『あんのこと』
入江悠監督が実話をベースに書き上げた、どん底人生から這い上がろうとする少女とそれを支える刑事の物語。コロナの時代の描き方が秀逸。
公開:2024 年 時間:113分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 入江悠
キャスト
香川杏: 河合優実
多々羅保: 佐藤二朗
桐野達樹: 稲垣吾郎
香川春海: 河井青葉
香川恵美子: 広岡由里子
三隅紗良: 早見あかり
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
売春や麻薬の常習犯である21歳の香川杏(河合優実)は、ホステスの母親(河井青葉)と足の悪い祖母(広岡由里子)と三人で暮らしている。
子どもの頃から酔った母親に殴られて育った彼女は、小学4年生から不登校となり、12歳の時に母親の紹介で初めて体を売った。
人情味あふれる刑事・多々羅(佐藤二朗)との出会いをきっかけに更生の道を歩み出した杏は、多々羅や彼の友人であるジャーナリスト・桐野(稲垣吾郎)の助けを借りながら、新たな仕事や住まいを探し始める。
しかし突然のコロナ禍によって三人はすれ違い、それぞれが孤独と不安に直面していく。
レビュー(まずはネタバレなし)
入江悠監督初の実話ベース
主演が河合優実ということ以外は予備知識なしだったが、入江悠監督の新作だから映画館に足を運ぶ。
河合優実については、『サマーフィルムにのって』や『由宇子の天秤』あたりから、あまりに観る映画に頻出するので売れっ子ぶりに驚くとともに、どれも全く異なるキャラを演じることで演技力に感服していた。
ドラマ『不適切にもほどがある!』で全国的に知名度を爆上げし、そこにきての本作だ。しかも入江監督と組むのだから、どんなバイオレンスか、いやコメディかと思ったら、何と虐待や売春・ドラッグと、どん底人生を歩む少女が更生する物語だ。
◇
これは意外だった。しかも、実話ベースだという。入江監督が実話に基づく映画を撮るのは初めてではないか。観てみると、なるほど、これまで激しく、或いは面白おかしく演出してきた入江監督独特の作風が、本作ではなりを潜めている。
だが、扱っているものが実話ベースの題材であれば、それは当然の流れだ。むしろ、控えめな演出とはいえ、これが本当に実話なのかと、目を疑いたくなる壮絶なシーンは随所にみられる。
熱血刑事による更生支援
冒頭、21歳の主人公・香川杏(河合優実)は、覚醒剤使用容疑で捕まり、取り調べを受ける。担当する多々羅刑事(佐藤二朗)は相当な変わり者。何せ取調室で所狭しとヨガらしき運動を始め、彼女に勧めるくらいだ。
口は悪くがさつだがどこか憎めないこの刑事に、ドラッグを断ち切るよう勧められ、杏は多々羅の紹介で、同じような薬物更生者の自助グループ・サルベージ赤羽に参加するようになる。
こういう堅物ではないがむさ苦しい熱血漢のオヤジは、かつてはどこにでもいたが、今もまだ生息しているのだろうか。
平常時なら煙たがられるのも分かるが、杏の置かれた環境を考えると、こういうルール無視で土足で踏み込んでくる輩は、頼もしく思える。
当初、このドラマに佐藤二朗が適任かは疑問だった。彼はムロツヨシ同様、演技に何かアドリブを入れないと気がすまない俳優だ。『ゴールデンカムイ』のアドリブ封印で抑制された佐藤二朗はなかなか良かったのだが、本作では自由奔放。
この手のシリアス題材にそれが許容されるか気になるところだったが、熱血昭和オヤジのキャラには割と合っている気もする。
本作でもう一人、杏のサポーターとなる雑誌記者の桐野を稲垣吾郎が演じている。
なんで僕がキャスティングされたのだろうとゴロちゃんは不思議に思ったそうだが、入江悠監督は<暑苦しい二朗にクールな吾郎>というバランスを重視したのではないだろうか。
雑誌記者にしては熱量不足だが、それも稲垣吾郎らしいし、彼の存在が映画に落ち着きを与えてくれる。役柄的には、現実味のない『窓辺にて』(今泉力哉監督)より断然好感。
河合と河井の母娘関係
そして、主演の河合優実。中学高校のどこかでグレてドロップアウトした不良娘なのかと思えば、どうも違う。
この杏は幼い頃から水商売の母(河井青葉)に殴る蹴るの暴行を受け続け、中学にも行けず、16歳で母から売春を強要され、いつしかドラッグにも手を出すという、過酷な人生を歩んできたのである。
彼女が勇気を出して自助グループの参加者にその生い立ちを吐露するシーンには、思わず目頭が熱くなる。
運がいいのか悪いのか、杏はたまたま捕まったことで出会った多々羅刑事に、ドラッグをやめろと親身になって言われる。これまで、人生に希望など持ったこともない杏だが、少しずつ前向きな気持ちが芽生えていく。
サルベージ赤羽によく現れ、多々羅とも親しい雑誌記者の桐野の口添えで介護施設への就職もでき、毒親から逃げるためにシェルター施設の女性専用マンションも斡旋してもらい、こうして杏はようやく自分の人生を歩みだす。
◇
不幸な生い立ちでドラッグや売春に走った若い娘が、周囲のサポートで更生する話なら、和洋を問わずありふれた部類だと思うが、本作には不思議と惹きつけられた。河合優実の演技の賜物だ。山口百恵の赤いシリーズの再来か。
