『his』
今泉監督が挑むゲイの世界は、愛憎に走るだけの映画とは深みが違う。季節と氷魚、生鮮食品店ではない。ひっそりと田舎暮らしの主人公の男のもとに、13年ぶりに戻ってきた昔の彼氏。その隣には幼い娘がいた。
公開:2020 年 時間:127分
製作国:日本
スタッフ 監督: 今泉力哉 キャスト 井川迅: 宮沢氷魚 日比野渚: 藤原季節 日比野空: 外村紗玖良 日比野玲奈:松本若菜 吉村美里: 松本穂香
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
井川迅(宮沢氷魚)は周囲にゲイだと知られることを恐れ、ひっそりと一人で田舎暮らしを送っていた。そこに突然、13年前に付き合っていた日比野渚(藤原季節)が、父親として6歳の娘・空(外村紗玖良)を連れて現れる。
「しばらくの間、居候させて欲しい」と言う渚に戸惑いを隠せない迅だったが、いつしか空も懐き、周囲の人々も三人を受け入れていく。
◇
そんな中、渚は妻・玲奈(松本若菜)との間で離婚と親権の協議をしていることを迅に打ち明ける。ある日、玲奈が空を東京に連れて戻してしまう。落ち込む渚に対して、迅は「渚と空ちゃんと三人で一緒に暮らしたい」と気持ちを伝える。
しかし、離婚調停が進んでいく中で、迅たちは、玲奈の弁護士や裁判官から心ない言葉を浴びせられ、自分たちを取り巻く環境に改めて向き合うことになっていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
氷魚と季節、知らないと俳優名に見えない
様々な切り口で恋愛映画を次々と世に出す今泉力哉監督、今回は初の男性同士の恋愛映画であり、また小さな子供が主要な配役に入るのも初めてではないかと思う。
初のゲイの映画と書いたが、この二人の13年前の湘南での出会いと別れは、TVドラマ『his〜恋するつもりなんてなかった〜』で描かれていた。
本作はその続編であったが、キャストも異なり、前作を知らなくても違和感なく入り込める作品になっている。知っているものだけが楽しめる小ネタもあったのかもしれないが…。
本作はあまり宮沢氷魚と藤原季節というフレッシュな男優同士の組み合わせが奏功している。二人ともイケメンだが、特に宮沢氷魚は醸し出す透明感や繊細な仕草が、リアルに感じられた。
LGBTものとしては異例のヒットとなった『おっさんずラブ』の田中圭は同時期に撮った『mellow』に起用し、一方で、今泉監督の出世作『愛がなんだ』の成田凌は、行定勲監督の新作『窮鼠はチーズの夢を見る』でゲイを演じる。
◇
LGBTも身近なものとして扱われるようになったものだとも思うが、今なお映画で根強く描かれているのは、偏見に満ちた視線のなかでもがき苦しむ二人とその性愛、そしてカミングアウトへの葛藤といったところだ。
本作も、その点では従来のLGBT映画の束縛からは解放されてはいないが、渚が連れてきた空という幼女の存在によって、新たなアプローチが広がっていくところがとても新鮮だった。
タイトルの意味は何?
『his』 というシンプルなタイトルは、TVドラマから副題を排除して、映画自体で勝負する気負いのようなものを感じる。ところで、これは<俺は彼のものだ>の意味でよいのか。女性だったら、her/hersどっち?
