『メイ・ディセンバー ゆれる真実』
May December
13歳少年と36歳女性の不倫、獄中出産、出所後の結婚。トッド・ヘインズ監督が問う、犯罪か、純愛か。
公開:2024 年 時間:117分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: トッド・ヘインズ
脚本: サミー・バーチ
キャスト
エリザベス: ナタリー・ポートマン
グレイシー: ジュリアン・ムーア
ジョー: チャールズ・メルトン
ジョージ―:コーリー・マイケル・スミス
チャーリー: ガブリエル・チュン
メアリー: エリザベス・ユー
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
当時36歳の女性グレイシーはアルバイト先で知り合った13歳の少年と情事に及び実刑となった。少年との子供を獄中で出産し、刑期を終えてふたりは結婚。夫婦は周囲に愛され平穏な日々を送っていた。
ところが23年後、事件の映画化が決定し、女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)が、映画のモデルになったグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)を訪ねる。
彼らと行動を共にし、調査する中で見え隠れする、あの時の真相と、現在の秘められた感情。そこにある“歪み”はやがてエリザベスをも変えていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
May December事件
『キャロル』や『エデンより彼方に』で古き良きアメリカの保守層と、そこで息苦しさにもがきながら生きる同性愛を、独特の色調で描いてきたトッド・ヘインズ監督。
本作もタイトルからは、初夏からクリスマスまでの同性愛ものかと思いきや、” May December”とは、親子ほど年の離れたカップルを指す英語の慣用句らしい。勉強になった。
1996年に実際に世間を賑わせた米国の事件がベースになっている。過去に報道を目にした気もするが、同じ事件から着想を得た『あるスキャンダルの覚え書き』(2006、主演:ジュディ・デンチとケイト・ブランシェット)の記憶と混在しているのかもしれない。
◇
May December事件の概要はこうだ。当時36歳だった妻子ある女性が、若い男と不倫に走る。一見どこにでもある話と思えるが、男性はまだ13歳。
児童への性加害の罪で女は逮捕されるが、獄中でその少年との子を出産。これが世間の注目を浴びた。性犯罪ではない、純粋な恋愛だったのだ。それを裏付けるように、離婚した女は出所後に少年と結婚し、新たな家庭を築く。
映画においても、名前や家族構成など微妙に異なる部分はあるが、大まかにはこの実際の事案と同じことが起きている。
獄中出産をして、出所後に結婚した渦中の女性グレイシーにジュリアン・ムーア。そして夫である韓国系米国人の若者ジョーにチャールズ・メルトン。
興味深いことに、本作はこのスキャンダラスな事件そのものをリアルタイムに再現しているのではない。あれから23年が経過し、当時13歳だったジョーが36歳、つまり関係を持った頃のグレイシーと同い年になった時代を描いている。
そこに、この事件を映画化する話が舞い込み、グレイシーを演じる予定の女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)が、彼女のことを理解したいと、二人の生活に密着し取材を始める。そういう話だ。
グレイシーを取材するエリザベス
冒頭、ジョージア州サバンナの住宅街にあるグレイシーとジョーの家。
大学生の子供たちが騒ぎ、ハリウッドからの来客を歓待するBBQパーティの準備。みんなが珍しそうに迎えるゲストが女優のエリザベス。ここから取材が始まる。
冷蔵庫を開けて「ホットドッグが足りないわ!」と眉を寄せるグレイシーよりも、何者かがいやがらせで排泄物入りの小包を送ってくるのが日常茶飯事だという事実に驚く。
もうすぐ大学を卒業する子供たちを抱えて幸福そうに暮らすこの家族を、今も世間は忘れてくれない。
女優根性のなせる業か、エリザベスはその古傷をえぐるように、遠慮なくグレイシーとジョーに質問を浴びせる。自分の過去の映画化などはいい迷惑なのだろうが、グレイシーは協力的な姿勢をみせる。
ジュリアン・ムーアが若く見えるせいか、36歳のジョーと並んでいても、普通に夫婦にみえないこともない。
だが、親子ほど年齢の離れた夫婦という表現は誇張ではなく、実際、グレイシーの前夫との息子ジョージ―(コーリー・マイケル・スミス)は、ジョーと同級生だった。
エリザベスがグレイシーの関係者を次々に尋ねて取材を重ねていくうちに、この異常な事件が生み出した奇妙な人間関係が浮き彫りになっていく。
