『聖地には蜘蛛が巣を張る』考察とネタバレ|人は避けたいものと出逢うもの

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『聖地には蜘蛛が巣を張る』
 Holy Spider

実際の事件を題材にした、イランの聖地で英雄視される娼婦連続殺人犯の物語

公開:2022年  時間:117分  
製作国:デンマーク
 

スタッフ 
監督:          アリ・アッバシ

キャスト
サイード:    メフディ・バジェスタニ
ラヒミ:  ザーラ・アミール・エブラヒミ
シャリフィ: アーラシュ・アシュティアニ
ファティマ:
    フォルザン・ジャムシードネジャド
ソマイェ:        アリス・ラヒミ
ロスタミ:      シナ・パルヴァーネ
ジーナブ:      サラ・ファジラット
ハジ:        フィルーズ・アゲリ
アリ:         メスバフ・タレブ
判事:       ニマ・アクバルプール

勝手に評点:2.5
(悪くはないけど)

(C)Profile Pictures / One Two Films

ポイント

  • 犯人探しの映画ではない。聖地で起きる娼婦連続殺人。犯人は、街の浄化だと市民に英雄視されていく。キラーからホーリーになっていくスパイダーに、ミソジニーをものともしない女性ジャーナリストが立ち向かう。
  • アリ・アッバシ監督、前作とはまるでテイストを変えてきたが、最後まで行方が見えない緊張感だ。

あらすじ

2000年代初頭。イランの聖地マシュハドで、娼婦を標的にした連続殺人事件が発生した。

「スパイダー・キラー」と呼ばれる殺人者は「街を浄化する」という声明のもと犯行を繰り返し、住民たちは震撼するが、一部の人々はそんな犯人を英雄視する。

真相を追う女性ジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)は、事件を覆い隠そうとする不穏な圧力にさらされながらも、危険を顧みず取材にのめり込んでいく。

そして遂に犯人の正体にたどりついた彼女は、家族と暮らす平凡な男の心に潜んだ狂気を目の当たりにする。

  

レビュー(まずはネタバレなし)

聖地マシュハドの娼婦連続殺人

聖地の闇に狂気が満ちる。監督は『ボーダー 二つの世界』アリ・アッバシだから、てっきりクローネンバーグ風の北欧ミステリーだと思っていた。

だが、ポスタービジュアルの厚化粧の女は、よく見ればペルシア絨毯の刺繍になっているのは何故だろう。その答えはすぐにわかる。

アリ・アッバシ監督はスウェーデンに留学後、北欧で活躍する前は、イランに生まれテヘラン大学で学んだひとなのだ。だから、彼がペルシア語の映画を撮ることは自然な成り行きなのだろう。

本作は実在の事件をベースに描かれた、イランの聖地マシュハドで起きた娼婦連続殺人を描いている。

映画は「人は避けたいものと出逢うものだ」というアリ―『雄弁の道』の一節から始まり、幼い子供を寝かしつけて夜の街に繰り出す娼婦の女

9月11日のテロ攻撃の報道が流される部屋で男との情事のあと、不景気だと嘆きながら次の客を探す。そこに登場するバイクの男。こいつが言葉巧みに女を部屋に招き入れた途端、豹変する。

「子供がいるのよ!」と命乞いするも、哀れ娼婦は絞殺され、死体は遺棄される。

「スパイダー・キラー」、娼婦たちが蜘蛛女なのかと思ったが、この男が殺人蜘蛛なのだ。そしてイラン第二の都市である聖地マシュハドの街の灯は、上空からみればまさに八方に伸びる蜘蛛の巣のよう。

(C)Profile Pictures / One Two Films

聖戦とミソジニー

ここまでがアヴァンタイトル、そして空港には一人の女性が降り立つ。この女性ジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)が、娼婦連続殺人犯を探し求めて聖地で取材を進めていくのが本作の大きな流れ。

既に被害者は9人目。スパイダー・キラーは娼婦を殺すたびに、ラヒミの同僚シャリフィ(アーラシュ・アシュティアニ)に情報を入れてくる。「これは腐敗に対する聖戦なのだ」と。

未婚女性のラヒミは、上司のセクハラ被害でテヘランの本局からこの地に飛ばされ、ホテルでも未婚女性は一人では泊まれないと婉曲に嫌がらせを受け、警察の責任者ロスタミ(シナ・パルヴァーネ)からも、立場を利用して執拗に口説かれる。

(C)Profile Pictures / One Two Films

イランの町に根強く残る女性蔑視ミソジニー。そんな扱いを受けてきたからこそ、ラヒミは娼婦殺しの犯人に一層敵意を抱き、執念深く犯人を追う。

だが、本作は犯人探しのミステリーではない。家では厳しいが妻や子供たちを愛する退役軍人で建築業を営むサイード・ハナイ(メフディ・バジェスタニ)

