲と台詞だけは何となく頭に残っていたので(フランス語なので意味不明ではあったが)、今回久々に映画を観て、場面と字幕の確認作業ができたことは感慨深かった。
◇
それにしても、1964年とは、こんなにも先進的な取り組みで、かつリリカルな映画が作られる時代だったのか。
この企画を今の時代に撮ろうと思ったら、はたして製作・配給会社はみつかるだろうか。いつの間にか、特撮技術だけは高度化したけれど、映画は保守的・画一的になってきているのではないかと危惧してしまう。
この色合いと、この音楽がフランス映画
冒頭、シェルブールの港町に降る雨を、カメラは真上から俯瞰する。手元から遠くの方へと落ちていく雨の中を並んで歩く雨傘の淡いブルーの色合の美しさ。そしてテーマ音楽。この一瞬で、すでにただならぬ映画のセンスの良さを感じる。
◇
結婚を誓い合った若い二人、ギイ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)とジュリビエーブ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の恋物語。ギイに招集令状が届き兵役につかねばならず、取り残されたジュリビエーブが悲嘆にくれる話である。
ギイは自動車工場勤めで両親はなくおば(ミレーユ・ペレー)と暮らす好青年、一方のジュリビエーブは父の遺した雨傘店を切り盛りする母(アンヌ・ヴェルノン)を手伝っている。
◇
冒頭の淡い色調から、本編が始まると一気にビビッドな色合いに転じる。
雨傘店の壁紙は赤やピンク系で、ギイの住む部屋やシャツは濃い青、二人がいつも語らうギイの家の前の壁はグリーン系で、ジュリビエーブのカーデガンやギイのロードバイクは黄色。日本では見慣れないが、この大胆な色使いがフランス流なのか。
<シェルブールの雨傘>というタイトルにだまされて、何かとても素敵な町を想像して何十年も昔に当地を訪れたことがある。今では違うのかもしれないが、当時は殺風景な場所だった。
パリではなく田舎町を舞台にする必要があったのだろうが、ジャック・ドゥミ監督はなぜこの町を選んだのか、とても興味深い。
盛り上がるのは第一部(出発)
本編は、第一部:出発、第二部:不在、第三部:帰還で構成されているが、ドラマとして盛り上がるのは第一部だと思う。
まずは幸せの絶頂にいる仲睦まじい二人。幸福感に満ちるカトリーヌ・ドヌーヴの笑顔がまぶしい。
それに劣らずジュリビエーブの母もまた美しいのだが、彼女は娘の結婚など早すぎると反対し(17歳と20歳)、相手にも不満を感じている。
◇
雨傘店は資金繰りに窮しており、母は大切な宝石類を顔なじみの宝石店に売りに行く(質屋ではないのだな)。そこで偶然居合わせた若き宝石商ローラン・カサール(マルク・ミシェル)が金を工面してくれる。
話は前後するが、ギイのおばには、身の回りの世話をしてくれるマドレーヌ(エレン・ファルナー)という若い娘が付いている。
彼女は端役にしては美しすぎると思っていたが、このマドレーヌと、宝石商カサ―ルは、第二部以降のメロドラマに大きく絡んでくる。
だが、それはまだ、先の話。第一部におけるクライマックスは、出兵するギイとジュリビエーブの別れである。
二年して戻ったら結婚すればいいさとなだめるギイだが、とても待てないわと動揺を隠せないジュリビエーブ。ここでようやく、あのメロディが流れる。
モナムール(男声)とジュ・テーム(女声)の歌の掛け合いがサマになるのは、フランス語ならでは。日本語吹替版ではどんな歌詞になってしまっているのだろう。
◇
全編にわたりルグランの曲が流れているのだが主題のメロディは、タイトルロールからここまで温存していたのだ。別れの場面でようやく流れてくるメロディに盛り上がらないはずがない。
よく、全編にわたり主題曲を垂れ流し続ける監督がいるが、本作のように、ここぞという場面まで出し惜しみするのが、やはり効果的だろう。
そしてこの曲をバックに汽車はギイを乗せて走り去り、ホームに残され茫然とするジュリビエーブ。さりげなくフレーム・インする<シェルブール>の駅名が絵になる。
冷静に考えたら、悪女じゃね?
第一部の感動のあと、第二部以降は展開が早い。これを物語だけ文字起こししてしまうと、結構えげつない内容なのだと気づく。
なにせ、これから戦地に旅立とうとする恋人に向かって、「私はとても二年も待てないわ」と泣き崩れていたジュリビエーブ。
ギイとの子供を妊娠しているのにもかかわらず、たまにしか手紙をよこさない彼に愛想をつかし、他の男の子でも構わないと求婚してきたカサ―ルと、早々と結婚してしまうのだ。
「ギイはほかの女といるのかも」と浮気を疑っていたくせに、自分が先に行動してしまう。戦地のギイは、子供の名前まで考えて手紙に書いてきたのに、である。
◇
第三部で早めに帰還してきたギイは結婚したジュリビエーブと話し合う機会もなく、絶望し自暴自棄になる。そんな彼は結局マドレーヌと結ばれ、おばの遺産でガソリンスタンドを手に入れ、幸福な家庭を築く。
本作で面白いのは、自分の子でなくても喜んで引き受けるカサ―ルも、前の彼女のことを忘れたのか心配するマドレーヌも、奪略愛をしかけたのではなく、善人に描かれていることだ。
そして何より、ファム・ファタ―ルのジュリビエーブでさえも、ルグランの音楽効果で、悲恋に傷ついたヒロインのように見えてしまうことだろう。
ESSOのガソリンスタンド、絵になる
ラストシーン、雪深いシェルブールのガソリンスタンドに給油にやってきたジュリビエーブはギイと数年ぶりに再会する。
サントラを何度も聴いていたら、この再会シーンで熱い抱擁でもしているように記憶が捏造されていたが、ギイは自分の娘に会おうともせず、ジュリビエーブと別れるのだ。そして、愛すべき妻マドレーヌと息子の元へと戻っていく。
デイミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』のラストでも、別れた男女が再会するが、あちらの幸福感が微妙なのに対し、こちらは双方ハッピーなエンディング。
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深く考えると釈然としないストーリーではあるが、ミシェル・ルグランの音楽が雪のように降り積もり、全てを美しい銀世界に変えてくれる。
それにしても、ESSOのガソリンスタンドは絵になるなあ。今や我が国ではESSOは全てENEOSになってしまったのか。ちょっと寂しい。