『用心棒』『荒野の用心棒』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

黒澤明『用心棒』とリメイク作品『荒野の用心棒』比較レビュー

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『用心棒』

黒澤明監督の娯楽時代劇の傑作『用心棒』と、それをセルジオ・レオーネ監督が西部劇に設定し直した『荒野の用心棒』。

公開:1961 年  時間:110分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:        黒澤明
脚本:          菊島隆三


キャスト
桑畑三十郎:       三船敏郎
新田の卯之助:      仲代達矢
新田の丑寅:       山茶花究
新田の亥之吉:      加東大介
馬目の清兵衛:     河津清三郎
清兵衛の妻おりん:   山田五十鈴
清兵衛の倅与一郎:    太刀川寛
用心棒本間先生:      藤田進
居酒屋の権爺:     東野英治郎
棺桶屋:          渡辺篤
小平の妻ぬい:       司葉子
百姓小平:        土屋嘉男
百姓の小倅:       夏木陽介
絹問屋多左衛門:     藤原釜足
造酒屋徳右衛門:      志村喬
番太の半助:      沢村いき雄
無宿者の熊:        西村晃
無宿者の瘤八:       加藤武

勝手に評点:4.0
(オススメ!)

『荒野の用心棒』
Per un pugno di dollari/ A Fistful of Dollars

公開:1964 年  時間:96分  製作国:イタリア

スタッフ 
監督:        セルジオ・レオーネ

キャスト
ジョー:    クリント・イーストウッド
ラモン・ロホス:
       ジャン・マリア・ヴォロンテ
ドン・ミゲル・ベニート・ロホス:
         アントニオ・プリエート
エステバン・ロホス:ジークハルト・ルップ
マリソル:      マリアンネ・コッホ
ジョン・バクスター保安官:
        ウォルフガング・ルスキー
ドナ・コンスエラ・バクスター:
          マルガリータ・ロサノ
アントニオ・バクスター:  
         ブルーノ・カロテヌート
鐘つきフアン・テディオス: 
          ラフ・バルダッサーレ
シルバニト:       ホセ・カルヴォ
棺桶屋ピリペロ:    ヨゼフ・エッガー

勝手に評点:2.5
(悪くはないけど)

あらすじ

二組のやくざ(ギャング)が対立するさびれた宿場町。そこへ一人の浪人者がふらりと流れ着く。

男はやがて巧みな策略で双方を戦わせ、最後には自らの刀(銃)を抜きやくざ(ギャング)たちを倒す。

町の平和を取り戻した彼は、またいずこへとも知れず去っていく……。

今更レビュー(ネタバレあり)

娯楽時代劇に徹した黒澤明

黒澤明監督が、前作『悪い奴ほどよく眠る』の興行的な失敗を取り戻すために、娯楽映画に徹した時代劇。胸のすくようなエンタメ性を追求していながら、リアリズムを蔑ろにしていない点がいかにも黒澤的だ。

いわゆるチャンバラ活劇的な、主人公に一人ずつ順番を待って襲いかかっては斬られるスタイルではなく、リアルな殺陣を採り入れている。

試行錯誤の結果、鶏肉に割りばしを刺して作った刀の斬殺音を使用しているのも、当時は先進的な取り組みだった。

物語はダシール・ハメット『血の収穫』を参考にしたというハードボイルド。

風来坊が流れ着いた宿場町では二人のボスが賭場の利権を巡って対立しており、棺桶屋だけが繁盛している有様。その風来坊は自分を用心棒として雇うように両者を巧みに渡り歩き、抗争を激化させて共倒れを画策する。

(c)東宝

その話の面白さに目を付けたセルジオ・レオーネ監督が、『用心棒』の時代設定を西部劇に作り変えたのが、クリント・イーストウッドの初主演作となる『荒野の用心棒』。イタリア製作の西部劇で、淀川長治が名付けたいわゆる<マカロニウエスタン>の一作である。

黒澤作品は以降も海外で形を変えてリメイクされるが、本作に関しては、正規な契約のない盗作であり、後日東宝から訴えを認め、和解金を支払っている。

まあ、主人公が村に足を踏みいれる冒頭の場面こそ両者で異なるが、居酒屋に入って町の様子を聞き、隣家では棺桶屋が仕事に精を出すというシーンから早くもパクリは明白

ここまで模倣してもバレると思わない牧歌的な時代だったのだろう。

三船とイーストウッド

『用心棒』の主人公は、三船敏郎演じる浪人の桑畑三十郎。このひとは『椿三十郎』でも庭を眺めて思いついた名前を名乗っていたが、本作では桑の畑を見て適当に名乗る。

あごをさすって肩をいからせて歩く三船敏郎独特のスタイル。

<用心棒>というから、腕に覚えがある剣客が次々に敵を斬って村人を助ける話かと思えば、対立する組織を言葉巧みに突っついて、戦わせて自滅をねらうという人を喰った展開が面白いではないか。

