『リアル 完全なる首長竜の日』
このミス大賞原作を、黒沢清監督が佐藤健と綾瀬はるかの豪華共演で映画化したのに、なぜか不完全燃焼
公開:2013年 時間:127分
製作国:日本
スタッフ
監督: 黒沢清
原作: 乾緑郎
『完全なる首長竜の日』
キャスト
藤田浩市: 佐藤健
和淳美: 綾瀬はるか
米村: 堀部圭亮
相原栄子: 中谷美紀
沢野: オダギリジョー
高木真悟: 染谷将太
晴彦: 松重豊
真紀子: 小泉今日子
勝手に評点:
(悪くはないけど)

コンテンツ
あらすじ
幼なじみで恋人同士の浩市(佐藤健)と淳美(綾瀬はるか)。1年前、漫画家の淳美は自殺未遂により昏睡状態に陥ってしまう。
浩市は淳美を目覚めさせるため〈センシング〉という最新医療によって彼女の脳内へ入っていく。「なぜ自殺したのか」という浩市の問いに、意識の中の淳美は「首長竜の絵を探してきてほしい」と頼むばかりだった。
首長竜の絵を探しながら、何度も彼女の脳内へ入っていき対話を続ける浩市。そんな彼の前に、見覚えのない少年の幻覚が現れるようになる…。
〈首長竜〉と〈少年〉の謎。その謎の先に、15年前にふたりが封印したある事件があった。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
惨憺たる首長竜観賞の日
これ、Wikipediaとかみると、めちゃくちゃ評判のよい作品のように書いてあるのだけど、個人的には全然合わなかった。
公開時の備忘録には、「惨憺たる首長竜観賞の日」というコメントを残していたほどだ。今回は10年ぶりに、乾緑郎のこのミス大賞受賞の原作まで読んで観賞に臨んだのだが、相性の悪さは変わらず。
佐藤健と綾瀬はるかという、アクションからラブロマンスまで何でもできる人気と実力を備えたこの二人を主演に擁しながら、なぜこんな冴えない作品になってしまったのかと不思議に思う。
自殺未遂で昏睡状態が続く恋人の意識下に入り込み、彼女を目覚めさせようとする青年。
眠れる美女は人気漫画家の和淳美(綾瀬はるか)、そしてセンシングという医療技術で彼女の脳内に潜入し説得を試みるのが恋人の藤田浩市(佐藤健)。
何度も脳内に入り込んでは、彼女が締め切りに追われて漫画を描いているマンションの一室に訪れる。

脳内に入り込む映画としては、本作の数年前にクリストファー・ノーランの『インセプション』が公開されている。
「あれは話が複雑すぎて、映画としてはつまらなかった。どれが現実か分からなくなるオチも知恵がない」と黒沢清監督は厳しいコメントを残している。
それについては私も同感だが、かといって、本作がその課題をクリアしているとも思えない。

このジャンルで勝つのは手強い
藤井道人監督が島田荘司原作でとった『幻肢』(2014)という作品も、本作と似たような題材を扱っている。脳に最先端治療を施された記憶喪失患者が、亡くした人の幻をみるようになる話。
ちなみに、『幻肢』では原作と映画でメインキャストの性別を入れ替えていたが、本作も原作では、漫画家の姉が自殺未遂で昏睡している弟の脳内に入っていく。
この男女を入れ替え、姉弟から恋人に設定変更することで、恋愛サスペンス要素を加えたのか。

本作のようなカテゴリーの作品は、結局「夢オチ」と同じように、誰かの脳内の何でもありの世界が描かれているので、面白く見せるには相当の工夫が必要だと思う。
この、脳内世界に入ってその人物と接触するという話を、最も奇想天外な手法と画力で魅せたのが、浦沢直樹の『20世紀少年』だったのではないか。
本作も、小学校時代の思い出、謎のネクラそうな風貌の少年、子供の頃に描いた絵を探す、昔の世界へのタイムスリップなど、『20世紀少年』を彷彿とさせる場面は散見されるが、骨格となるストーリーが弱いのが難点。

J・ホラーとしてなら見所が多い
この映画で最も黒沢清監督らしくて気に入っているのは、フィロソフィカルゾンビと呼ばれる、脳内世界で普通に暮らしている無害な隣人や往来の人々だ。
役者の顔に特別な加工処理が施されていて、能面のような無表情さと、粗い画質が恐怖感を煽る。
漫画雑誌社の編集部のオダギリジョーや染谷将太、淳美の父親の松重豊などが、みな無表情に近づいてくるシーンなどは結構怖い。ゾンビというより、宇宙人が憑依した町の人々といった雰囲気か。
何も言わず、遠くからじっと睨んでいる少年もJ・ホラーっぽくて不気味だ。この辺の演出はさすがにうまい。『回路』の頃のホラー感に近いか。

本作がはじめからホラーとして撮られているのであれば、きっと面白い作品になっただろう。でも、原作を改変し、ミステリーや恋愛SFには姿を変えられたかもしれないが、さすがにホラーにするには無理がある。
首長竜に関しても、「子供の頃に描いた、パーフェクトだった首長竜の絵を探してほしい」と淳美が浩市にお願いするのだが、唐突で意味不明な依頼に、観る者がついていけない。
原作では、弟が上手に書けた首長竜の絵を、祖父に落書きして破かれるというトラウマ級の記憶の話になっており、こっちの方がインパクト大。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見未読の方はご留意願います。
あまり詳細には書かないが、この物語は途中で主人公が入れ替わる。本来はそこがサプライズとなるとともに、みんな納得するはずなのだが、どうにもキレイに決まったとは思えない。
そもそも前半で、淳美の脳内に入っているとき以外にも、どこか非現実的で嘘くさい映像が登場する。それが伏線だったということなのだが、答えが分かっても納得感はない。
◇
首長竜の絵は、子供の頃にあるいじめっ子の海難事故を目の当たりにした淳美と浩市の抱えた秘密の象徴だったというのも、その後にリアルに首長竜を登場させる理由としてはハラ落ちしない。
いや、頑張ってVFXで首長竜を作り上げたサービス精神は見上げたものだと思う。実際、この首長竜の完成度は素晴らしく、人間とも不自然さなく共演できていて、一匹だけとはいえ『ジュラシックパーク』に比肩する出来ばえだった。
でも、出来はよくても、ポン・ジュノの『グエムル』のような巨大生物登場の必然性がない。
◇
これまでSF的な恋愛ものを強引にホラー仕立てにしてきたくせに、最後に恐竜出現というのでは、一体どういうジャンルの映画を見せられていたのか、戸惑ってしまう。
すべてが不自然な物語の中で、最後の恐竜だけが、なぜかリアルに見える。
エンディング曲はミスチルには珍しいほど激しくロックする「REM」。この曲は大好きなのだが、絶望的にこの作品から浮いているのがつらい。