『パーマネント野ばら』
吉田大八監督が、西原理恵子の原作コミックを見事に実写映画化。パンチ常連の過激な会話の奥にある温かいもの。
公開:2010 年 時間:100分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
離婚し、娘を連れて地元に帰ってきたなおこ(菅野美穂)は、母親(夏木マリ)が営む小さな美容室「パーマネント野ばら」を手伝っている。
そこには毎日、町の女性たちが集まり、にぎやかなガールズトークが展開され、恋の悩みや、小さな嘘の告白などもあった。
皆ダメな男に振り回されながらも、それでも愛することをやめず、たくましく生きている。そして、なおこは、地元の教師カシマ(江口洋介)と理想的な恋をしていた。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
西原原作をこう仕立てたか
西原理恵子による同名コミックを、吉田大八監督が映画化。菅野美穂は『Dolls』(2002、北野武監督)以来久々の映画主演。
吉田大八監督は前作の『クヒオ大佐』(2009)で堺雅人、本作で菅野美穂と、その後に結婚することになる二人の主演作を立て続けに撮っている。まあ、二人の馴初めは『大奥』(2012)だけど。
◇
この、漁港の町で繰り広げられる、パンチパーマのおばさんたちや主人公たちの過激なガールズトークの物語は、原作ではさらに数段階お下劣な内容である。
いかにカメレオン女優の菅野美穂であっても、演じられるのか不安に思ったものだが、そこは吉田大八監督の演出力か、奥寺佐渡子の脚本の冴えか、原作の数々のエピソードや小ネタをきちんと再現しながらも、ひとつのヒューマンドラマとして成立させている。これは大したものだ。
ヘタをすると、原作のお下劣トークを切り貼りしただけの慌ただしい凡作になりかねないところを、菅野美穂が演じるにふさわしい作品に仕立て、しかも原作の本質的な部分はけして損なっていない。さすが吉田大八監督の仕事だけはある。
あくまで個人的な感想だが、西原理恵子のコミックは絵の印象、とりわけコミカルにデフォルメした部分がインパクトが強いことで、その根底にあるシリアスなメッセージが私にはどうもうまく伝わりにくい。
本作も当初、原作はやや敬遠気味だったが、映画を観た後で読み返してみると、とても理解が深まったのを思い出す。西原理恵子原作ものでは『いけちゃんとぼく』(2009、大岡俊彦監督)での蒼井優の声のフルCGキャラには、さすがに無理を感じたが、本作は原作と引き立てあえる作品と思う。
男はみんなクズばかりだが
ヤギの糞くらい硬めにパーマをあててくれ、と集まってくるオバサンたちの溜まり場である古びた美容院<パーマネント野ばら>。店主の母(夏木マリ)も常連のオバサン連中もみな、大仏様のようにビシッとパンチパーマがあたっている。
夏木マリは前年に『髪がかり』(2009、河崎実監督)で女理容師を演じたばかりだが、本作のくわえたばこでロットを巻く店主の役柄とのギャップに驚く。そして店の常連客は、口を開けば男の話ばかり、それも文字にするのも躊躇われる露骨な単語が並ぶ。
なんでも、この店には原作のモデルとなった美容院が西原理恵子の地元、高知に実在しているそうで、その名も<のばら美容室>。ご主人はキャリア70年のベテランで、2022年の今も常連に囲まれ元気に営業されているという。ちなみに、本作の舞台は架空の地だが、ロケ地は高知県宿毛市だとか。縮毛とひっかけたわけではあるまいが。
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幼い娘もも(畠山紬)を連れて出戻ってきたなおこ(菅野美穂)。幼馴染には、浮気と金の無心を繰り返す夫(加藤虎ノ介)に悩むみっちゃん(小池栄子)、そしてギャンブル漬けの果に失踪した夫(山本浩司)を心配するともちゃん(池脇千鶴)。
男運に恵まれないのは、彼女たちばかりではない。なおこの母も、フラフラとして家庭をかえりみない夫(宇崎竜童)が、店の客の女と暮らし始めることで、始終機嫌が悪い。
こうして振り返ると、まるで高知にはまともな男がいないのかと思えるくらい、男性陣はどいつもこいつも、酒とギャンブルと女に溺れる者ばかり。だから女たちはこうも逞しくなるのか。
