『母なる証明』
마더
韓国の母キム・ヘジャを起用しポン・ジュノ監督が撮った母と息子のドラマは、あなたの想像を覆す展開。
公開:2009 年 時間:129分
製作国:韓国
スタッフ 監督・脚本: ポン・ジュノ 脚本: パク・ウンギョ キャスト 母親: キム・ヘジャ トジュン: ウォンビン ジンテ: チン・グ ジェムン刑事: ユン・ジェムン アジョン: チョン・ミソン 廃品回収老人: イ・ヨンソク ジョンパル: キム・ホンジプ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
韓国。平和な地方の町で女子高校生が何者かに殺される事件が起き、漢方薬店で働く母親(キム・ヘジャ)の息子であり、知的障害がある青年トジュン(ウォンビン)が事件の容疑者として逮捕される。
だが母親はトジュンにジンテ(チン・グ)という素行の悪い悪友がいたこともあって息子の無実を信じ、独自に事件の真相を究明すべく行動を開始。
犯人がトジュンであると思われたのはトジュンの自白と、トジュンの持ち物であるゴルフボールが犯行現場で発見されたからだったが…。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
息子を溺愛する母
『グエムル-漢江の怪物-』(2006)のヒットから3年、途中にオムニバス映画『TOKYO!』(2008)でカラックスやゴンドリーをねじ伏せるキレ味の短編を放ち、次にポン・ジュノ監督が撮ったのは母の愛を描いた本作。
冒頭、見渡す限りの枯野をただひとり歩いている母(キム・ヘジャ)が途中から踊り出す。
アーティスティックなシーンだが、本人は心が空っぽのようで半ば茫然自失としている。これはイメージショットのようだが、映画を観終われば、その意味に気づく。
広大な枯野のシーンからタイトルをはさみ、せまく薄暗い家の中に場面は移る。漢方薬店の仕事で薬草を裁断している母。家の前の通りには息子のトジュン(ウォンビン)が悪友ジンテ(チン・グ)と談笑している。
そこにベンツが横切り、犬を轢き逃げ。二人はベンツを追いかける。母は自分の指を裁断しかけるが、それよりも息子の身を案じている。このワンシーンでも溺愛ぶりが伝わる。
このベンツにゴルフ場で追いつくが、その際にサイドミラーを折ったことでトジュンは賠償騒ぎに巻き込まれ、それだけでも母には心配の種だが、続いて少女アジョン(チョン・ミソン)の遺体が廃屋の屋上で発見される。
現場にはトジュンがゴルフ場で拾って自分の名前を書いたロストボールが。こうして彼は容疑者として逮捕される。そこから母の猛攻が始まる。
キム・ヘジャとウォンビン
主演は監督が熱望したキム・ヘジャ。10年ぶりの映画出演ではあるが、韓国では<国民の母>として知られる女優である。
山本海苔店CM起用の山本陽子みたいに、韓国を代表する故郷の味の調味料ダシダのCM専属モデルを1975年から27年間もやっていた。ダシダ、日本でいえばほんだしか。かつお風味のポン・ジュノ。
韓国でオモニ(母)となればキム・ヘジャが思い浮かぶのだろう。本作はまさにこのオモニの映画であり、だから英題も「Mother」。役名だって単に母親という潔さ。(邦題を『母なる証明』に変えたのは印象に残りやすくて好判断だったと思う。)
このオモニが溺愛する息子トジュン役にウォンビン。甘いマスクで韓流ブームを生んだ立役者の一人だが、2005年に徴兵制度で従軍。本作が復帰第一作となる。
本作の翌年には『アジョシ』(2010)で本来のアクションスターぶりを発揮するものの、復帰早々に知的障害のある青年役というのは、当時意外に思った記憶がある。
知的障害のある若者が事件の容疑者として逮捕され、刑事たちと現場検証に臨む姿は、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003)と全く同じ構造だ。ウォンビンは取り調べで逆さ吊りにはされないけれど。
息子の冤罪晴らし
トジュンは、しっかりとした受け答えをする時もあるが、すぐに記憶が曖昧になり、言動もおかしくなる。
少女アジョンの殺人に関しても、酔った挙句に彼女に声をかけたところまではシーンにあるが、トジュンの記憶はどこまであるか。
証拠といえばゴルフボールくらいだが、ジェムン刑事(ユン・ジェムン)に言いくるめられ、トジュンは自供報告に捺印してしまう。
だが、母は息子の潔白を信じ、弁護士を雇ったり、他の容疑者を探したり、ときには被害者少女の葬式にまで乗り込んで、息子の冤罪を晴らそうとする。
本作はキム・ヘジャとウォンビンの共演ということもあり、ニノと吉永小百合の『母と暮せば』みたいな、麗しい母子の愛を前面に押し出した泣かせの映画なのだろうと、つい勘違いしそうだ。
だが、殺人容疑をかけられた息子のために、盲目的に手段を選ばずに行動にでる母親の物語であり、ポン・ジュノ監督らしく、その行動も結構過激なのである。
◇
屋上から身を乗り出すように頭を垂れて死んでいる少女の遺体は客観的にみればコントのような配置で、村では初めての殺人事件だと浮かれる刑事たちの不謹慎な会話はちょっと笑えるが、あとはただシリアス一辺倒。
『殺人の追憶』でも『パラサイト 半地下の家族』でも、悲惨で深刻なテーマを扱った作品でさえ随所に笑いの要素を取り込むポン・ジュノ監督にしては珍しいか。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
ボクを殺そうとした?
