『バーニング 劇場版』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『バーニング』考察とネタバレ|衝撃のラスト 究極のミステリーってホントか

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『バーニング 劇場版』 버닝

村上春樹の短編「納屋を焼く」をモチーフに大胆なアレンジを試みたイ・チャンドンの力作。ビニールハウスを焼く男の優雅な日常の裏側。

公開:2019 年  時間:148分  
製作国:韓国
  

スタッフ 
監督: イ・チャンドン
原作: 村上春樹   『納屋を焼く』

キャスト
イ・ジョンス: ユ・アイン
ベン:     スティーヴン・ユァン
シン・ヘミ:  チョン・ジョンソ

勝手に評点:3.5
(一見の価値はあり)

(C)2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved

あらすじ

アルバイトで生計を立てる小説家志望の青年ジョンス(ユ・アイン)は、幼なじみの女性ヘミ(チョン・ジョンソ)と偶然再会し、彼女がアフリカ旅行へ行く間の飼い猫の世話を頼まれる。

旅行から戻ったヘミは、アフリカで知り合ったという謎めいた金持ちの男ベン(スティーヴン・ユァン)をジョンスに紹介する。

ある日、ベンはヘミと一緒にジョンスの自宅を訪れ、「僕は時々ビニールハウスを燃やしています」という秘密を打ち明ける。

レビュー(まずはネタバレなし)

村上春樹原作の短編映画化

村上春樹原作の映画化は難しい。湿気を感じさせない、あの独特の語り口で登場人物の会話が続くような映画では、よほど演出にこだわらないと、ただ小説を脚本に置き換えただけの、薄っぺらい作品に終わってしまう。

その意味では、短編を映画化の素材に選ぶことは理にかなっている。映画の尺に拡張させるためには、原作ではまったく足らないすき間を、監督自身が埋めなければいけないから。

個人的に気に入っている市川準監督の『トニー滝谷』もそうだし、イ・チャンドン監督による本作も監督によるアレンジが冴える。短編の映画化は出来が良いという法則によれば、濱口竜介監督の最新作『ドライブ・マイ・カー』も期待できる(追記:期待通りでした)。

都会のデパートでキャンペーンガールをやっている幼馴染のヘミ(チョン・ジョンソ)と偶然再会した主人公の青年ジョンス(ユ・アイン)

そのまま飲みに行き、すぐにベッドを共にする二人だったが、ヘミは飼い猫のエサやりをジョンスに頼み、しばらくアフリカへと旅に出る。

ここまでは、ありふれたラブストーリーのようだが、帰国する彼女を空港に迎えに行くと、現地にいた唯一の韓国人だったというベン(スティーヴン・ユァン)が一緒にいる。怪しげな不敵さが気になる

恋人同士のようにふるまう二人。ジョンスの汚い軽トラに乗り食事に行ったあと、ベンは、そこに運ばせた愛車のポルシェ・カレラにヘミを乗せ、去っていく。

(C)2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved

ギャツビーが韓国には多くいるらしい

ここからしばらく、三人の奇妙な関係が続く。ろくに働きもしていないようだが、高級車を乗り回し豪華なマンションに優雅に暮らす、華麗なるギャツビーのようなこの謎の男に、ヘミは夢中になっており、ジョンスの心中は穏やかではない。

田舎の農家に暮らすジョンスには、頑固者で暴力行為で裁判中の父と、そんな夫がいやで何年も前に出て行った母。

小説家を目指すもろくに筆が進まないジョンスとベンには、格差がありすぎた。劇中に挿入される、トランプ大統領の施策や韓国の失業率が高いという報道も、この格差社会を強調する。

「私は古いビニールハウスを二カ月に一回くらい燃やします。丁度いいペースです」

ある時、ジョンスと二人での会話の中で、唐突にベンが言い出す。これはタイトルに由来する、鍵となる台詞だ。
原作では「時々、納屋を焼くんです」とある。

劇中にも登場するフォークナーの短編集にも、原作と同じ『納屋を焼く』が収録されているが、村上春樹自身は、本作を書いた時点では認識しておらず、厚顔にも同じ題名にしてしまったと語っている。

英語だとBarn Burningで韻を踏んでいるわけだが、本作ではビニールハウスにしている。米国でBarnは大きく立派な納屋を想像させてしまうため、村上春樹の当初のイメージに近づけようとしたのだろうか。

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かなり短縮したNHKドラマ版

本作は公開に先立ち吹替・短縮版がNHKで放映されている。95分版への短縮だから、実に53分もカットされているのだ、それも後半部分がバッサリと。

当初劇場版を観た際には、二時間以内に短縮するくらいが、適切な長さではないかと思ったのだが、さすがに後半カットの95分ではどうだろうか。前半に示された多くのメタファーが、明かされずに終わることになる。

ただ、原作のテイストにはむしろ、NHK版の方が近かったりして。

村上春樹の短編はいつも、わざと中途半端なところでバッサリ終わって、考えさせる余韻を読者に与えるものだし、本作の原作も、短編集のなかで急にミステリー仕立てになることで、ヒヤッとさせることをねらっている。