その主人公に実力がなければ、ただの喜劇になってしまうが、桑畑は両陣営が高給で雇いたくなるような腕の立つ剣客なのである。

三船敏郎が村に入ってきたときに、誰かの斬られた手を咥えた犬が歩いてくる。荒れた村の様子を分かり易く表現する場面だが、『荒野の用心棒』ではガンファイトなのでこの表現は馴染まず、別案を採用。

ただ剣客をガンマンに設定変更しただけでなく、それに付随していろいろな部分を西部劇風にアレンジしている。物語としてはうまく機能しており、両者を比較さえしなければ、これはこれで面白い作品になっていると改めて感じた。

何人ものゴロツキを相手に立ち回りを見せる三船敏郎に対して、クリント・イーストウッドの演じる主人公ジョーは早撃ちがウリのガンマン。従って、勝負はいつも瞬時にカタがついてしまう。

これは西部劇の特徴でもあり、そこに醍醐味があるのだとは思う。だがこうして見比べると、映画的には斬り合いに間を持たせた時代劇のほうが楽しめ、西部劇は秒殺なので味気ないように感じる(日本人の感覚だからか?)。

二つの対立組織について

『用心棒』は賭場の元締めである馬目の清兵衛一家と、そこから独立した新田の丑寅一家の抗争。清兵衛一家は、清兵衛(河津清三郎)のほか、恐妻のおりん(山田五十鈴)と頼りない倅の与一郎(太刀川寛)、その他大勢の子分たち。

一方の丑寅一家丑寅(山茶花究)を家長に、剛腕だがちょっと抜け作の弟・亥之吉(加東大介)、そして途中から参戦する切れ者の弟・卯之助(仲代達矢)という家族構成。

この卯之助がキャラ立ちしており、懐に銃をしのばせる二枚目の悪党。こいつが人妻のおぬい(司葉子)を言葉巧みに借金のかたで自分のものにしており、それを桑畑が救出するというドラマ展開につながる。

そして、孤軍奮闘の桑畑の唯一の味方が、居酒屋主人の権爺(東野英治郎)となっている。

一方の『荒野の用心棒』。対立するのは銃市場を牛耳るジョン・バクスター保安官と酒の市場を支配するロホス兄弟

バクスター家は悪徳保安官のジョン・バクスター(ウォルフガング・ルスキー)と妻のドナ・コンスエラ(マルガリータ・ロサノ)、息子のアントニオ(ブルーノ・カロテヌート)

ロホス陣営はドン・ミゲル・ベニート・ロホス(アントニオ・プリエート)に弟のエステバン(ジークハルト・ルップ)

更にもう一人の弟、切れ者のラモン(ジャン・マリア・ヴォロンテ)は、人妻のマリソル(マリアンネ・コッホ)を軟禁している。

そして、主人公ジョーの唯一の味方は居酒屋のシルバニト(ホセ・カルヴォ)と、登場人物の構成は概ね『用心棒』を踏襲。

全体を通じた比較雑感

全体を通じて言えることだが、やはり隅々にこだわりを感じる黒澤明の作品に比べると、リメイクはとても本家には及ばない。

まずはキャラクター。本家の主人公の三船敏郎に対して無名のクリント・イーストウッドはよくやっていると思うが、その他のキャラはやはり『用心棒』に分がある。対立組織の面々のキャラ立ちの鮮やかさが違う。

目立っているはずの卯之助ラモンを比較しても、前者に色濃くあったダークヒーローの魅力が後者には希薄だと感じるのは、我々が仲代達矢を知っているからということだけではないだろう。

カメラのアングルの妙も、さすが黒澤映画だと思う。居酒屋をはじめとした日本家屋の格子窓越しにみえる隣家の動きや、砂埃が舞う街中に大勢でやってくる敵との対決シーンで、突如横に流れていく桑畑の動きの斬新さ。

主人公が囚われの人妻を救出してやったあとに、それを対抗相手の仕業に見せかけたのがバレる場面でも、うまく手紙という小道具を使った黒澤の方が芸が細かい。

また、リンチにあい監禁された主人公が脱出するプロセスも、酒樽を転がして相手を押しつぶすという大技にでたセルジオ・レオーネ監督は、ちょっと悪ノリしすぎた。

盗作であった『荒野の用心棒』が、リメイクが本家に勝てない例に漏れないはずもないが、それでもセルジオ・レオーネ監督とクリント・イーストウッドの邂逅という点では、大いに意義深い作品となった。

『荒野の用心棒』から『続・夕陽のガンマン』までのクリント・イーストウッド主演の「ドル箱三部作」により、やがてレオーネ監督は名作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』にたどり着くのだから。

黒澤明監督にはいくつか娯楽要素の高い作品もあるが、本作はその中でも代表的な時代劇のひとつといえる。

盗作騒動の一件から、リメイク権の相場とハリウッドの市場の大きさを知り、黒澤監督は世界市場の進出に関心を高めていったと言われる。

かつてカンヌ国際映画祭で黒澤明監督の『夢』の上映の際、クリント・イーストウッドが突如現れて、「ミスタークロサワ、あなたがいなかったら、今の私はなかった」と感謝の言葉を告げたという。

今日の映画産業を支える、運命的な二本の作品だったといえるかもしれない。