『愛に乱暴』
吉田修一の原作を江口のり子の迫力の演技で映画化。小泉孝太郎の新境地にも驚きが。
公開:2024 年 時間:105分
製作国:日本
スタッフ
監督: 森ガキ侑大
原作: 吉田修一
『愛に乱暴』
キャスト
初瀬桃子: 江口のりこ
初瀬真守: 小泉孝太郎
初瀬照子: 風吹ジュン
三宅奈央: 馬場ふみか
李: 水間ロン
鰐淵部長: 斉藤陽一郎
浅尾: 青木柚
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
初瀬桃子(江口のり子)は夫・真守(小泉孝太郎)とともに、真守の実家の敷地内に建つ離れで暮らしている。
桃子は義母・照子(風吹ジュン)から受ける微量のストレスや夫の無関心を振り払うかのように、石鹸教室の講師やセンスある装い、手の込んだ献立といった丁寧な暮らしに勤しんで日々を充実させていた。
そんな桃子の周囲で不穏な出来事が起こり始める。近隣のゴミ捨て場で相次ぐ不審火、愛猫の失踪、不気味な不倫アカウント…。
平穏だったはずの日常は少しずつ乱れ始め、やがて追い詰められた桃子は、いつしか床下への異常な執着を募らせていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
吉田修一の映像化は続く
2024年だけでも『あまろっく』と『お母さんが一緒』で主演、『もしも徳川家康が総理大臣になったら』では北条政子役と、目下絶好調の江口のり子が主人公の主婦役を演じる本作。
吉田修一の同名原作を『さんかく窓の外側は夜』の森ガキ侑大監督のメガホンで映画化。
◇
結婚8年目の初瀬桃子(江口のり子)は夫の真守(小泉孝太郎)の実家の離れを借りて暮らしている。義母の照子(風吹ジュン)は3年前に夫に先立たれて独り暮らし。
嫁姑の気遣いはあるが、大きな嫌がらせがあるわけではない。むしろ気になるのは夫の方で、妻の会話にも上の空でろくに返事もせず、計画中のリフォームの話にも身が入らない。
甲斐甲斐しく夫の食事の準備をしたり、石鹸づくりのカルチャースクールの講師をしたり、義母にも毎朝声をかけたりと、キチンとした暮らしぶりを心掛けているようにみえる桃子だが、毎日は恐ろしいほどに息苦しくみえる。
そこに飼い猫のピーちゃんの失踪やら、近所の放火騒動やら、夫の怪しい出張やらと不穏な話が次々と重なっていく。
◇
吉田修一の小説は頻繁に映像化されるが、けしてそのハードルは低くない。私が自信をもってオススメできるのは 『悪人』(2010、李相日監督)と『横道世之介』(2013、沖田修一監督)くらいだ。
近作の『湖の女たち』(大森立嗣監督)は松本まりかと福士蒼汰の好演が光ったが、映画自体は共感を得にくい題材を持て余した印象。そういえば、母屋の離れという本作の舞台設定は、その松本まりかの『夜、鳥たちが啼く』にも登場したっけ。
意外なキャスティングばかり
『湖の女たち』の福士蒼汰に負けないくらいの意外なキャラを演じるのが、真守役の小泉孝太郎。
かつて、宮部みゆき原作ドラマ『名もなき毒』で江口のり子と共演していた時の、見慣れた爽やかなお人好しキャラのイメージは微塵もない。髪型含めギャップ大で、小泉孝太郎と気づかない人がいても不思議ではない。
義母を演じた風吹ジュンもまた、意外な配役である。意地悪な姑とまではいかないが、少なくとも嫁の桃子にとっては気を使う存在。八千草薫亡き後、優しく美しい祖母役が定番になりつつある風吹ジュンを、あえてこのポジションに置いたのは興味深い。
だが、キャスティングの一番のサプライズは、主人公桃子を演じた江口のり子だろう。
原作では、主人公の桃子はありふれた普通の生活を送る主婦だったが、夫の不実を疑い、姑の視線に耐えられなくなり、誰にも言えぬ激しい衝動に身を委ねるようになる。
平凡な中年女性が、狂ったわけでもないのに家族からは奇異な目で見られるようになり、面倒だからおかしくなったフリをし始める。
自分は悪くないのに、周囲の出来事が、次々と悪い方向に転落していく。普通から変貌していき、ついにはチェーンソーの購入へと繋がっていくプロセスが本作の真骨頂だ。
