『たしかにあった幻』
河瀨直美監督がビッキー・クリープスと寛一郎の主演で6年ぶりに放つ社会派ドラマの集大成
公開:2026年 時間:115分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 河瀨直美
キャスト
コリー: ビッキー・クリープス
迅: 寛一郎
めぐみ: 尾野真千子
亮二: 北村一輝
浜野: 小島聖
平坂医師: 平原テツ
水野医師: 山村憲之介
沖田医師: 亀田佳明
光医師: 光祈
瞳: 中野翠咲
瞳の弟: 土屋陽翔
瞳の母: 松尾翠
瞳の父: 中川龍太郎
久志: 中村旺士郎
久志の母: 岡本玲
羽響の父: 永瀬正敏
羽響の母: 早織
羽響の担当医: 林泰文
英三: 利重剛
幸江: 中嶋朋子
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
フランスから来日したコリー(ビッキー・クリープス)は、神戸の臓器移植医療センターで働きながら小児臓器移植医療の促進に取り組んでいた。
しかし西欧とは異なる日本の死生観や倫理観の壁は彼女が思っていた以上に厚く、医療現場の体制の改善や意識改革は困難で、無力感や所在のなさを感じていた。
そんな彼女にとって、屋久島で出会った恋人・迅(寛一郎)が心の支えだったが、彼の誕生日でもある7月7日の七夕に突然姿を消してしまう。
一年後、迅が失踪するはるか前に彼の家族からも捜索願が出されていたことを知ったコリーは、彼の実家がある岐阜を訪れ、迅との出会いが宿命的であったことを知る。一方、心臓疾患を抱え入院していた少女の病状が急変する。
レビュー(まずはネタバレなし)
小児臓器移植という重い題材
河瀨直美監督が、『東京2020オリンピック』のドキュメンタリーを挟んで、6年ぶりに撮る映画は、小児臓器移植を扱った物語。
観る前から重たそうな題材にやや腰が引けるが、『あん』のハンセン氏病、『光』の視覚障害、『朝が来る』の特別養子縁組と、彼女は一貫して社会的な弱者に向き合ったテーマを扱ってきている。

舞台は神戸の臓器移植医療センターだが、主人公はフランス人女性のコリー(ビッキー・クリープス)。日本語もよく分からない彼女だが、西欧に比べて大きく遅れている日本の小児臓器移植を促進させようと気を吐いている。
日本ではドナーカードがなかなか普及しない話などはよく聞くが、臓器を待つ期間が平均90日程度だという欧州の国に比べ、日本は先進国最下位の4年超。これは深刻な問題だ。
いつ症状が急変するか分からない我が子の心臓を気遣いながら、ドナーが現れるのを待ち続ける親(勿論子ども自身も)の心労はいかばかりか。しかも、4年待ってドナーが現れる保証もない。

映画はなぜ日本ではここまで臓器移植の関心が薄いのか。日本における死亡の定義が西欧とは異なることや、日本独特の死生観や倫理観を使ってきちんと説明しようとする姿勢が河瀨監督作品らしい。
人に迷惑をかけてはいけないと子供の頃から教えられ、他人様の死を願い、その臓器をもらってまで生きることの罪悪感。これらを払拭しなければ、なかなか世間の意識は変わらない。
コリーに賛同はしても、目の前の医療業務に忙殺されて何もできない医師たち。息苦しい状況の中で、今日も施設は子供たちを受けいれ、祈るように臓器の提供を待ち続ける。
屋久島で出会った迅
数年前にコリーは屋久島で出会った迅(寛一郎)と親しくなり、二人はやがて同棲するようになる。仕事はきついが、迅と一緒にいられる生活は充実しているコリー。
どこかの漁港で仕事をしていたようだが、高価なハッセルブラッドのカメラを手に、コリーの写真を撮りまくる迅の素性はよく分からない。
フランス語と英語を織りまぜ流暢に会話をするミステリアスな若者。寛一郎の新たな一面が引き出されているように見える。

『ファントム・スレッド』や『蜘蛛の巣を払う女』、『オールド』等、国際派女優のビッキー・クリープスを相手に見劣りしていない。
◇
だがある日、ちょっとした諍いが原因で、迅は忽然と姿を消してしまう。がっくりと肩を落とすコリーだが、あれは幻だったのだと見切りをつけて前を向く。

コリーが病院で毎日のように対峙する臓器移植を待つ子供たちとの生活と、同棲から失踪へと変化する迅との生活の二つの物語は、けして交わることなく進んでいく。
これは監督が意図的に仕組んだものなのだろうし、観ている分には違和感はないのだが、振り返ってみると、迅の存在とは何だったのだろうかと考えさせられる。
◇
臓器移植医療センターに安価で食事を売りに来てくれる弁当屋の夫婦(尾野真千子、北村一輝)がいる。かつて自分たちも我が子の臓器のドナーを待つ身だったという弁当屋。

『萌の朱雀』で河瀨直美監督に発掘された女優、尾野真千子の渾身の演技は圧巻で、瞬殺で泣かされた。さすがに河瀨組出身だけあって、役を積むことに長けているのだろう。
レビュー(若干ネタバレあり)
ここから若干ネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
いつ届くかも知れぬ臓器移植を待って入院している小学生の男の子や女の子たち。子役の子供たちはみな演技派揃いで感情を揺さぶられる。
みんなが無事に移植を終えて元気に退院してほしいと思うが、それは早くドナーが現れてほしい、つまりどこかで見知らぬ子供が健康な心臓を残して死ぬことを願っていることでもある。日本人らしい倫理観からくる気まずさを、観客である自分たちも感じることになる。
そして、鹿児島で一人の少年が突然の発作で脳死状態になる。
臓器ドナーの説明をする担当医(林泰文)もつらいだろうが、両親(永瀬正敏、早織)の葛藤や悲しみはその比ではない。小児臓器提供同意とは、親が我が子の死を宣告する行為でもあるからだ。
病室の医師や看護師たちが、彼らに敬意を表し頭を下げる。誰かの胸の中で、我が子の心臓が再び脈打つことを両親は切に願う。

話を失踪した迅に戻したい。彼が姿を消してから一年後に、コリーは岐阜に住む迅の両親(中嶋朋子、利重剛)の所在を突き止め、会いに行く。両親は何年も前に彼の捜索願を出していたのだ。
だが、その後に何の手がかりもなく、迅は失踪宣告され法律上死亡となりそうだった。この両親も、残された孫への相続を考え、苦渋の決断で失踪届を出し、我が子に死を宣告したのだ。

法律上は生きているはずの我が子に対し、親がその死を認める。その行為はどこか臓器移植の同意と似ているのかもしれない。
◇
コリーは自分でも知らぬうちに必要としていた迅という存在に、屋久島で運命的に出会え結ばれたというのに、ちょっとした言い争いから、彼を失ってしまう。
迅の壊れたカメラで撮り続けた写真のように、彼の存在はたしかにあったはずの、幻だったのだろうか。
