『ぐるりのこと。』
めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい。橋口亮輔が描く、ギリギリの中の夫婦愛。
公開:2008 年 時間:140分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 橋口亮輔
キャスト
佐藤翔子: 木村多江
佐藤カナオ: リリー・フランキー
吉田波子(翔子の母): 倍賞美津子
吉田勝利(翔子の兄): 寺島進
吉田雅子(翔子の義姉): 安藤玉恵
和久井寛人(翔子の上司): 温水洋一
生方圭子(翔子の同僚): 峯村リエ
小久保健二(翔子の部下): 山中崇
夏目先輩(カナオの先輩): 木村祐一
安田邦正(報道担当): 柄本明
諸井康文(報道スタッフ): 八嶋智人
吉住栄一(法廷画家): 寺田農
橋本浩二(法廷画家): 斎藤洋介
佐古田征二(法廷画家): 春海四方
梶山栄子(法廷画家): 菊池亜希子
裁判長: 志賀廣太郎、田辺誠一
弁護士: 光石研
被告: 加瀬亮、片岡礼子、新井浩文
証人: 新屋英子、横山めぐみ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
法廷画家として働くカナオ(リリー・フランキー)は、妻である翔子(木村多江)の妊娠に幸せを噛みしめるが、子供の死という予期せぬ悲劇に見舞われてしまう。
やがて、それをきっかけに精神の均衡を崩してしまった翔子を、カナオは強い愛情で支えていく。
今更レビュー(ネタバレあり)
ほぼ映画初主演の二人
リリー・フランキーが演じる法廷画家と、木村多江が演じる出版社で働く妻の夫婦の物語。
意外なことに二人ともメジャーな映画初主演(厳密には、リリーには『盲獣vs一寸法師』(石井輝男監督)というデビュー作がある)。その後の二人の俳優としての活躍を考えれば、このカップリングは監督の先見の明といえるのだろう。
◇
監督は橋口亮輔。評価の高かった『ハッシュ』(2001)からしばらく間隔が空いたが、前作公開直後から監督自身うつ病にかかったという。完治後にその実体験が本作に活かされている。
量産型の監督が多い邦画界において、橋口亮輔監督は『渚のシンドバッド』(1995)、『ハッシュ』(2001)、『ぐるりのこと。』(2008)、『恋人たち』(2015)と、6~7年間隔でコンスタントに映画を世に出している。これが監督の好きなペースなのかもしれない。ならばそろそろ新作が登場するのかも。
うちは週三よ
冒頭、足裏マッサージの施術を受けながら、翔子(木村多江)が会社同僚(峯村リエ)に、「うちは週三よ」と開けっ広げに夫婦生活を語り、盛り上がっている。
その夫・カナオ(リリー・フランキー)は地下街の靴の修理工房のバイトで、女性客相手に軽口を叩いている。ここまでは、陽気なリリーの愛妻物語かと思われたが、テレビ局勤めの美大の先輩(木村祐一)に法廷画家の仕事を紹介され、引き受けることに。
◇
その晩、家に帰るとカナオは翔子に怒られる。法廷画家の一件ではない。帰宅時間が遅いことが原因だ。週三回の営みはスケジュール管理され、たとえ喧嘩していようが、帰宅が遅かろうが、実践しなければいけない。排卵日を計算しての妊活ではない。だって翔子は既に妊婦なのだ。
帰ってきて怒られて、すぐその気になれないよと弱音を吐くカナオに、理屈を通し、「じゃ、別れようか」とまで切り出してベッドに誘う翔子。
いつもの木村多江の薄幸キャラとのギャップは面白く感じたが、実は彼女のこの性質が、のちに病気を誘発する一因になったように思う。決まり事は必ず実践しなければという強迫観念だ。
法廷画家の仕事
ともあれ、カナオは慣れない法廷画家の仕事を始める。一枚8万円と実入りはいいが、閉廷後すぐに絵を仕上げ、夕方の報道番組に間に合わせるスピードが要求され、被告も悪人顔に描くことが望ましく、芸術性は無用の世界。同業者はみな、長くやる仕事ではないと口をそろえる。
◇
出来婚となる翔子は自分の家族にカナオを紹介する。母(倍賞美津子)に兄(寺島進)、兄嫁(安藤玉恵)、みんな口も性格も悪く、カナオを歓迎するムードでもない。