だから、実は敬虔なハルキストには、NHK版のほうがお気に召すのかもしれない。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

燃える納屋はトラウマか

坂の上の高台にあるヘミのアパート。良い立地だが、北向きの窓からは、一日に数分、遠くにそびえる塔からの反射光が入ってくる。二人が裸で抱き合っていると、その陽光が部屋の壁に届く。

イ・チャンドンの傑作『オアシス』では、部屋に入る陽光は蝶のように舞い踊り、それは幸福の象徴だった。だが、本作ではジョンスとヘミの想いはすれ違う。エサを与えにきても、彼女の飼い猫は姿を見せない。

本作を二時間以上ひっぱることができたのは、ベンの謎めいた不気味なキャラの賜物だろう。

二枚目だがいけ好かない雰囲気、不敵な笑顔。スティーヴン・ユァンがいい味をだす。『ミナリ』で見せた、強引で熱い父親像とはまるで違うキャラではないか。燃える男、ユァン。そういえば、あの映画でも納屋が燃えていたぞ

本作のジョンスには、少年時代に父親から家を出た母の衣服を燃やすように指示され、その燃え上がる炎がトラウマとなっている。それを語ったときに、ベンが、他人のビニールハウスを燃やすのが趣味だと言い始めたのだ。

「この大麻と同じように(放火は)犯罪ですけど、韓国警察は気にも留めませんよ。やられるのを待っているようなハウスも多いんです

ジョンスの家の近くにも、今日は下見に来たのだと言う。この近所で近々燃やすつもりだと。そのメタファーを、ここでわざわざ書かずとも、もはや自明だろう。

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ビニールハウス、焼きましたよ

男二人と一緒に大麻を吸い、暮れなずむ雄大な大地を前に服を脱ぎ捨てて全裸で舞い始めるヘミ。どこか悲しく、美しいシーンだ。流れるはマイルスの『死刑台のエレベーター』

そして、ジョンスの農家からポルシェで去っていく二人。それ以来、ヘミは忽然と姿を消してしまう

消えたヘミを探すジョンス。ベンに近づき問い質すも、彼もその後会っていないという。

「そういえば、その後ビニールハウスは燃やさなかったのですか」
いえ、焼きましたよ、近すぎて、見落としたのでは?

だが、ジョンスは、近隣のビニールハウスを丹念に調べ上げ、監視していた。ボヤ騒ぎが起きた事実さえない

この男の尻尾をつかもうと、尾行を続けるが、なかなかうまくいかず、ついには張り込みも気付かれたジョンスは、ベンに自宅に招かれる。

ヘミの失踪は、虚言癖のある彼女(幼少期の井戸の話や姿を見せない猫)の気まぐれな行動だったのか。そう思い始めていたジョンスはベンの部屋で、彼がヘミにあげた腕時計と、彼女のペットと思わしき猫を目にする(ボイルという変わった名前を呼ぶと近づいてくるのだ)。

(C)2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved

ラストシーンをめぐる解釈

さて、ほとんどラストシーンと見間違える美しいロングショットがある。

ヘミのいなくなった部屋に住み付き、彼女の机で小説を書いているジョンスを、窓の外から小さくとらえたカメラが、そのまま街の風景を美しく切り取る。

小説家を目指しながらも、これまでろくに執筆活動もしていなかったジョンスは、ついに生きる意味を見出したのだ。

冒頭でヘミが蜜柑を食べるパントマイムで語っていたように、<あると思うのではなく、ないことを忘れる>ように彼女を想い自慰にふけ、そして生きる意味を考える<グレートハンガー>となった。

(C)2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved

その次に続くシーンは、新しい女と戯れるベンを人里離れた場所に呼び出し、復讐にはしるジョンス。ベンを刺殺し、ポルシェとともに火をつける。

クルマが炎上するシーンでカットを割ったのは、クルマに火が付きにくいことより、製作費の制約からだろう。

自分の衣服も燃やして全裸になるジョンス。最後に会ったヘミの全裸の姿とかぶらせたのか、或いは母の衣服を燃やしたトラウマからの解放か。

この報復シーンを現実とみることも勿論可能だが、私は全体の構成からは、ジョンスの小説の中の出来事なのだと思う。

彼が小説を書き始めた次のカットから、突如カメラがベン主観に切り替わることに違和感があるからだ。ベンが不用意に、あんな怪しい待ち合わせ場所でジョンスに会うとも思いにくい。

何より、懲役刑となった父親や、息子の稼ぎをあてにする母親を描いておいて、ジョンスが犯罪者になることで終わるのでは、後味が悲痛すぎる。彼には、生きる意味を見つけてほしい。

解釈は観客に委ねられている。それはイ・チャンドン監督の好むスタイルだし、また、短編小説のありかたとしても、自然なことだと思う。

ただ、「究極のミステリー」と「衝撃のラスト」は、本作の内容を理解していないか確信犯的な宣伝部員の誇大広告だと思うけど。

それにしても、この短い原作をここまで膨らますとは、監督、さすがです。