『TAR/ター』
Tár
ベルリンフィル初の女性首席指揮者リディア・ターが巻き込まれるサイコスリラー。ケイト・ブランシェットの新たな代表作。
公開:2023年 時間:158分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督・脚本: トッド・フィールド キャスト リディア・ター:ケイト・ブランシェット フランチェスカ: ノエミ・メルラン シャロン: ニーナ・ホス オルガ: ゾフィー・カウアー アンドリス: ジュリアン・グローヴァー セバスティアン: アラン・コーデュナー カプラン: マーク・ストロング クリスタ: シルヴィア・フローテ ペトラ: ミラ・ボゴイェヴィッチ マックス: ツェトファン・スミス=グナイスト
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター(ケイト・ブランシェット)。
天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。
そしてある時、かつて指導した若の死をきっかけに、彼女の完璧な世界は少しずつ崩れ始める。
レビュー(まずはネタバレなし)
ベルリンフィル初の女性首席指揮者
クラシック音楽の世界で名を成し、絶対的な存在として君臨する美しき女性指揮者リディア・ター。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団における女性初の首席指揮者であり、作曲家としても指揮者としても当代随一。
俗にEGOTと称するらしい、エミー賞(E)・グラミー賞(G)・アカデミー賞(オスカーのO)・トニー賞(T)のグランドスラムを果たすアーティスト界のレジェンド。
◇
そのリディア・ターを演じるのは、まさにこの彼女しかいないだろうという、カリスマ性と気品の女優・ケイト・ブランシェット。似合いすぎる。
冒頭、ステージ前で苛立ちを抑えて精神統一、誂えるブラウスのデザインは、襟の形からボタンの形状まで細かい指示が入り、床に敷き詰めたLPを足で踏みつけて曲を思案。
卓越した音楽的な才能と、周囲にあたりちらす気難しい性格と、そして同性愛者という、彼女のプロフィールがものの数カットのうちに説明不要で伝わってくる。
てっきり実在の人物の映画かと
監督は、『リトル・チルドレン』(2006)から16年ぶりの新作となるトッド・フィールド。
初監督作『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)でサンダンス映画祭の絶賛を浴びてから、本作がまだ三本目の寡作のひとだが、相当英気を蓄えていたとみえる。
◇
監督の演出力と、体中から発散されるケイト・ブランシェットの本物感で、私はすっかり本作は実在の人物を描いた作品と信じていた。
でも、クラシックの楽団の話なので、時代背景は少し古いのかと思っていると、リディアは「コロナ禍でも頑張りましょう」などと語っている。
そんな現代でEGOTをはじめ音楽界でこれだけ活躍している女性指揮者を、俺はこれまで全く知らずにいたのか。少々愕然としていたのだが、それも道理で、リディアは架空の人物なのだった。
まずはゆったりとした序盤戦
映画は158分と、この手の地味な題材にしては長めだが、特に序盤にたっぷり時間がかけられている。
まずはステージの上での公開インタビュー。指揮者に対するジェンダー差別が今も存在することへの不満をリディアからひきだす。
指揮者とはメトロノームのような存在かと問われ、リディアは、指揮者は全ての時間を司り、終演までの時の流れを支配する存在、と語る。
◇
次には支援者であるエリオット・カプラン(マーク・ストロング)との食事での音楽談義。彼女がどのようにこの世界をのし上がってきたかが垣間見られるようだ。
シーンが変わるたびに10分以上の会話劇があり、これによってリディアの人物像が鮮明に浮かび上がってくる。お次はジュリアード音楽院でも教鞭をとることになったリディア。
アフリカ系の青年マックスを指名したが、バッハは女性差別的で音楽を認める気にならないと主張する彼に、芸術と人格は別物と心得なさいとしつこく説く。
はじめのうちは、ター教授の白熱教室かと思ったが、次第に教師が高圧的に主義主張を押し付ける『セッション』(デイミアン・チャゼル監督)のスパルタ教室のようになり、ついにマックスは「ビッチめ」と捨て台詞を吐いて去っていく。
このあたりから、ようやく不吉な出来事が芽を出し始める。
栄光の歯車が狂い出す
リディアはパートナーのシャロン(ニーナ・ホス)と養女のペトラ(ミラ・ボゴイェヴィッチ)とともに大きな部屋に暮らしている。ペトラが学校でいじめられていると聞き、その相手をこっそり脅迫するリディア。
◇
そんな彼女がこれまで正論をかざして相手の心情も介さずに、周囲をかき回し続けてきたことで、多くの人々の恨みを買う。