序盤に不良少女のキツイ表情全開だった杏が、日に日に優しい顔つきになっていき、真面目に介護施設に働く頃には笑顔さえ見せるようになる。河合優実が徐々に柔和になっていくのは、『ふてほど』でもお馴染みのスタイル。
東京五輪とコロナの時代
杏が家族と暮らしていたゴミ屋敷のような狭いアパートには、足の悪い祖母(広岡由里子)と、杏から給料を横取りしては暴力をふるう毒母(河井青葉)。こりゃ、人生詰んでる。
杏が介護の仕事を選んだのは、優しくしてくれた祖母をいつか世話したいから。心の優しい娘なのだ。それに、彼女は毒母を心底憎んでもいない。もしそうなら、とっくに家を飛び出していただろう。
ただ、幼少期から虐待を受けた子は、親を憎む前に、自分の落ち度を探してしまうと聞く。そう思うと、一層切ない。どんな毒親でも、捨てるのには相当な覚悟がいるのだ。
『52ヘルツのクジラたち』で虐待されて育った主人公キナコ(杉咲花)は母を捨てらず、親友アンさん(志尊淳)の力を借りた。本作の杏さんは多々羅の助けを借りず、独力で家を捨てる。
余談だが、本作と同日公開の『かくしごと』では主演の杏さん(これは女優名)が、虐待された少年の母親となる。混乱しそうだ。
本作は時代の描き方が秀逸だ。冒頭から、さりげなく街中に東京オリンピックのポスターをフレームに入れる。
そこに意味があるとは思わなかったが、時代は、まさにコロナ禍に入ろうとする時期。オリンピックは、それを効果的に伝える伏線になっている(ブルーインパルスのチラ見せもいい)。
◇
忍び寄るコロナのために、非正規社員は出勤できず自宅待機、馴染みの店は休業、人々はみなマスクを着ける。この異様だったコロナ社会により、杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。
順調にドラッグを断って更生できるのなら映画になるはずがないが、まさか新型コロナウィルスが伏兵になるとは。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
杏を苦しめた出来事
雑誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループ・サルベージ赤羽を私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、取材を進めていた。
それは事実と裏が取れ、彼の記事により、多々羅は逮捕され、刑事を辞職する。
◇
河合優実の『ふてほど』の影響ではないが、前半の多々羅は、やけに杏の頭をなでたり、抱きしめたり、ボディタッチが多いなと気になっていた。
彼女が頑張って更生する話なのだから、そこをセクハラと見るのは神経質すぎるかと片付けてしまった。
だが、被害女性たちは前科もあり刑事相手ということで、性的強要を断れなかったというパワハラ&セクハラ事案。杏に対しても邪心がなかったとは言い切れないだろう。
◇
信頼し尊敬していた多々羅の愚行・辞職に杏はショックを受けた。そこに、更に問題が生じる。
コロナ影響でシェルターマンションにいた杏の部屋に、隣人(早見あかり)が突如押しかけてきて、DV夫から一時避難するため、幼児の世話を任せられてしまう。
とんだ災難だが、杏はその子に食事を作ったり、慣れないおむつ替え(それも店先で大胆に)をしたり、懸命に世話をする。
だが、不幸な偶然が重なり、その子は一旦毒母のいる実家に連れ帰る羽目となり、しかも杏が母に売春をやらされ朝帰りすると、その子がいない。泣き止まなかったからと、毒母が児相に渡してしまったのだ。
ショックが重なり、杏はついに封印していたドラッグに手を出し、そして最後には自室から飛び降りてしまう。
◇
実際には当時どこまで新聞記事に書かれていたかは分からない。モデルとなった女性が亡くなった後の記事だったが、刑事が逮捕されたのは彼女の死後、記事になった後だと監督が語っている。相応にフィクションの部分もあるということだ。
積み重ねはそこまで大事か
桐野が記事を書かず、多々羅が逮捕されなければ、杏は死ななかったか。コロナ禍がなく、子供を預からなければ、どうだったか。希望を知らなかった彼女は、そのまま多々羅と会わず絶望も知らずに生きていた方が良かったか。
それは誰にも分からない。
「ドラッグを断絶できずに、自殺するヤツは少ない。大抵は、常習者に戻ってしまうから。だから、自殺を選んだ彼女は、クスリをやめられていたんです」
多々羅が獄中で悲痛にそう語る。
薬物をやらないという日々の積み重ね。これが月となり年となる。
「積み重ねが大事」これを序盤で三回唱える多々羅にしつこさを感じたが、ラストに「彼女はクスリをやめられていたんだ」と涙ながらに三回唱和するのは胸に訴える。
実話ベースとはいえ支援者である多々羅が逮捕される設定はどうなのかとも思ったが、人間的な弱さを抱えるキャラだからこそ、この台詞も説教くさく聞こえない。
◇
日記にマルをつけては、クスリをやらない日を積み重ねていた杏は、それを途絶えさせた自分が赦せなかったのだろうか。
ドラッグに走らず、尊厳を守って自ら命を絶つ。何ともやりきれない話だ。積み重ねを破っても、命を大事にしてほしかった。
畸形のため見世物小屋にいた、芸術を愛し心優しい『エレファントマン』(1980、デヴィッド・リンチ監督)は、普通の人のように仰向けになって寝たら死んでしまうと知りながら、人間として死を選ぶ。
この懐かしの名画を、ふと思い出した。