『トニー滝谷』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『トニー滝谷』今更レビュー|イッセーもトニーも本名なのだ

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『トニー滝谷』

村上春樹の短編を市川準監督が映画化。宮沢りえとイッセー尾形がともに一人二役を演じる。

公開:2005年  時間:75分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:         市川準
原作:           村上春樹

           『トニー滝谷』
   (『レキシントンの幽霊』所収)
キャスト
トニー滝谷/ 滝谷省三郎:イッセー尾形
小沼英子/ 斉藤久子:    宮沢りえ

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

あらすじ

ジャズ・トロンボーン奏者を父に持つトニー滝谷(イッセー尾形)は、イラストレーターとして才能を発揮し、その道で成功を収める。

やがて、着こなしの美しい娘・小沼英子(宮沢りえ)に恋をし結婚するが、妻の度を越した衣服に対する執着は彼女を死に追いやってしまう。

今更レビュー(ネタバレあり)

村上春樹の同名短編を市川準監督が映画化した作品。『ノルウェイの森』などのごく一部の例外を除けば、村上春樹原作の映画化は大抵短編を対象にしている。

それは賢明な選択だと思う。長編のストーリーを忠実に追うよりは、短編の世界観を監督の感性で膨らませた方が面白いから。

現在公開中のアニメ作品『めくらやなぎと眠る女』も短編原作だが、数多くの作品を盛り込みすぎて、だいぶ元ネタとは風合いの異なる作品になってしまい、好きになれなかった。

では、20年ぶりに観た本作はどうだったか。一本の短編を比較的忠実に映画化している。そこに監督の感性は吹き込まれているか。

主人公であるトニー滝谷の生い立ちをはじめ、ナレーターや役者が小説を朗読し、スチール写真を繋いで紙芝居のように見せる演出が多いのは事実。

だが、そんなもので安易に村上春樹ワールドを映画化しているわけではない。市川準監督ならではの作り込みがある。

主演であるイッセー尾形宮沢りえは、それぞれが二役を演じる。

イッセー尾形は主人公トニー滝谷とその父親のトロンボーン奏者・滝谷省三郎を演じ、宮沢りえはトニーの妻・小沼英子と、彼女亡きあとに雇われた女性・斉藤久子を演じている。

原作では、けして風貌が似ているという記述はないので、この配役は監督のアイデアだろう。

プリント手法に脱色処理を施して色調を浅くした工法が、作品になんともいえぬ効果をもたらしている。モノクロほど硬質ではなく、カラーというにはあまりに慎ましい色合いが、トニー滝谷の物静かな佇まいに調和する。

CMディレクターとして一世を風靡した市川準であるが、派手な演出やコピーで強烈に印象付けるだけが得意技ではない。

そして、作品の世界観に寄り添うように流れ続けるピアノ曲もまた、自分の立ち位置をわきまえている。美しい旋律。音楽は坂本龍一か、これは知らなかった。

そういえば、もしやと思ったら、ナレーション西島秀俊ではないか。これも今回初めて気づいた。『ドライブ・マイ・カー』でオスカーを獲る何十年も前に、西島秀俊は既に村上春樹原作映画と縁があったのだ。

タイトルロールであるトニー滝谷は、日系二世でも混血でもない、純然たる日本人だ。ジャズ・トロンボーン奏者の父が米軍の友人に名付けてもらったのがトニー。

生後すぐに母が亡くなり、孤独だったトニーは大人になって、唯一の才能を活かしイラストレーターとして成功する。

以下、ネタバレになるので、未見・未読の方はご留意願います。

彼は初めて夢中になった女性・小沼英子と結婚する。彼女は魅力的な美しい女性で、良き妻であったが、毎月大量の洋服を買わずにいられないという買い物依存症があった。

仕事も順調で裕福なトニーは、妻の買い物にも寛容だったが、気がつけば一部屋をまるまる使っている衣裳部屋が一杯になっており、少し買い物を控えたらどうかと妻に告げる。

彼女は夫のいうことも正論だと理解し、買ったものをブティックに返品。だが、返した服のことが気がかりで、自動車事故を起こし、死んでしまう。短かった蜜月。

孤独に耐えかねたトニーは、容姿、体型とも妻にそっくりな久子を、アシスタントに雇う。妻が遺した大量の高価な服を、彼女に制服として着て貰い、少しずつ、妻の死に慣れようと思ったのだ。

トニーが暮らす丘の上の住宅に、英子が初めて現れるシーンと、彼女の死後に、面接のために現れる久子のシーン。

坂の下から歩いてくるため、朝日が昇るように下から少しずつ顔を出してくるカットが楽しい。どちらも宮沢りえだが、ヘアスタイルとファッションで、まるで印象が異なる。

宮沢りえといえば、この時期は『たそがれ清兵衛』、『父と暮せば』という傑作の主演が続いての本作。当然に熱演しそうな流れだが、かげろうのような儚い存在を演じているところが興味深い。彼女独特の声質も魅惑的。

一方のイッセー尾形亡き妻と同じ体型の女を雇い、妻の服を着用させるという設定が谷崎潤一郎のようなエロチシズムに繋がりそうだが、他の役者ならいざ知らず、イッセー尾形ならではの枯れた感じが肉欲を封じ込めている。

二人とも、配役の妙だと思う。

ちなみに妻が事故を起こすクルマは原作どおりルノーサンクでも『ドライブ・マイ・カー』サーブ900同様、原作とは車体色が異なる。

部屋一杯に整然と収納された洋服や装飾品の類に、20年前観た時には驚いた記憶があるが、今見ると結構ショボい。毎日取り換えても数年分はあるという衣装だから、部屋はもう少し明るく広ければよかったと思うが、厳しい予算制約ゆえか。

この衣裳部屋に、いくつか試着してみるために初めて足を踏み入れ、一人で洋服を何着か羽織ってみて、はらはらと涙を流す久子のシーンは美しい。

理由は不明というが、これだけの綺麗な洋服を残したまま死んでしまった見知らぬ妻の無念さを思い、女性として共感するものがあったのだろう。

結局、トニーは彼女を雇うことをせず、本件は他言無用といって1週間分の洋服を進呈する。その後彼は、きれいに妻の服を売り飛ばし、亡くなった父の遺したレコードも処分する。

これで完全に孤独になったとして原作は終わる。村上春樹の短編らしい、エッジの効いた淡泊な結末だ。

ここまで原作に忠実だった本作だが、最後に少しアレンジが加わる。一つは妻の元カレが登場すること。もう一つは、見知らぬ妻のために泣いてくれた久子のことを思い出し、電話をかけてみることだ。

だが、久子はアパートの前で管理人(木野花)の無駄話に付き合わされ、自室にかかってきた電話を取り損なう。この、誰からのコールかもわからないすれ違い感がいい。

原作通りの終わり方ではあまりに味気なかっただろうから、このエンディングは、本作に相応しく思える。常に繋がることができてしまう現代では、もはや味わいにくい風情になってしまったか。