『ナミビアの砂漠』
行動が理解不能だけど、河合優実でなければ成立しない、凄い作品なのは分かる。
公開:2024 年 時間:137分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 山中瑶子
キャスト
カナ: 河合優実
ハヤシ: 金子大地
ホンダ: 寛一郎
イチカ: 新谷ゆづみ
遠山ひかり: 唐田えりか
東高明: 中島歩
葉山依: 渋谷采郁
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
世の中も、人生も全部つまらない。やり場のない感情を抱いたまま毎日を生きている、21歳のカナ(河合優実)。何に対しても情熱を持てず、恋愛ですらただの暇つぶしに過ぎなかった。
同棲している恋人ホンダ(寛一郎)は家賃を払ったり料理を作ったりして彼女を喜ばせようとするが、優しいけど退屈だ。
カナは自信家で刺激的なクリエイター、ハヤシ(金子大地)に乗り換えて、新しい生活を始めてみたが、次第に自分自身に追い詰められていく。
レビュー(ネタバレあり)
世代ギャップのせいにしたい
それを世代ギャップのせいにしてしまうのは短絡的かもしれないが、昭和の名画座で育ったおっさんである私には、河合優実が演じる主人公・カナの行動原理がさっぱり理解不能だった。
映画そのものが分からないのではない、彼女の考えていること、やらかすことに、理解が追い付かないのだ。
それはきっと、監督の山中瑶子や河合優実の思惑通りに違いない。未見だが、監督のデビュー作『あみこ』を観たら、同じような感想を持つような気もする(『こちらあみ子』じゃないよ。あの少女の行動も理解不能だったけど)。
◇
分からない以上は評点も厳し目にせざるを得なかったが、若い世代を中心に、カナの生き様に共感できる人たちには、おそらく本作は忘れがたい作品になるのではないか。
とどのつまり、私がここで何を書こうが、こういう作品が好きかどうかなんて、自分の目で確かめるしかない。そんな当たり前のことを、この映画は思い出させてくれる。
カナと取り巻くイケメンたち
映画は冒頭、町田駅前のペデストリアンデッキを足早に歩くカナを遠くからカメラがとらえる。ズームで寄るのは撮影許可が取れなかったからだそうだ。
昔住んでいた町なので懐かしくみていたが、すぐに友人のイチカ(新谷ゆづみ)が待ち合わせる喫茶店へ。
イチカが自殺した旧友の話を特ダネのように語り、隣のテーブルではノーパンしゃぶしゃぶの古い事件を面白そうに語る男どもの声がうるさい。情報過多の導入部分だが、どれも本筋に関係がなく、観客を煙にまく。
◇
カナは脚本家をめざしているハヤシ(金子大地)に呼ばれてホテルに行くが、その後泥酔して家に帰ると、そこには別の男ホンダ(寛一郎)が待っている。
なんだ二股女の話かと思って眺めていると、どうやら、寛一郎演じるロン毛イケメンの同棲相手のホンダは、料理上手で世話好きのマメな男で、観ているこっちがウザったく思うほどの腰の低さだ。
これではカナが女王様気取りで別の男になびくのも無理はない。
「カナ、次に会うときには、その男と別れておいてほしいんだ」
ハヤシにそう言われ、ホンダの出張中に荷物を整理して家を飛び出すカナの行動力。勢いづいて、カナは鼻ピアス、ハヤシは腕にタトゥーを入れる。こうして刺激的な新生活が始まる。
カナは脱毛エステに勤務し、感情を押し殺して死んだ魚のような生気のなさで脱毛作業をしている。
その反動か、仕事が終われば本能の赴くままにやりたいことをやり、男が気に入らないことをすれば、烈火のようにブチギレる。途中からは更に激化し、家の中で物を投げたり、暴力をふるうようになっていく。
そういう破滅型の彼女と生活するうちに、はじめは魅力的に輝いていた存在だったハヤシが、すっかりホンダ化して守りに入っておとなしくなってしまう。皮肉なものである。
なんてったって河合優実