序盤の会話や突如インサートされる短いショットが後半で伏線回収されるケースも多く、なかなか凝った脚本であることに感心させられる。いくつか紹介しながら話を整理してみたい。
トジュンは刑務所で囚人仲間にバカといわれて喧嘩をし。はずみで思い出したことを母との面会中に問いただす。
「5歳の時に、ボクを殺そうとしただろう?」
栄養ドリンクを母から受け取る回想シーンがあったと記憶するが、当時、母はそこに農薬を入れ息子に飲ませ、自分も後を追い心中するつもりだった。それだけ貧困で追い詰められていたのだ。
ここから想像されるのは、トジュンの知能障害は先天性ではなかった可能性だ。
母は毒性の弱い農薬を選んでしまったと後日語っている。それによってトジュンの脳はダメージを受けたのだ。彼が時おり知的な会話もこなせるのは、この薬害の程度によるのかもしれない。
衝撃の目撃談
母が息子の冤罪晴らしに懸命になっている道の途中で土砂降りに遭い、廃品回収のリヤカーを引く老人(イ・ヨンソク)から傘を買う場面。
鷲掴みで支払った紙幣から妥当な金額しかとらないこの男性に、町にも善良な市民がいるのだと思ったものだが、この人物が後半で再登場する。
◇
殺されたアジョンの携帯をついに苦労して入手した母は、息子の証言をもとに、現場にいた容疑者を割り出す。それがこの老人だった。
だが、独り暮らしの老人の家を訪ねると、彼が驚きの目撃談を語る。老人は少女との買春のために現場で待ち合わせをしていた(淫行の対価である米を用意して)。
そこにナンパ目的でアジョンの後をトジュンが付けてくる。
「男は嫌い?」
彼のかけた言葉は、認知症の祖母の酒代のために身体を売っている少女の逆鱗に触れた。
「あんた、バカ?」
彼女の言葉もまた、トジュンにとっては禁句だった(『エヴァ』のアスカなら日常用語だが)。
カッとなったトジュンは、岩のような大きな石を斜面の上から彼女に放り投げ、アジョンは絶命してしまう。
イヤミスだったのかよ
なんと、真犯人はトジュンだったのか。いや、そんなはずはない。警察に通報しようとする老人を撲殺し、母は家に火をつける。ついに彼女も戻れない川を渡ってしまった。
トジュンの代わりに捕まったジョンパル(キム・ホンジプ)。シャツについていたのはアジョンの鼻血だという(伏線あり)。
彼と面会した母は、「あんた、母さんいるのかい」と泣く。それは、彼になすりつけた罪を晴らすのは、私の仕事ではないよと言っているに等しい。
つまり本作は、貧しさのあまり息子を殺して心中しようとした母が、結局息子に知能障害を負わせたのみならず、彼が起こした殺人事件を無実の若者になすりつけ、目撃者も焼き殺してしまう話なのだ。
息子を愛した結果とはいえ、何とも後味の悪い映画である。
忘却のダンスをあなたと
トジュンはアジョンを殺したこともすぐに忘れ、ただアジョンを病院に連れていかなくてはと、みんなが気づくように屋上に引っ張り上げた。
やがて彼は釈放されるが、すぐに老人の焼死した現場に行って、母が放火殺人の際に忘れていった鍼の箱をみつける。
彼に知能障害がなく、偽装であるという意見を公開時に見かけたが、これまでの言動からは、彼には後天的な記憶障害があるが偽装ではないと思う。偽装であるなら、あえて取り調べで捺印までする理由がない(母から逃げたかったのか)。
それに、もし偽装なら、ラストでトジュンがピュアな目で母に、「大事なものを置き忘れちゃダメだよ」と語るシーンが、まったく冴えないものになってしまう。そんなカットをポン・ジュノ監督が撮るとも思えない。
ラストシーン、母は、息子に罪を見咎められたようになり、自分の記憶を忘れるツボに鍼を打ち、バスの中で踊る。
フィクションとはいえ、そんな効果てきめんで都合のよいツボなど鍼灸にはないだろう。要は、忘れたような気になりたいだけだ。
思えば冒頭のダンスシーンの枯野は、母が老人を殺害し家を燃やした帰路だった。そこでも踊っていたとなれば、ただ現実逃避したくなったら、忘れたように踊るのが彼女のライフスタイルなのか。
母なる証明をするのは難しい。Q.E.D.(証明完了)とはならず。