以前、人間とAIの恋を描いた米国映画『her』を観た時には、タイトルが目的格か所有格か気になったのだが、スパイク・ジョーンズ監督は、「sheよりherの方が、親密に感じるから」と語っているので、きっとI love herの方なのだ。でも、本作は『him』じゃないしなあ。
レビュー(ここからネタバレ)
幼女が取り持つ縁
迅は13年前に急に渚に別れを切り出され、彼を忘れるため、そして周囲にゲイだと詮索されることを避けるため、岐阜の田舎にこもり、ひっそりと自給自足のような生活をしている。
そこに突如、娘の空を連れて転がり込んでくる渚に、迅は戸惑う。
◇
渚は迅と別れた後、プロサーファーになる夢も挫折、豪州で出会った玲奈と結婚し、娘が産まれる。妻が働き、夫が育児をする生活。
普通に結婚し、自分にも子供ができた喜びを味わったのもつかの間、やはり自分はゲイだと渚は自覚し、男を漁る。それは発覚し離婚調停に進んでいく。
「空を育てるのに俺をアテにするなよ。大体、俺はどういう立場で子育てするワケ?」
と、渚に怒りをぶつける迅。たしかに、自分勝手な渚は、周囲をみな傷つけている。だが、はじめは納得していなかった迅も、空の存在が潤滑油となり、徐々にこの不思議な同棲生活を受け容れ始める。
まさに、子はカスガイなのだ。
◇
静かな田舎に東京から娘を奪還しにやってくる玲奈は、本作では外敵扱いである。物欲作戦で力づくで空を連れて帰る。彼女にしても、子供もいるのに夫がゲイだったと知らされるのは、つらいところだろう。
市役所職員の吉村美里(松本穂香)は、田舎でひっそり暮らす迅に恋心を抱く女性だが、この先どう絡んでいくのかと持っていたら、わりと序盤で唐突に告白し、迅にあっさりフラれてしまう。
このあたりの速攻・玉砕のテンポは、さすが片思い恋愛学の権威、今泉力哉だ。
田舎のルール、都会のルール
田舎の集落の住民は大半が高齢者であり、うわさ好きな人々である。
「本当だよ、夜にパパと迅クンがキスしてたんだもん!」
と、みんなが集う市民施設で空が大声で言ったことから、田舎町の話題はこの二人の関係で持ち切りになる。
町で迅の唯一の理解者であった猟師の緒方(鈴木慶一)は、彼を猟に誘い、
「うわさ好きな連中じゃが、放っとけ。好きに生きたらええ」
と言ってくれる。
だが、緒方はポックリ逝ってしまう。みんなの集う通夜の席で、迅はついにゲイであることを、そして渚を愛していることを、カミングアウトする。
「周囲に詮索され、偏見で見られる優しくない世界なら、自分は誰にも関わらずひっそり生きようと思った。だが、この町の人は温かく接してくれた。優しくないのは世界ではなく、自分の方だった」
静かに聞き入る住民をよそに、盛大に音をたてて飲食を続けるお年寄りの一人(根岸季衣)。彼女の反応がどっちに振れるかハラハラしたが、
「この年齢になって男も女も関係ないわ。どっちでもええ。迅、長生きせえ」
と言ってくれる。町の人たちが、迅や渚を受け容れてくれた瞬間だ。
◇
迅がカミングアウトするまでの回想の中で、前の職場の上司や同僚との飲み会で、ゲイなのかを聞かれ偽って逃げるシーンがある。
就職に不利になるといけないから相手が出て行った云々という話は、うわさとして語られていたが、これは前作のTVドラマ『his〜恋するつもりなんてなかった〜』のネタだったのかもしれない。
「今どきLGBTで差別してはまずいですよ」
とみんなが言いながら、誰もそう思っていない不気味さがここによく現れている。
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— 映画『his』上映中!BD&DVD8月5日発売!! (@his_movie) May 25, 2020
映画『his』🎬
劇場での上映に関して
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5/29(金)~
岩手:フォーラム盛岡
山口:シネマ・スクエア7#his #映画his#宮沢氷魚 #藤原季節#松本若菜 #松本穂香 #今泉力哉 pic.twitter.com/22Izc6Ed6N
弁護士の配役で勝敗は見えた気がしたが
娘の親権を取り合い、双方の弁護士を介した家庭裁判のバトルになっていく後半からの展開は、アダム・ドライバーと、(『her』に続き)スカーレット・ヨハンソンの『マリッジ・ストーリー』を思い出す。
通常子供の親権争いは母親が優勢であるが、ここでは一般的なケースとは逆に、母親に経済力があり、父親がこれまで子供の世話をしてきている。これがどう判決に影響してくるのか。
『マリッジ・ストーリー』の元妻は、敏腕弁護士に乗せられて、完膚なきまでに元夫を叩きのめした。だが、渚は追い詰められる玲奈を黙って見ていられない。本作はいかにも日本的な浪花節的な展開になる。
◇
最後まで繊細さと緊張感を持続させた作品だった。裁判のシーンも、『アイネクライネナハトムジーク』のボクシングシーンとは違い、素人目にはキッチリとそれらしく見える作りだったと思う。
空を演じた子役の外村紗玖良が、子供らしさもセリフ回しのうまさも素晴らしく、映画の支持層を広げたのではないか。彼女のおかげで、家族で観られるLGBT映画になっている。
「パパはママのこと好き? ならどうして一緒にいないの。迅クンも入れて、みんなで一緒に暮らそうよ」
「パパもママに謝ってみたら? きっと許してくれるよ」
娘の無邪気な言葉はいちいち正鵠を得ているのに、おとなは皆、素直になれず、それを複雑にいじくりまわしてしまうのだ。