天才カメレオン女優・河合優実の面目躍如。ハヤシを演じる金子大地の顔を見てすぐに思い出したが、彼女とは傑作青春ラブコメ『サマーフィルムにのって』で共演した間柄だ。あの作品の女子高生・ビート板(役名です)が本作で大きく様変わり。
おそらくカナは山中瑶子監督の分身のような存在なのだろうが、河合優実はそれをすっかり自分のキャラに仕立て直している。
クドカンのドラマ『不適切にもほどがある!』や入江悠監督の『あんのこと』など、最近の彼女の出演作はいずれも良かったが、口も悪く不良少女っぽいけど、実は心根の優しい娘という役が続いた。
その意味では、本作で最後まで我の強さを通し続けるカナという役は、理解できないものの新鮮に映った。
◇
ハヤシは幼少期、両親(堀部圭亮、渡辺真起子)とNYで暮らし、帰国してもインターに通わせようとしたなどと、育ちの良さを窺わせる。旧友も東大から官僚だし。
カナを連れて両親や知り合いの参加するキャンプに行っても、鼻ピアスの小娘など相手にされない階級差の場違い感が漂い、肩身が狭い。これじゃ、まるで『あのこは貴族』だ。
そんなキャンプでの疎外感や、彼女に構わずに脚本書きに没頭するハヤシの態度、そして彼が隠し持っていた元カノの胎児のX線写真(つまりは中絶したってこと)、次々と気に入らない出来事が起こり、カナはハヤシに殴りかかる。
『あんのこと』の河合優実は、毒母のDVに耐え忍んでいたが、本作では加害者側だ。ハヤシは勿論手加減しての応戦だろうが、二人の取っ組み合いは日に日にエスカレートしていく。
タイトルの意味
さて、タイトルにもなっている『ナミビアの砂漠』らしきものが、中盤にカナのスマホの中に現れる。
ナミビアの砂漠に置かれた人工の水飲み場と思しき場所に、野生の動物たちが集まって喉を潤している光景をライブ配信しているのだが、彼女はそれをただ眺めている。
普段は身の回りで起きている出来事を粗雑に扱いながら、思いは遠くナミビアの砂漠にまで馳せている。そんなカナの複雑な心情を描いているのだろうか。
後半、彼女は躁うつ病の診断を受け(オンライン診療医の中島歩が胡散臭くて最高!)、箱庭療法を受けながらカウンセラー(渋谷采郁)に相談を聞いてもらう。ここで触っている砂も、砂漠に繋がる演出なのか。
『偶然と想像』の中島歩に『悪は存在しない』の渋谷采郁と、濱口竜介作品キャストで攻めてきたか。
◇
本作で最も印象的で遊び心のある演出は、ハヤシとカナの室内取っ組み合いの喧嘩が長々と続く様子を、ルームランナーを走りながらカナがモニター画面を眺めているというシュールなカット。
メンヘラ女子の設定に持っていくのであれば、アリソン・ブリーの『ホース・ガール』のように、このような現実離れした演出をもっと登場させても良かったように思う。
意味不明なカットと理解不能な行動
本作は意味不明なカットが多すぎて、本来伝えたいものに神経がいかない。ナミビアの砂漠を見ている行動も、何となくは分かるが無理筋な理屈だ。
終盤に突然カナにかかってくる中国人の母親からの電話も、それこそ「ティンプートン(意味わかんない)」だ。
最後は謎めいた隣人女性(唐田えりか)が焚き火の前でいい感じの言葉を吐いて、場を丸め込んでしまう。『寝ても覚めても』の唐田えりかとは、またもや濱口竜介作品キャストか。
本作は、『あみこ』に感動した河合優実が「いつか出演したいです」「女優になります」と山中瑶子監督に手紙攻撃で猛烈にアピールし、彼女ありきで脚本が書かれたという。
なるほど河合優実でなければ、映画として成立しなかったように思う。
その意味では正解だったが、脚本としてはアラが目立つ。山中監督が肌に会わないと中退した日芸の映画学科なら、この脚本に合格点はくれないのではないか。
でも、映画や脚本に暗黙のルールはあるが、それを守らない傑作だって数知れずある。
山中瑶子監督のような新時代を担う映画人は、こういう黴臭いルールに縛られず作品を撮っていってほしい。と口では思うものの、私の全神経は、まだそれに順応できていない。