この男が、毎夜娼婦を待ちで拾っては、密室に誘い込み、渡したカネを数えている隙に女の髪を覆っているヒジャブを使い首を絞める。

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ホーリー・スパイダー

けして性に飢えた猛獣でもなく、殺人を好むサイコパスとも違う。ただ、聖地でアヘンに溺れ客をとる浅ましい娼婦たちに制裁を加え、街を浄化しているのだ。

戦争が長引いていれば殉教できたはずなのに、死にきれなかった男が、自らに課した尊い行い。男の指には、敬虔な信者の証である赤い瑪瑙めのうのリング

獲物を求めて街を走り回る男のバイクのエンジン音と低音のテーマ音楽を融合させた、マーティン・ディルコフによる音響デザインがあまりに自然に馴染んでいる。

本作でユニークな点は、この「スパイダー・キラー」が、いつの間にか「ホーリー・スパイダー」となっていることだ。

生活のために仕方なく娼婦となって街に立っている女たちを非情に殺害していくシリアルキラーは、当然ながら悪いヤツとして描かれるものだ。

それは本作においても例外ではなく、何人もの娼婦を殺し、また自ら囮となって犯人に近づくラヒミの息の根を止めようとするサイードは、得体の知れない恐ろしい殺人鬼して描かれてはいる。

だが、途中から、世間の受け止め方が変化してくる。多くの市民にとって聖なる蜘蛛ホーリー・スパイダーは、町を汚し聖地を冒涜している娼婦たちを、次々と始末してくれる英雄なのだ。

(C)Profile Pictures / One Two Films

その男は英雄か

イスラムの過激な思想に感化された少年が武器を持つ、ダルデンヌ兄弟『その手に触れるまで』を思い出した。ただ、あの作品は周囲が少年の暴走を食い止めようとしたが、本作では多くの市民がサイードに応援の手を差し伸べる。

そんなことはあるものかとも思うが、わが国においても、元首相を襲った銃撃事件の実行犯は、それが犯罪であることが明白にもかかわらず、相当数の支援者が集まっているではないか。

さすがに両事件を並べて論じることは乱暴だとは思うが、例えば京都の神社仏閣で客を取るような娼婦連中が現れて、それを次々片付けていく殺人犯がいたとすれば、本作のように相応の支持が得られることは想像に難くない。

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本作の終盤は裁判劇になるが、はたして、サイードとラヒミのどちらに軍配があがるのか、なかなか見当をつけにくい展開になっている。

常識的にはラヒミが勝つべきだが、サイードは多くの市民を味方につけ、妻も子供も彼が英雄であることを微塵も疑わない。そして裁判に絡む法曹関係者も、本心では彼の生き方に賛同しているようだ。

果たして、勝敗はどっちに転ぶのか。

Holy Spider new clip official from Cannes Film Festival 2022

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

サイードは家族にとって誇り

殺した娼婦をカーペットで巻いて隠していたら足がみえて妻に見つかりそうになったり、太った娼婦を絞め殺そうとしたら「そういうプレイが好きなの?」と馬乗りにポジションを取られ返り討ちに遭いかけたり

サイードが犯行を重ねる中で、ところどころ笑ってしまう場面もあるが、実際の事件をベースにしていると思うと、複雑な思いだ。

(C)Profile Pictures / One Two Films

2000年代初めの頃アリ・アッバシ監督はまだイランに住んでおり、この事件に関心が高かった。サイードは16人もの女性を殺して裁判にかかったにも関わらず、一部の市民は保守系メディアから、宗教的な務めを果たしたと英雄視される。

夫の犯罪行為に露ほどの疑いも持たず娼婦が悪いと言い切る妻、そして盲目的に父を信じる息子が怖い。

父サイードが逮捕されても町の大勢の人たちに、「お前が後を継げよ、と応援されるんだ」と言い、幼い妹を娼婦役にして自慢げに父の殺人手法を再現してみせる息子。不気味過ぎる。

(C)Profile Pictures / One Two Films

最後まで読めない結末

眼光の鋭い女性ジャーナリスト、ラヒミ役のザーラ・アミール・エブラヒミは当初キャスティング・ディレクターで参画していたが、諸般の事情から自身が出演することになる。

彼女は実生活でも流出スキャンダルでイランの芸能界を追放された経緯があり、ラヒミ役と重なる部分があったようだが、そんなことは別にして、登場シーンの表情ひとつで適材だと分かる。

女性蔑視の社会環境や、イランの裁判の様子などは、アスガル・ファルハーディー監督の『彼女が消えた浜辺』『別離』といった作品を思わせる。判決は出るが、はたしてこの国の裁判がどのくらい信用できるものなのか、手がかりがない。

「絞首刑で死刑囚は窒息死するのではなく、頸骨が砕けて死ぬんです」

判決を聞いて、先週観た石井裕也監督の『月』磯村勇斗が語る台詞を思い出してしまった。はたして砕ける音はするのか、英雄を土壇場で逃がす有力者はいるのか、最後の一瞬まで気が抜けない映画だった。