『その手に触れるまで』 考察とネタバレ:ソフトな邦題だが信仰はハード、触ったら水で清めるのが少年の習慣

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『その手に触れるまで』
 Le jeune Ahmed

ダルデンヌ兄弟、今回はイスラム原理主義に傾倒する少年の悲劇。洗脳からの更生の難しさは年齢不問だ。気立ての優しそうな13歳の少年の心に潜む、頑ななイスラムの神への信仰心。周囲の人々の温かさが救いだ。

公開:2020 年  時間:84分  
製作国:ベルギー

スタッフ 
監督: ジャン=ピエール・ダルデンヌ
    リュック・ダルデンヌ

キャスト
アメッド:  イディル・ベン・アディ
イネス先生: ミリエム・アケディウ
アメッドの母:クレール・ボドソン
教育官:   オリヴィエ・ボノー
ルイーズ:  ビクトリア・ブルック
導師:    オスマン・ルーメン

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(C)Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinema – Proximus – RTBF

あらすじ

13歳のアメッド(イディル・ベン・アディ)はどこにでもいるゲーム好きな普通の少年だったが、尊敬するイスラム教の導師(オスマン・ルーメン)に感化され、次第に過激な思想にのめりこんでいく。

親身に彼に語学を教えてくれている放課後クラスのイネス先生(ミリエム・アケディウ)。彼女をイスラムの敵だと考えはじめたアメッドは、先生を抹殺しようと企む。

レビュー(まずはネタバレなし)

ダルデンヌ兄弟が原理主義に斬り込む

ダルデンヌ兄弟による、過激な宗教思想にのめりこみ教師を殺害しようと試みた少年の姿を描いた、カンヌ映画祭の監督賞受賞作品。

ケン・ローチと同様に、社会的な問題をクローズアップした作品の多いダルデンヌ兄弟『息子のまなざし』『少年と自転車』『ある子供』など、タイトルからも少年を扱った作品が多いことが窺える。

本作もその少年もの、それも相当に過激である。

アメッド少年が、つい最近まではゲームに夢中だった普通の13歳だったというのは、母親(クレール・ボドソン)の台詞で語られるのみだ。

映画の中のアメッドは、放課後クラスのイネス先生とのさよならの握手さえ、「大人のムスリムは女性に触らない」と拒絶するようになる少年として登場する。

アメッドが尊敬する導師に感化され、イスラム教に過剰なまでに傾倒し、過激な思想にのめり込んでいる日常が印象深い。

定められた時間に礼拝を欠かさないのは無宗派の私でも理解できるが、執拗に体を清め、コーランをひたすら頭に叩き込み、教えに背くと思われたものには一切の妥協を認めない。

まだ少年なのに、というより、世間知らずの年齢ゆえに、この潔癖さを貫いて盲信してしまうのだろう。

(C)Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinema – Proximus – RTBF

聖戦の標的となったのは誰か

放課後クラスのイネス先生は彼に読み書きを教えた、識字障害克服の恩人だ。

だが、ある日、先生は歌を通じて、日常会話としてのアラビア語を学ぶ授業を提案する。コーランの学びを優先すべきかには、保護者たちにも賛否両論ある。

本作の舞台はベルギー。都市によっては、イスラム教徒が半数を占める町もあるらしい。

一部の過激派のイスラム教徒が、パリ同時多発テロやブリュッセル爆発に関与した事実もあり、過激派のテロリズムは身近な脅威として存在している。

聖なる言葉を歌で学ぶなど冒涜的だ。その教師は背教者だ、“聖戦の標的”だな」

導師のその言葉で、少年は動き出してしまうのだ、ナイフを足元にしのばせて。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからはネタバレがありますので、未見の方はご留意願います。

アメッド少年の更生はなるか

映画の公式サイトには、少年がナイフを隠して先生の家を訪ねて以降の話も、詳細に紹介されているが、ネタバレに近いので、本欄以降で書きたい。

結局少年の襲撃は失敗し、未遂に終わる。頼りにした導師からは、
「勝手に動くな。俺は何も指示していない。モスクのため、家族のため、自首しろ」
と突き放される。

汚い大人のやり方だが、少年は導師に切り捨てられたとは思っていないのだろう。結局少年院に送られる。

この少年院には教育官(オリヴィエ・ボノー)もおり、周囲の優しさに触れるうちに少年は更生するものと信じて観ていた。

だが、アメッド少年のイスラム熱は醒めるところを知らない。定刻に礼拝ができないと、発狂したように暴れ出す。

そして、手に入れた歯ブラシの尖端を念入りに鋭く研ぎ、先生への謝罪面会の機会に、再度襲撃してやろうと企むのだ。勿論、更生して人格が矯正されたフリをして。なんという執念、なんという狡猾さ

だが、残念ながら、いや幸運にも、先生は対面した途端に泣き崩れ、面会は中止に。またも未遂に終わる。

更生プログラムで行う農場作業で出会った農場主の娘・ルイーズ(ビクトリア・ブルック)が、大胆かつ積極的にアメッドのくちびるを奪う。

これはコーランの教えに背く! 俺は地獄行きだ。せめて、ルイーズを改宗させ罪を軽減しようとするが、彼女は強制されたくないと突っぱねる。

衝撃を受けるアメッド、歯ブラシで刺してしまうのではないかとヒヤヒヤした。

(C)Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinema – Proximus – RTBF

驚きのラストだが、納得はできない

ここから後の展開は目が離せない。少年院に戻る途中のクルマから脱走したアメッドは、バスに潜り込み、先生のいる教室に向かう。ターミネーター並みの執拗さだ。

途中の庭で拝借した釘のような凶器を携え、目的地に着くが、扉や窓は施錠されており、やむなくアメッドは上階へとよじ登り侵入しようと窓枠に足をかける。

そして、壊れた窓枠とともに、地面に落下してしまうのだ。

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結局、凶器となるはずの釘で壁を打ち鳴らし助けを求めたアメッドに、気づいたのはイネス先生だった。何も考えずに彼の身を案じ、救急車を呼ぼうとする彼女に、彼は初めて謝罪と感謝の意を伝えるのだった。

彼女の慈愛に、アメッドはようやく改心することができた、ということか。

さて、このラストは正直に言って驚きであった。いや、改心してもとの13歳らしい素直な少年に戻ってくれたのなら、それは良いことだし、ダルデンヌ兄弟らしい仕上げだとは思う。

だが、二階から落ちた痛みに耐えきれず、改宗してしまうような見せ方は、どうにも腹落ちしない。私は何かを見落としたのか。

だって、あの釘は凶器のつもりだったろうに。緊急時に壁を叩いて人を呼ぶ為に持ち歩いたのではあるまい。

本当は彼も心のどこかで改心やブレーキを欲していたのに、盲信し猛進する自分を止めてくれるものがなかったのか。神が彼に痛みを与えるまでは。

カンヌ映画祭の監督賞は、このイスラム過激派に傾倒していく少年という重たいテーマを選び、芸術的に描き出したダルデンヌ兄弟の功績に捧げられたもので、ラストの在り方は評価対象外だと思いたい。

勿論、あのまま二階から侵入して初志貫徹されるのは、後味が悪いので御免だけれど、痛みによる改宗では、ルイーズが拒絶した<強制される受容>になってしまうのではないかと思う。