元プロ野球選手の父は女を作って家族を捨てた。一方、カナオは父が自殺し、家族とも疎遠だ。二人の結婚はけして祝福ムードとはいえないが、夫婦は仲良く子供の誕生を待った。
塞ぎこむ翔子と支えるカナオ
だが、子供は生まれて暫くして亡くなってしまう。そのあたりの本作の伝え方は控えめだ。家にある仏壇と供えられた飴。後に翔子がみつけるカナオが描いた我が子の寝顔のデッサン。
この不幸な出来事で、カナオは言葉少なになり、翔子は「夫が何も言ってくれない」とふさぎ込むようになる。子供を亡くしたショックでノイローゼ気味になる翔子。
◇
夫とも心が通じず、仕事でも使えない部下(山中崇)を管理できず、母は新興宗教にはまり我が子の供養を勝手にし、子供への愛を綴った翻訳本のサイン会イベントで疎外感を募らせる翔子。
何もかもが悪い方向に流れ、うつ状態になっていく。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件といった時代背景も悪影響を及ぼしたかもしれない。
◇
暗い部屋で一人落ち込み壊れそうになっていく翔子に、手を差し伸べ、愛おしみ、ともに歩もうとするカナオの姿に心打たれる。
リリー・フランキーだからこそのリアルさ。鼻水でべちゃべちゃになった翔子との触れ合い。どん底にありながらも、けして見捨てず、離れない夫婦の絆。細やかな愛情を感じさせるシーンだ。
90年代の社会を揺るがす事件
法廷画家の映画というのは他に観たことがないけれども、なかなか良い着眼点だと思った。うろ覚えだが、三谷幸喜の『ステキな金縛り』(2011)でも法廷画家が西田敏行の落武者幽霊を描いていたような…。
仕事である以上、日々ニュースで取り上げられるような事件の法廷に席を陣取り、カナオは被告の顔を描く。
◇
本作は1993年から2001年までを一年ずつ描いていくが、法廷画家の仕事を通じて、その時代に社会を賑わした多くの象徴的な事件を自然な形で物語に取り込むことに成功している。
幼女誘拐殺人事件
(被告:加瀬亮、裁判長:志賀廣太郎、弁護士:光石研)
ジャパゆきさん売春事件
(証人:新屋英子、裁判長:田辺誠一)
園児殺人事件
(被告:片岡礼子、遺族:横山めぐみ)
小学児童殺傷事件
(被告:新井浩文)
その他、オウム真理教のテロ行為の殺人実行犯裁判など、翔子が夫婦でうつを乗り越えていく歳月と並行し、多くの社会に衝撃を与えた事件が裁かれていく。
この中でも、裁判長にしか見えない志賀廣太郎と被告にしか見えない新井浩文は、別格のリアリティだ。(ちなみに本作で一番それっぽく見えたのは、カナオに指示するお調子者のテレビ局社員(八嶋智人)。ヤッシー、15年前から同じノリなのって、凄いな。)
なお、『ハッシュ』に出演の田辺誠一、片岡礼子、光石研、加瀬亮、斉藤洋介、寺田農(本作ではともに法廷画家)、佐藤二朗(本作ではカナオの旧友)、山中聡(記者)など、多くの役者が本作にも登場。
更に、次作となる『恋人たち』には、安藤玉恵、黒田大輔(本作ではとんかつ屋の愚息)、山中崇、内田慈(本作ではカナオの旧友の妻)、そしてリリー・フランキーも登場。橋口作品の出演者は常連で構成されるものらしい。
◇
本作では兄嫁の役で嫌味タラタラ翔子を責める安藤玉恵。まさかこのふたりが、近年ドラマ『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』であんなに息の合った怪演を見せてくれるとは。
上を向いて歩こう
さて、夫に支えられた翔子に、立ち直るきっかけを与えてくれたのは、知人の尼僧に任された寺の天井画の製作だった。カナオの薦めもあり、彼女はこの仕事に打ち込んでいく。
法廷画家のカナオは社会の暗部を描き続け、被告の苦痛に満ちた表情を通路の床に這いつくばるような格好で仕上げる。
一方の翔子は、明るく希望に満ちた色鮮やかな四季折々の花々を、空高く見上げるように天井画に仕立てていく。
この対照的な構図がよくできていると思った。夫が下を向いて頑張っていることで、妻は再び上を向いて生きていけるようになったのかもしれない。
派手な華やかさはないが、最後には仲睦まじく心を通わせる二人の姿に、どこか安心感を覚える。ああ、夫婦善哉。