『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』
Crimes of the Future
デヴィッド・クローネンバーグ監督がヴィゴ・モーテンセン主演で描く、今より少し未来にある犯罪と官能。
公開:2023 年 時間:107分
製作国:カナダ
スタッフ
監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ
キャスト
ソール・テンサー: ヴィゴ・モーテンセン
カプリース: レア・セドゥ
ティムリン: クリステン・スチュワート
ウィペット: ドン・マッケラー
コープ刑事: ベルゲット・ブンゲ
ラング: スコット・スピードマン
ジュナ: リヒ・コノルフスキー
ブレッケン: ソトス・ソリティス
ナサティール: ヨルゴス・ピルパソプロス
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
そう遠くない未来。人工的な環境に適応するため進化し続けた人類は、その結果として生物学的構造が変容し、痛みの感覚が消え去った。
体内で新たな臓器が生み出される加速進化症候群という病気を抱えたアーティストのソール(ヴィゴ・モーテンセン)は、パートナーのカプリース(レア・セドゥ)とともに、臓器にタトゥーを施して摘出するというショーを披露し、大きな注目と人気を集めていた。
しかし、人類の誤った進化と暴走を監視する政府は、臓器登録所を設立し、ソールは政府から強い関心を持たれる存在となっていた。そんな彼のもとに、生前プラスチックを食べていたという少年の遺体が持ち込まれる。
レビュー(若干ネタバレあり)
ハエと蜘蛛の先にある未来
この作品は「人類の進化への黙想」だとデヴィッド・クローネンバーグ監督は語っている。なるほど、『スキャナーズ』から『ヴィデオドローム』、ハエやら蜘蛛やらを経てきた彼のフィルモグラフィの進化の先にこの作品があると思うと感慨深い。
クローネンバーグ監督はキャリアの初期に同じタイトルの『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』(1970)という作品を撮っている。疫病の研究を扱った低予算のアングラ作品であり、タイトル以外は本作とは全くの別物だ。
だが、当時から彼が<未来の犯罪>なるものに関心を寄せていたことは間違いなく、20年以上前に本作の脚本を書きあげていた鬼才が、ついに資金集めに成功し、企画実現を果たす。主演はクローネンバーグ監督の盟友ヴィゴ・モーテンセン。
映画は冒頭、砂浜でひとり遊ぶ少年ブレッケン(ソトス・ソリティス)。海辺の家から母親ジュナ(リヒ・コノルフスキー)が 「何か見つけても食べないでよ!」
ありきたりの光景のようだが、そのあとの展開に驚く。夜になって少年はトイレに置かれたプラスチックのゴミ箱をうまそうにムシャムシャと食い始める。それを目にしたジュナは驚かない。息子の偏食癖を知っているのだ。
◇
その晩、彼女は決意して枕で少年を窒息死させる。悪魔に憑りつかれた我が子を殺した母の悔恨と愛情の物語なのかと思ったら、まるで違った。
彼女は息子を「あれ」呼ばわりで、別れた夫のラング・ドートリス(スコット・スピードマン)が遺体を引き取る。息子に愛情を抱いていたのは父親の方だった。だが、なぜプラスチックを食べていた?
臓器摘出のパフォーマー
そしてようやく主人公が登場。巨大な胡桃の実のようなベッドに眠るソール(ヴィゴ・モーテンセン)と、彼の身体をメンテしているパートナーのカプリース(レア・セドゥ)。
何本もの触手が蠢くベッドの不気味さがいかにもクローネンバーグらしい。ソールは体内で新たな臓器が生み出される<加速進化症候群>という病気を患っている。
摂食や嚥下に問題のあるソールは、ブレックファースターチェアなる、食事をサポートする椅子に座って食事をする。人間の骨格のようなこの椅子の不気味なデザインは、黒沢清の『ダゲレオタイプの女』を思わせる。
二人は古そうな雑居ビルにある臓器登録所を訪ねる。そこはまだ非公式の政府機関らしく、所長のウィペット(ドン・マッケラー)と女性職員のティムリン(クリステン・スチュワート)が対応する。
ここでようやくソールたちの正体が分かってくる。この時代の人類は環境の変化に適応し、痛みも感染もない世界となっていた。
公開手術がショーとして認知され、ソールは外科医のカプリースと組み、臓器にタトゥーを施して摘出するというパフォーマンスでカリスマアーティストとして人気を博している。
この発想がぶっ飛んでいて、なかなかついていけないが、そうか、臓器にタトゥー入れて摘出ショーなあ。痛みも感染もないのなら、ピアッシングじゃないが、この手の自傷行為もどきは際限なくエスカレートするのかも。
臓器登録所にはハエの羽音がし、感染はなくても『ザ・フライ』が生まれちゃうんじゃないかと不安がよぎる。
