『海炭市叙景』
佐藤泰志の原作映画化の歴史はここから始まった。函館を舞台にした架空の町・海炭市のあちこちで人々が織りなすドラマを、熊切和嘉監督が切れ味よく描き出す。
公開:2010 年 時間:152分
製作国:日本
スタッフ 監督: 熊切和嘉 脚本: 宇治田隆史 原作: 佐藤泰志 『海炭市叙景』 キャスト 井川帆波: 谷村美月 井川颯太: 竹原ピストル 工藤まこと: 山中崇 トキ: 中里あき 比嘉隆三: 小林薫 比嘉春代: 南果歩 目黒晴夫: 加瀬亮 目黒勝子: 東野智美 目黒アキラ: 小山燿 千恵子: 伊藤裕子 萩谷博: 三浦誠己 萩谷達一郎: 西堀滋樹
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
海に囲まれた北国の小さな町・海炭市の冬。地方都市に生きる普通の人々が織りなす人生。
造船所を解雇された青年とその妹、祖母が立ち退きに同意せず板挟みになる市の職員、妻との不和に悩むプラネタリウム職員、家庭に問題を抱えるプロパンガス屋の若社長、定年間近の路面電車運転手。
今更レビュー(ネタバレあり)
佐藤泰志の未完作
思えば、初めて本作を観た頃、私は不勉強にも佐藤泰志という作家を知らなかった。
原作となった『海炭市叙景』は、90年に41歳の若さで自死を遂げた佐藤泰志の遺作となった短編連作だ。没後は全作品が絶版となっていたが、その後に再評価の機運が高まり、本原作も文庫化されている。
◇
彼の作品も次々に映画化されるという不思議な動きが生まれた。
本作を皮切りに、『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)、『そこのみにて光輝く』(呉美保監督)、『オーバー・フェンス』(山下敦弘監督)、『きみの鳥はうたえる』(三宅唱監督)と続き、いずれ劣らぬ力作だ。
そして、没後30周年にあたる昨年には、『草の響き』の映画化が発表されている。
これら一連の作品の中心的存在として企画・製作・プロデュースを担っているのが、函館のミニシアター「シネマアイリス」の菅原和博代表である。
こうして、函館の生んだ早逝の作家・佐藤泰志を愛する多くの函館市民有志が、映画作りに協力する形が出来上がったようだ。
函館の冬は厳しく美しい
架空の都市・海炭市が函館であることは、ロープウェイで登った頂上から眺める海に挟まれた地形や、風情のある路面電車の走る町並みからすぐに分かる。
そしてその町に暮らす市井の人々のドラマ。原作は18本の短編で構成されるが、映画ではそこからいくつか抽出している。特にドラマティックなものを選んだ訳でもないと思う。
原作では冬から春が描かれ、構想では夏、秋と書き進む予定だったそうだが、映画ではクリスマスから年末年始に絞り込んでいる。冬の函館で撮れ、映画的に面白味のある挿話を選んだのかもしれない。
◇
結果論だが、この後に佐藤泰志原作の函館映画が続くことを考えれば、本作を冬に絞り込んだのは、特徴がとらえやすくなって良かったのではないか。
それぞれの挿話を簡単に触れてみる。なお、タイトルは原作における題名だが、映画には登場しない。
まだ若い廃墟
造船所海炭ドックが一部閉鎖され、リストラが行われる。組合のストの甲斐もなく、井川颯太(竹原ピストル)は職を失う。
大みそかの夜、一緒に暮らす妹の帆波(谷村美月)と年越しそばを食べ、兄妹は手持の小銭を集め、初日の出を見に山に登る。しかし、帰りのロープウェイに乗れる金はなく、兄は歩いて山を下りる。
◇
函館ドックの大型クレーンの解体前に先行撮影したという造船所風景や、大型船の進水式の圧倒的な迫力。これをフィルムに収めただけでも、映画の存在価値があると言えるくらいだ。
清く貧しく暮らす兄妹が、どちらもサマになっている。おカネのなさと、一人で兄を待つ妹の心細さは、「てぶくろをかいに」と「トロッコ」が混ざったような、不思議な味わいだ。冒頭から暗鬱になる話だと思ったら、これは全編に通底するトーンだった。
ネコを抱いた婆さん
老婆トキ(中里あき)は、産業道路沿いに建つ古い家に住んでいるが、地域開発で立ち退かないのはトキの家だけだった。