いや、ちゃんと働いているカッコいい男がひとりだけいた。高校で理科の教師をしているカシマ(江口洋介)だ。傷ついて故郷に戻ってきたなおこが時おりカシマと密会を重ねるひと時だけが、本作でひときわ輝いて見える。
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本作は中盤まで、何を語ろうとしている映画なのか、なかなか方向性がつかめない。
男談義に花が咲く港町でただひとりまともに見えるなおこが、強烈なキャラの町の人々に囲まれて毎日を過ごしている。周囲の会話や行動は過激で面白いものの、ただのコメディなのかと思い始めるころに、ようやく物語は動き出す。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
後半はジャンルが変わったかのようだ
この作品の前半からの流れで、よもやネタバレに気を使わなければならなくなる作品とは思っていなかったが、未見であれば、まずは知らない状態で観賞していただきたい。
ある日、母は町内会の旅行、娘のももは離婚した夫(ピント合わせず俳優不明)と外泊で、ひとりになったなおこが、カシマを突如温泉旅行に誘う。
「じゃあ、あんた先に宿に行っててよ。学校が終わったら追いかけるからさ」
なおこをあんた呼ばわりのカシマが、ちょっとワイルドでいい感じ。
ホテルの窓から海を眺めていると、夜まで来ないと思っていたカシマが、ワーゲン・ビートル(旧型)に乗って駐車場に降り立つ姿がみえる。はしゃぐなおこ。二人で部屋にはってじゃれ合う。幸福なひと時。
その次のカットでは、暗い部屋になおこだけが寝ている。カシマの姿がない。書き置きもなければ、クルマもない。「お酒飲んでるから、クルマで帰るはずがないんです」と、フロントに訴えるなおこ。
そして彼女は、部屋の窓辺に置かれたビール瓶に、栓がしたままであることに気づく。ここは演出が冴える。
電話ボックスは絵になる
カシマは実在しないのではないか。そう思わせるカットは、その前にもあるにはあった。
夜のトンネルでキスをして別れた後に、なおこが振り返るとトンネルの暗闇で一瞬カシマが消えたように見える。或いは、校内の階段をカシマとなおこが下りるとき、すれ違う女生徒がまるで無反応である。いずれも、あとから気づく程度の淡い伏線だ。
◇
夜の海沿いの電話ボックスで、カシマに電話をかける。
「なんで、うちこんなに寂しゅうて寂しゅうてたまらんが」と泣き崩れるなおこ。幻想的ながら哀しいシーンだ。
そこに、停電が起きる。これは、みっちゃんの父親(本田博太郎)が、チェーンソーで電柱を切り倒しているせいだと、我々は知っている。
泣かせるシーンに、映像の美しさと笑いのエッセンスを突っ込む離れ業を吉田大八監督が仕掛けてきたが、ここでは見事に調和している。
優しさにみちた町の女たち
終盤、カシマはなおこが高校生のときに好き合っていた理科の教師で、彼女が在学中に海難事故かなにかで死んでしまったことが明かされる。そのショックの大きさに、彼女は精神を病んでしまったのだろう。
「誰にも言わんかったけど、ウチ、カシマと付き合ってる」と、なおこがともちゃん(池脇千鶴)に告げる。
「何遍も聞いたよ。忘れんぼやなあ」と優しく教えてくれるともちゃん。だが、なおこには思い出せない。
◇
砂浜でカシマとデートしているなおこ。カシマがフレームアウトすると同時に一升瓶を持ったみっちゃんが現れ、「ごめん、デート中だった?」と微笑んで去りかける。もう、見渡してもカシマは忽然と消えている。
「みっちゃん、わたし狂ってる?」
「そんなんゆうたら、この町の女はみんな狂っちゅうよ」
なおこがデート中だったとみっちゃんが言うと、野ばらの母も能天気な常連も、みんな一瞬凍り付く。知っているのだ、町のみんなが、なおこの症状のことを。
みんなが、バカを言いながら、彼女を温かく見守っている。そして、そんな彼女を砂浜にももが迎えに行く。
娘の呼び声に視線を向けるなおこの顔のアップで映画は終わる。
◇
かつて、男(ムロツヨシ)を捕まえて町を出ようとした母(若い頃:霧島れいか)に対して、転校したくないなおこが身体を張ってそれを阻止し、訴えた。
「母ちゃん、ウチがおるき、ええやろ?」
いま、なおこの娘もまた、彼女に同じ言葉を投げかけようとしている。そんな気がした。