美術デザインが官能的
そう遠くない未来の物語とあるが、内容的にはまだまだかなり遠い未来のように思える。ただし、映像はまったく未来的ではなく、むしろ懐古的で落ち着いている。ロケ地はギリシャ・アテネだそうだ。
古そうな機器類とハイテクを融合してみせるセンスの良さがクローネンバーグらしい。傑作SFは大抵、このレトロ感のバランスに優れている。
例えば、本作ではブラウン管のある古いテレビを意図的に登場させる。監督は分かっているのだ。
SFではないが、黒沢清(再登場)のセルフリメイク『蛇の道』(2024)では、オリジナル版で使われた大量のブラウン管テレビをすべて液晶に変えてしまい、独特の雰囲気を台無しにしてしまった。
◇
キャロル・スピアによる美術デザインが秀逸だ。医療技術の粋を集めたベッドや椅子、そしてサークと呼ばれる内臓手術マシンの内臓や胎内を喚起させるデザイン。
目や口を縫われたデッドプール状態の男が全身に千の耳をつけ、逆「耳なし芳一」状態でダンスするシーンのディストピア感。
皮膚を裂き、タトゥー入りの内臓を摘出するシーンは血だらけのスプラッタではなく、そこに官能さえ加えてくるクローネンバーグの演出がたまらない。
◇
パフォーマンスを披露するソールのもとに、チョコバー好きの男が接近する。
「解剖ショーをやらないか。俺の子供の遺体があるんだ」
ここでようやく、冒頭で殺されたプラ喰い少年とソールが繋がった。
血を見せないとはいえ、内臓摘出やら子供の遺体解剖やら、その手の映像が苦手な人にはうかつに薦められない作品だ。映画祭でも途中退席者が多かったという。そんなエピソードも込みで、クローネンバーグらしい一本。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
人類の進化を取り締まる者たち
『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』ならぬ『ラングのチョコレート工場はどくいり』。殺されたプラ喰い少年の父ラングは猛毒入りのチョコバーを仲間たちと精製している。
彼の一派はみなプラスチックを消化する能力を手に入れ、このチョコを食べても死なない。少年はその臓器を父からの遺伝で手に入れた初めてのケースだったが、母に殺されてしまったのだ。
◇
話は前後するが、内臓の進化が人間でなくなるほど過剰に進むことを制止するため、政府機関は人体犯罪として取り締まっている。
コープ刑事(ベルゲット・ブンゲ)はその担当であり、臓器登録所の職員もその配下で、政府公認タトゥーのないヤミ臓器を撲滅している。
サークをはじめ各種医療機器のメーカーであるライフフォーム・ウェアの技術者の女性二人組にも彼らの息がかかっており、数々の臓器を体内に生み出すソールもまた、その秘密捜査員なのである。
彼らにとって、プラスチックを食糧とするラングたちの人種は、人間から離脱した存在として排除しなければならない。少年の遺体から、新たな消化機能をもつ臓器が摘出されることも許されない。
だから組織は、臓器登録所のティムリン(クリステン・スチュワート)を使い、公開解剖の前に少年の内臓に手を加えて証拠を隠滅する。
この公開解剖は終盤の盛り上がり部分だが、体内が落書きタトゥーやドロドロの内臓で醜悪な状態にされていたという展開が、映画だけでは伝わりづらい。
ライフフォーム・ウェア社の女性二人組が、少年の父ラングや<内なる美コンテスト>の斡旋医師を暗殺したことで、どうにか話の流れは理解できるが。
ラストの涙と微笑みの意味
本作の終盤で、ソールは既に人間が解放されたはずの<痛み>を感じるようになる。それは進化なのか退化なのか。
ブレックファースターチェアでも食事を受け付けなくなるソールは、カプリースの勧めもあり毒入りチョコバーを口にする。
映画は、カプリースが撮影するモノクロ映像の中で、一粒涙をこぼしてソールが微笑む表情で終わる。これはどういう意味か。
毒を受け付けない肉体のままなら、紫色の泡を吐いて悶死するはずだ。そうなる直前のカットで映画が終わったのか。いや、そうは思えない。これは、新しく体内に宿った臓器が、プラスチックを消化するものだったという満悦の顔だろう。
彼は秘密捜査員だったとはいえ、自身が加速進化症候群を患うミュータントに近い存在であり、死んだ少年にシンパシーを感じていたはずだ。
その父子がともに殺された喪失感を克服し、自分の体内に同じ臓器が宿ったことに、未来を感じた微笑みなのではないか。
◇
未来の犯罪か。フィッシング詐欺やランサムウェア攻撃なんて、前世紀の人には『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』なのだろう。本作で描かれたものも、現代人にとっては、まだ少し未来の話だ。
だが、ここでニュー・バイスと呼ばれるものが、犯罪なのか人類の進化なのか。歴史が終わってみないと答えは難しい。