市役所に勤める孫のまこと(山中崇)が説得しに来るも、トキは拒み続けた。そしてある日、飼い猫のグレが姿を消してしまう。
◇
これはネコが消えた時点で一旦話を中断し次に進むので、一つの話としては顛末が分かりにくい。要は、頑固な婆さんが、死ぬまで立ち退かねえぞ、と徹底抗戦する話か。ネコのほか、鶏や山羊まで飼っているのがすごい。
黒い森
プラネタリウムで働く比嘉隆三(小林薫)が仕事から帰ると、妻の春代(南果歩)は派手な格好に厚化粧をし、お店の仕事へと出かけて行く。中学生の息子は口もきかない。
春代が仕事から一晩帰ってこなかったため、隆三は問いただすが、夫婦仲は最悪な状態となった。隆三は春代に仕事を辞めさせようと働く店へと車を走らせる。
◇
妻に強く出られず、雪道で尾行するクルマから妻と男を見かけ、慌ててスリップさせ泣き崩れる夫の悲哀。弱気な男にプラネタリウムは似合うなあ、と園子温の『冷たい熱帯魚』を思い出す。
星を見に来る常連の男の子が、次の挿話に繋がる。
裂けた爪
父親からプロパンガス屋を継いだ社長の目黒晴夫(加瀬亮)は、新しく始めた浄水器事業がうまくいかず、日々苛立つ。
家庭では妻の勝子(東野智美)が、旧友の千恵子(伊藤裕子)と夫との不倫に気づき、嫉妬心から、晴夫の連れ子アキラ(小山燿)を虐待する。ある日晴夫は仕事中、重たいガスボンベを足の指の上に落としてしまう。
◇
これもまた、救いがない悲惨な話で、浮気しながら妻を殴る蹴るの夫も悪いが、腹いせに連れ子にあたる妻も怖い
この少年が、プラネタリウムに通う子なのも泣かせる。泣きっ面に蜂で、ボンベを落とし足の指を潰すのは罰が当たったのだろうが、胡散臭そうなヤツと思っていた男が、怪我をした晴夫を助けてくれるのも面白い。
裸足
長年、路面電車の運転手を務める達一郎(西堀滋樹)は、路面電車の前を通り過ぎる息子の博(三浦誠己)を見つける。博は東京で働いており、仕事のため地元に帰ってきていたのだが、父親と会おうとせずにいた。
年が明けたある日の昼下がり、お墓参りではち合わせた達一郎と博は帰りのバスに揺られ、何年か振りの短い会話を交わす。
◇
路面電車の車庫から見上げる夕空が広い。『嵐電』でも思ったけれど、やはり路面電車は絵になる。
ただ、この挿話では、父子の会話よりも、博が女に呼び込まれた怪しいスナックでのやりとりがメイン。『そこのみにて光輝く』で池脇千鶴が勤めていた、奥の部屋があるような店なのだろう。
大晦日の時間を共有
それぞれの挿話に大きな関連性がないとはいえ、原作には、もう少し、特定の人物を通じて次の話に移っていく要素があった。本作はあえて、そこを希薄にしているのか。
共通するのは、テレビのニュースで海炭ドックのリストラ話を取り上げるところくらい。ただ、最後には、一瞬だけ全話がニアミスを起こす。
達一郎の運転する路面電車に、プラネタリウムの比嘉夫妻が一緒に座り、その脇にはガス会社の目黒父子が座っているのだ。更に、電車が通り過ぎた道路には、ロープウェイで山頂に向かおうとする井川兄妹の姿も見える。
みんな、この町で大晦日の時間を共有しているのだ。
正直に言うと、原作は勿論、佐藤泰志も知らず初めて本作を観たときは、救いのない物悲しい短編の集合体であり、映画としてはヘビーだという拒絶反応を起こした。
だが、これは原作者が守り抜いた表現スタイルなのだ。
そこに函館の町のバブルが始めたあとの少しうら寂しい空気を重ねあわせることで生まれる、独特のリアリティと無機質にみえる優しさが、本作の持ち味だと改めて鑑賞して思った。
◇
映画の終盤で、ロープウェイで下山しなかった青年が遺体で発見されたとニュースが流れる。それも山からは身柄が確保できず、一旦、冷たい海の中に突き落とすようだ。
何とも哀れだが、失業した彼に自殺する覚悟があったのか、事故死なのか、竹原ピストルのあの独特の表情からは、読み取ることができない。
◇
それでも、人は前を向いていて生きていく。最後まで他の挿話と交錯しなかった、婆さんのもとに、ネコのグレが戻ってくる。どうやら懐妊しているようだ。
「産め、産め、グレ公。みんな育ててやる」
海炭の町に、新たな生命が生まれようとしている。