『スノーピアサー』
Snowpiercer 설국열차
ポン・ジュノ監督が全編英語で描く、氷河期の再来とノアの方舟の階級闘争
公開:2013年 時間:125分
製作国:韓国
スタッフ
監督: ポン・ジュノ
原作: ジャック・ロブ
バンジャマン・ルグラン
ジャン=マルク・ロシェット
『Le Transperceneige』
キャスト
カーティス: クリス・エヴァンス
ナムグン・ミンス: ソン・ガンホ
ヨナ: コ・アソン
エドガー: ジェイミー・ベル
ギリアム: ジョン・ハート
メイソン: ティルダ・スウィントン
ターニャ: オクタヴィア・スペンサー
ウィルフォード: エド・ハリス
アンドリュー: ユエン・ブレムナー
グレイ: ルーク・パスカリーノ
小学校教師: アリソン・ピル
フユ: スティーヴ・パーク
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
2014年、地球温暖化を防止するため78カ国でCW-7と呼ばれる薬品が散布されるが、その結果、地球上は深い雪に覆われ、氷河期が再来してしまう。
それから17年後、かろうじて生き延びた人々は「スノーピアサー」と呼ばれる列車の中で暮らし、地球上を移動し続けていた。
列車の前方は一握りの上流階級が支配し、贅沢な生活を送る一方、後方車両には貧しい人々がひしめき、厳しい階層社会が形成されていた。
そんな中、カーティス(クリス・エヴァンス)と名乗る男が自由を求めて反乱を起こし、前方車両を目指す。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
この設定に没入できない
韓国映画界の鬼才ポン・ジュノ監督が初めて撮った英語作品である『スノーピアサー』は、グラフィックノベル『Le Transperceneige』の映画化であるが、二時間ではこの原作の世界観が伝えきれなかったのではないか。
公開時以来久々に観たが、やはり途中で退屈してしまった。
◇
2014年、地球温暖化に終止符を打つ特効薬として、反対派を押し切ってCW-7という薬品が世界中で散布される。その直後から地球は凍結し、氷河期が再来。
唯一の生存者たちはノアの方舟のような列車<スノーピアサー>の中で、何年も階級社会を生きているという設定。
これを駆け足で説明して、すぐに列車内の階級闘争話に持っていく流れは、かなり乱暴と言わざるを得ない。せっかく氷河期に突入するのなら、もう少し見せ場が作れただろうに。
先月亡くなったオリヴィア・ハッセー出演の『復活の日』(1980)の人類滅亡までのスペクタクルに比べると、何と味気ないことか。
薬品の思わぬ影響で地球規模の被害を受ける導入部分を『グエムル-漢江の怪物-』ではあんなに鮮やかに見せてくれたポン・ジュノ監督だが、今回は精彩を欠く。
◇
映画はこの列車の中で、最下層、すなわち最後尾車両に暮らす者たちを煽動するカーティス(クリス・エヴァンス)が、列車内のドア制御に精通する技術者のナムグン・ミンス(ソン・ガンホ)らと力を合わせて、先頭車両に君臨するオーナーのウィルフォード(エド・ハリス)と対決する物語。
大陸を走り続ける列車の周囲は氷河期世界であり、カメラは基本、列車から外には出ない。
列車の狭さを活かせていない
私の想像力が及ばなかったのかもしれないが、最後尾車両から一つずつ前の車両に戦線を進めていき、エンジンのある先頭車両を占領しようという構想自体が、ショボいスケールにしか見えない。
列車がゆりかもめの螺旋状の線路のようなところを走る際に、カーティスが敵と撃ち合う場面があって、「一体何両編成だよ」とは思ったが、車両の長さなんてたかが知れてるだろう。
確かに、車両を前に進むうちに、寝台車や食堂車のほか、植物園や水族館、歯医者からジャグジープールまで登場し、無駄に車両が多いことは理解した。だが、この<スノーピアサー>の全貌を映画で伝えきれた気はしない。
この映画の設定をベースに、2020年から米国でテレビドラマが放映されたが、この永久機関列車は1001両編成だそうだ。そりゃ、映画向きではない。ドラマだって何シーズンも必要だろう。
とはいえ、1001両もあるという列車の大きさや長さを表現できていないことは、マイナス面だけではない。戦いの場が狭いことは、息苦しさや恐怖感を伝えるのにはもってこいの筈だからだ。
かの『エイリアン』だって宇宙船が逃げられない閉鎖空間だからこその怖さだったし、同じ韓国映画、しかも列車内が舞台という点で共通する傑作『新感染 ファイナルエクスプレス』だって、列車という条件から次々と怖がらせる技を編み出していた。
翻って本作はどうだ。ヒゲ面のキャプテン・アメリカは猪突猛進するだけだし、相棒のナムグンも、結局は車両の扉のロック解除するくらいしか芸がない。
敵陣営、即ち上位階級層のメイソンを演じたティルダ・スウィントンの怪演は認めるが、ポン・ジュノ監督と組んだ次作の『オクジャ/okja』ならともかく、本作にああいうぶっ飛んだキャラは馴染んでいたのか。
ティルダ・スウィントンの悪役キャラや、小学校の風変りな授業、コーヒー寒天みたいなプロテインの製造工場など、ティム・バートン監督の『チャーリーとチョコレート工場』的な世界をねらったのかもしれない。
そうであるならば、彼らに攫われた子供を奪い返そうと必死になっているターニャ(オクタヴィア・スペンサー)の存在と、このブラックなおふざけ感は、どうにも相性が悪いように思えてならない。
今更レビュー(ここからネタバレ)
以下、ネタバレになるので、未見の方はご留意願います。
さて、いよいよ先頭車両に到達しそうになった時に、ナムグン(ソン・ガンホ)はカーティス(クリス・エヴァンス)に対し、「先頭車両ではなく、車両から外に出る扉を開けよう」と言い出す。ナムグンによれば、外気温が少しずつ上昇しているらしい。
唐突にそう言われても、ここで敵の大将とぶつからなければ、映画としてはけじめがつかない。こうしてカーティスは、ついにラスボスのウィルフォード(エド・ハリス)と対峙する。
◇
ウィルフォードはあれこれ語ってくれるのだが、天下のエド・ハリスに演じてもらうには申し訳ないような役だ(序盤で退場してしまうギリアム役のジョン・ハートにも言える)。
ウィルフォードは列車内の人口を一定程度に抑制するために、あえてカーティスたちに反乱を起こさせ、人口を適正化させたのだという。お釈迦様の手のひらの孫悟空だったのか。
また、ウィルフォードの動かす永久機関のエンジンには、狭いスペースで牛馬のように働き続ける労働者が必要だった。スペースの制約上、低身長の子供が必要で、そのためにターニャの息子を攫ったのだった。
何だよ、それじゃ永久機関じゃないじゃん。このブラックなオチの付け方も、ティム・バートン風味だ。
映画のラストは、列車から飛び出した子供たちが、氷河期が終わりつつある世界に立ち、シロクマと出会う場面で終わる。ここから人類が復興するのは、『復活の日』より厳しそうだ。