『チャンシルさんには福が多いね』
映画プロデューサーの仕事が生き甲斐だったチャンシルさんが突然失業の憂き目に。本当は福で囲まれているのに、本人は気づかずに、一生懸命生きていく。
公開:2021 年 時間:96分
製作国:韓国
スタッフ 監督: キム・チョヒ キャスト イ・チャンシル: カン・マルグム レスリー・チャン:キム・ヨンミン ポクシル: ユン・ヨジョン ソフィー: ユン・スンア キム・ヨン: ペ・ユラム パク代表: チョ・ファジョン チ監督: ソ・ソンウォン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
映画プロデューサーのチャンシル(カン・マルグム)は、ずっと支えてきたチ監督(ソ・ソンウォン)が急死したため失業してしまう。
人生の全てを映画に捧げてきた彼女には家も恋人も子どももなく、青春さえも棒に振ってきたことに気づく。そんな彼女に、思わぬ恋の予感が訪れる。
レビュー(まずはネタバレなし)
多幸感のあるほんわかコメディではない
ほんわかしたタイトルと幸福感に満ちたポスタービジュアルで、ハートウォーミングな人間ドラマを想像していたのだが、裏切られる。
冒頭で映画監督がスタッフとの打ち上げで派手に痛飲して、そのまま心臓発作でポックリ死んでしまうのだ。
本作は、その監督をこれまで支えてきた女性プロデューサーのチャンシルが、映画制作も暗礁に乗り上げて失業し、女優のソフィー(ユン・スンア)に家政婦として雇ってもらい、どうにか食いつないでいく、なかなかの苦労話なのである。
◇
監督のキム・チョヒは、もともと長年にわたり、加瀬亮の『自由が丘で』などで知られるホン・サンス監督作のプロデューサーを務めてきた女性であり、自身が40歳の時に、十数年間やっていた映画プロデューサーという仕事を失って、生計の心配もしたという。
あえてプロデューサーという仕事を主人公に持たせているのは、こういう自叙伝的な要素が強いからだろう。
何せ、本作のチャンシルさん同様に、キム・チョヒ監督も小津安二郎やエミール・クストリッツァ監督の『ジプシーのとき』が好きだそうだから。
勿論レスリー・チャンも大好きだったようだ。ちなみに、彼女とは映画の趣味が合わない相手の男性は、私と同様にノーラン監督が好みという設定。
なお、私には聞き分けられないが、チャンシルを演じたカン・マルグムは監督と同じく韓国南部の方言を話すそうで、そんなことからも、私小説的な作品といえるように思う。
はて、そうなると、打ち上げで急死した監督は、ホン・サンスがモデルということになるのだろうか。
韓国版#MeToo運動
本作は韓国版#MeToo運動の枠組みのなかで取り扱われることが多いようだ。
特に意識して選んで観ているわけではないのだが、ここ最近の韓国映画はキム・ドヨン監督『82年生まれ、キム・ジヨン』やキム・ボラ監督『はちどり』など、不当に虐げられた旧い文化からの女性解放の映画に勢いがあるように思う。
本作も、チャンシルという一人の女性が力強く生きていこうとする内容からは、これらの韓国版#MeToo作品に共通する点はあるだろう。
だが、家長制度に代表される男尊女卑的な文化が強調して描かれている訳ではない。セクハラ撲滅の研修ビデオに出てきそうな挿話もない。
チャンシルさんは結婚こそしていないが、それは大好きな映画の仕事に打ち込んでいたからで、そんな彼女に失業とともに恋する相手が現れる話なのだ。
ちょっと#MeTooの範疇では語れない。
チ監督(ソ・ソンウォン)の生前はチャンシルを持ち上げていたパク代表(チョ・ファジョン)も、「監督が亡くなってしまえば、映画は無理よ。プロデューサーなんて誰でもできる仕事のあなたがいたところで、どうしようもない」と手のひらを返したよう。
失意の彼女の心のすき間を埋めてくれるのは、女優ソフィーにフランス語を教える講師のキム・ヨン(ペ・ユラム)だった。これまで仕事にかまけて恋愛活動を放棄していたチャンシルの行動力には舌を巻く。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
強烈な存在感の二人の同居人
本作を独特な雰囲気のオフビートなコメディに仕立てているには、二人の同居人だろう。
◇
一人は、チャンシルさんが引っ越した間借り先の大家である老女ポクシル。演じるユン・ヨジョンは、本年『ミナリ』でアカデミー賞助演女優賞に輝いた韓国の名女優である。
そんな彼女が、『ミナリ』同様にとぼけた婆さんを演じる(同作では英語が分からず、本作では文盲の設定)のだが、どこか温かみがあって微笑ましい。
映画から足を洗おうと一大決心するチャンシルに、「手離してこそ、新しいものが入ってくるものよ」と人生の大先輩として言葉をくれたりする。
そんな大家さんが開かずの間にしている、娘の部屋があるのだが、そこに現れるのが、なんと自称レスリー・チャンなのである。演じるのは『愛の不時着』の耳野郎で有名なキム・ヨンミン。
彼とレスリー・チャンは似ていないけれども、『欲望の翼』と同じ白タンクトップ姿のこの男は、幽霊なのかイマジナリーフレンドなのか、たびたび登場してはチャンシルを励ます。
このナンセンスなキャラ設定がいい。後半のラジオ番組で『ベルリン天使の詩』が採り上げられるから、レスリー天使説もあり得るぞ。大家さんの娘はレスリーのファンだったというから、彼を追って自殺してしまったのかな。
振り返れば、福が多いことに気づく
こうしてレスリーに勇気づけられながら、5歳も年下のフランス語講師キム・ヨンに思い切って告白して、「姉のような人だと思っています」と、体よくフラれてしまうチャンシル。
だが、いろいろ思い悩んだあげく、やっぱり自分のために生きようと、大好きな映画にもう一度向き合う。
苦難の道を進みはするが、キム・ヨンも好人物であり、またレスリーや大家さん、女優のソフィー、それに解散後もプロデューサーとしての彼女を慕ってくれる映画スタッフたち、大勢の温かい仲間がチャンシルさんのまわりにいる。
◇
気の持ちようひとつで、人生は捨てたもんじゃない。こういったことが、<福が多いね>というタイトルに繋がっていくのだろう。
ラストシーンは、チャンシルさんが自ら書き上げたシナリオと、このスタッフで完成させた映画の上映シーンだろうか。レスリーがたった一人客席でスクリーンを見上げる背中は、最近の閑散とする映画館を思わせるようで、少し寂しい。