グレイシーと別れた前夫、彼女が捨てた子供たち、彼女を支えた弁護士、彼女がジョーと出会い関係を持った、アルバイト先のペットショップ。腫物に触るように、みな一様にグレイシーの事件には口が重くなる。
真相究明の映画ではない
トッド・ヘインズ監督の社会派法廷劇『ダークウォーターズ 巨大企業が恐れた男』でマーク・ラファロが事実を積み上げていき真相にたどり着いたように、本作もこのエリザベスの取材が事件の真相を暴き出すことを観る者はつい期待しがちだ。
ミシェル・ルグランの古い映画の主題歌をアレンジして全編に流しているが、そのサスペンスフルな調べが更にその期待を増幅させている(ジョゼフ・ロージー監督の『恋』に使われた曲だが、ルグランは同じ1971年の『おもいでの夏』の主題歌が有名すぎて、ちと知名度は低い)。
だが、本作の真髄は真相究明ではなく、女優としてグレイシーの懐に飛び込んで内面を理解しようとしたエリザベスが、いつも間にかグレイシーに同化していく過程を楽しむ映画なのだと思う。
その最たるものが、ポスタービジュアルにもなっている、鏡を前にしてグレイシーがエリザベスに自分の普段しているメイクを施してあげるシーンだろう。メイクを終えて並んで顔をみせる二人は、まるで姉妹のようによく似ている。
終盤、グレイシーがジョーに宛てて書いた手紙を台詞のように独白するエリザベスは、まるで本人が憑依したかのようだ。
『スターウォーズ』ではナタリー・ポートマンのアミダラ姫の影武者をキーラ・ナイトレイが演じたが、今回はナタリーがジュリアンの影武者なのだ。
豹変しそうなジュリアン・ムーア
グレイシーとジョーの子供たち二人が大学の卒業を迎える。前夫との子供もその卒業式に出席する。
せまい町のためか、グレイシーが一家でお祝いをしているレストランで新旧の家族が鉢合わせする。怒鳴り合うわけではなく体裁を取り繕うが、何とも異様な光景だ。
一人の母親に対し、前夫との息子と同い年の夫、そしてそれぞれの家族。親がいっぱい登場する映画なら、『オー!ファーザー』から『そして、バトンは渡された』など多数あるが、一人の母親があちこちに子沢山というパターンは珍しい?
『エデンより彼方に』の頃のジュリアン・ムーアならいざ知らず、『キャリー』あたりからの、どう逆ギレ豹変するか分からないジュリアンになりそうで怖い。
おまけに、彼女を愛する良き夫のジョーが、家の中で大事に蝶を育てているものだから、雰囲気は『羊たちの沈黙』、いやジュリアン・ムーアだから『ハンニバル』か。
本作は、ミステリー的な真相究明がない時点でつまらない作品と断じてしまうには、あまりに早計だ。この不思議な過去をもった家族や関係者をエリザベスが取材していく過程は、飽きさせることがない。2時間が物足りなく感じるほどだ。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
夫ジョーの心中
もうすぐ卒業で家をでる13歳差の息子と屋根に寝そべって、ジョーは息子に教わってマリファナを吸う。世間では中年女にレイプされ、その後に結婚した被害者男性と見られているジョー。
「あの時、誘ったのはあなたでしょ」
グレイシーはあくまで、13歳だった彼が主導した恋愛だと主張するが、そんな判断力などガキの自分にはなかったと考えているジョーとは、意見が折り合わない。
二人の間に恋愛感情がなかったとは言わないが、愛する子供たちが巣立ったあとに、夫婦関係が存続するのかは映画では語られない。
若いジョーは最初からエリザベスに惹かれていたのだろう(TVのCMも熱心に見ていたし)。誘惑されて彼女とベッドを共にしてしまうのは、ありがちな話だ。(でもこのシーン、わざわざ入れてR15指定にする必要あった?)
ジョーは自分の苦しい胸の内をエリザベスが理解してくれたと思ったから、関係を持ったのだろう。だが、彼女は、グレイシーを理解するにはジョーに抱かれてみなければという、単なる女優の職業意識で寝ただけなのではないか。
私が理解できたの?
こんなにも周囲の人々を傷つけながら、なぜグレイシーは平然としていられるのか。
「ママは壊れているんだ。二人の兄がいることは知っているだろ。子供の頃に、散々ひどい目にあったんだ。俺は日記を読んだ」
元の息子ジョージ―はそう語るが、どこまでが真実なのか、エリザベスには分からない。事実、グレイシーはそれを否定する。
取材・調査のための滞在が完了し、エリザベスはスタジオに戻ることになる。
「あなた、私が理解できたの?」
「理解できたわ」
エリザベスはグレイシーにそう答え、映画はクランクインする。どんな映画が完成しようと、世間はジョーを被害者と見続けるだろうな。彼は無意識に、蛹の殻を破って空に羽ばたいていく蝶に、自分の願望を重ねているに違いない。
◇
愛には性別差も人種差もないのだと作品で訴えてきたトッド・ヘインズ監督だが、今回は年齢差など関係ないというメッセージではなかったのが意外。