江口のり子は人気・実力とも申し分ないし、チェーンソーを持たせたら間違いなく似合うタイプの女優だろう。だから、ブチ切れて以降の桃子には彼女ならではの迫力がある。
反面、江口のり子が平凡な主婦に収まっている前半はあまりに似合わず、当たり前のように朝にゴミ出しをする様子が日常風景にみえない。
原作を読んでの主人公のイメージは表紙絵に影響されてしまったせいもあるかもしれないが、普通の主婦の変貌度合いという点ではやや効果が弱かった。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。
プレイバック Part2
夫が不倫している。「彼女に会ってくれ」という真守に付き合い、ホテルのラウンジで不倫相手の三宅奈央(馬場ふみか)と対面。
「主人にも責任があるから謝罪はいいけど、もう二度と会わないでね」
そう奈央に通告した矢先に、「子供がいるんだ、別れてくれ」と、いつしか夫は相手の側に座っている。
「なんで、あたしが離婚切り出されんのよ!」と、暴発寸前の桃子。この修羅場での小泉孝太郎のダメ男ぶりがいい。
◇
義母や元上司・鰐淵部長(斉藤陽一郎)にはお遣い物を買っても、不倫女には勿体ないと庭で獲れたスイカ持参で桃子がアポなし訪問。
「あんたホントは妊娠なんかしてないんでしょ、母子手帳みせなさいよ」
桃子が疑うのには理由がある。自分も嘘ではないが、流産したことを黙って、真守と強奪婚したからだ。つまり夫は同じ離婚・再婚を繰り返そうとしている。
これまで桃子が頻繁にフォローしていたアカウントは、この女の投稿のように見せて、実は彼女自身の過去のつぶやきだったのだ。原作での日記スタイルをアレンジしている。
放火事件の謎
義母が疑うように、桃子が意図的に流産を黙って再婚を企んだのか真実は分からない。だが、潜在的な罪悪感なのか元来の性格か、桃子はきちんとした生活を心がけ、だからこそ、周囲のせいで混乱が生じてきた日常に我慢がならない。
◇
本作で解釈に悩むものはいくつかあるが、最大の謎は離れの床下掘り起こしの場面だろう。桃子は何かに憑りつかれたかのように、チェーンソーを購入し、畳の下地板を斬り、床下の土を掘る。
原作には、ちょっとしたエピソードがあった。確か、離れには過去に義父を産んだ二号の女が曾祖父に囲われていたというもので、床下を掘ると、その女が当時起きた放火の犯人と思しき証拠があるのだ。
その二号の女の放火と、現在発生している近所の放火には因果関係はない。桃子の犯行を匂わせているだけの、吉田修一作品では『怒り』でもみられたひっかけ問題だ。
映画にはこの曾祖父がらみの話は割愛されているので、放火は不気味な雰囲気づくりでしかない(水をモチーフにしていた『湖の女たち』とはよい対比になっていたが)。
床下のベビー服
桃子が床下から掘り返した小箱にはベビー服が入っていた。これは誰が埋めたものか。曾祖父の頃の話は映画には登場しないし、離れの老朽度合いからして、8年前に流産した子のベビー服を床下には埋めようがない。
桃子の幻覚ということもできるが、実家に戻ってクローゼットを整理した際に、無意識に持ち帰ってきてしまったとは考えられないか。本人が言い張るような、まともな精神状態とはとても思えないし。
愛猫のピーちゃんも、映画では一度も姿を見せない。義母は異常なまでに野良猫を敬遠するが、隣家の飼い猫のことは何も心配していない。夫も同様だ。はたして、ピーちゃんは本当に存在するのか。手がかりはない。
中盤まで、最も桃子を理解してくれそうにないと思われた、外国人留学生の李さん(水間ロン)が、最後に彼女に謝意を示してくれる。夫にも義母にもいってもらえなかった言葉に、桃子は思わず涙を流す。
「ありがとうっていってくれて、ありがとう」
◇
本作では終始ダメ男だった小泉孝太郎の終盤の台詞が耳に残る。
「君が楽しそうにしているのを見ると、僕は苦しくなるんだ」
これ言われたら、別れるしかないなあ。言われた桃子は気の毒なのだけれど、苦しむ旦那の心情もちょっと分かる。