きっかけとなったのは、リディアが忙しさにかまけて見放している若手女性指揮者クリスタ(シルヴィア・フローテ)の自殺。
それ以外にも、リディアが雑用係としてこき使う、指揮者志望のフランチェスカ(ノエミ・メルラン)にも面従腹背の匂いがするし、パートナーのシャロンとの間にも、ちょっとしたギクシャクがある。
そして、ベルリンフィルでは高齢の副指揮者セバスティアン(アラン・コーデュナー)の首をすげ替える。
また新規採用のチェロ奏者オルガ(ゾフィー・カウアー)を気に入ったリディアは、オルガの得意な楽曲をコンサートの演奏曲に選び、第一奏者ではなくオルガにソロを取らせる。
こうして、彼女の栄光の世界の歯車が狂い出す。
サイコスリラーだった
本作はサイコスリラーなのだ。そうとは知らずに、私は実在する女性指揮者リディア・ターの伝記映画と疑いもせず観ていた。
無理もない。字幕も出ないが、リディアがベルリンフィルの連中と交わすドイツ語の会話も堂に入っているし、演奏をめぐるやりとりも、実際に彼女が指揮棒をふる演奏も、本物としか思えない臨場感だ。
だから、演奏中心で観ていても、それはそれで違和感なく映画の世界に没入できてしまう。
そこに、執拗なドアホンの連呼、朝の公園の悲鳴、部屋に置かれたメトロノーム等、怪現象が自然と重ね合わさるものだから、スリラーと思って見ているよりサプライズがある。
これらの怪現象には、何者かが企んだものと、リディアの精神状態から生じたものが混在しているように思うが、いずれにせよ、上質なサスペンスの雰囲気を醸すことに成功している。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
ケイトブランシェットの凄さ
ケイト・ブランシェットは本作でヴェネチア国際映画祭の女優賞を受賞。
怖い女では『ナイトメア・アリー』の悪女、強い女では『マイティ・ソー バトルロイヤル』のソーも恐れる姉貴、同性愛者としては『キャロル』の人妻など、本作の土台となったであろう過去作の名演が思い出される。
でも、私が最もイメージが重なったのは、オスカーを始め数々の賞を獲ったウディ・アレンの『ブルージャスミン』。
精神が少し病んで、ハイソな階層から下の層に落ちていく主人公ジャスミンの姿は、そのまま本作の終盤に重なるではないか。ジャスミンに代わる代名詞となったかもしれない。
強かに生き抜いてきた者の周囲には、同様に人を蹴落としてのし上がっていこうとする追随者が集まってくる。
助手のフランチェスカは、自分を副指揮者に選ばなかったリディアに愛想を尽かし、急遽退職すると自殺したクリスタからの告発メールやジュリアードの授業風景動画を悪用し、SNSによってリディアに社会的制裁を与える。
抜擢したロシア人のチェロ奏者オルガも抜け目ない。貧しいアパートに住むベジタリアンを装いリディアの気を惹きソリストの座を射止めると、あとは彼女を利用してのし上がることしか念頭にない。
◇
いつのまにかリディアは、世間からも、ベルリンフィルの団員からも白眼視される存在になる。
精神が壊れて、帰っていった場所
とどめを刺したのは、アパートの隣家か。老母が亡くなり、遺族は部屋を売るから内見の時に演奏するなと言いにくる。もう、リディアの奏でる音楽は騒音になり果てたのだ。
バンドネオンを弾いて狂ったように歌う彼女も怖いが、自分が出られないコンサート会場に行き、代役の指揮者カプランに殴りかかる姿が哀れだ。
だが、気持ちは分かる。彼女は高慢で人に嫌われるタイプではあるが、こと音楽には真摯に向き合ってきた。
そんな彼女が暴漢に襲われても(実は転倒しただけ)リハーサルを続け、完成度を高めてきたマーラーの本番演奏を、こんな人まね野郎のロボット指揮者のカプランに譲る気にはなれないはずだから。
◇
結局すべてを失い、久々に生家に戻り、自室に若き日に録りためた師バーンスタインの指揮のビデオを観て涙を流す。彼が語る音楽の素晴らしさを、自分はどこかで見失ったのではないか、と。
モンハンとは驚いた
リディアはフィリピンと思しき東南アジアの町に新しい仕事にでかけ、そこでマッサージ店に行くと、オケのような配置から好みの女性を選ばされる。断罪されたように打ちのめされるリディア。
ラストで彼女が指揮棒を振るのは、なんとモンスターハンターのゲーム音楽の演奏会。
ヘッドフォンを装着し指揮をする。スクリーンのゲーム映像と、生演奏、そしてヘッドフォンからのゲーム音を、コスプレしながら楽しむ聴衆。他のシーンと同様、ここも何の説明台詞もない。
◇
公式サイトでは、これがハッピーエンドなのかを投票させている。意味不明な企画だ。
リディアを音楽会の頂点から落ちぶれたブルージャスミンとみればアンハッピーだろう。だが、ここで彼女は、バーンスタインの教えに沿って音楽の原点にもう一度立ち返ったのではないか。吹っ切れた表情が明るい。
何より、私はモンハンの愛好家でもないが、クラシックよりもよほど将来性を感じてしまう。ハッピーエンドに一票を投じよう。