『アナザーラウンド』
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北欧の至宝マッツ・ミケルセンが高校教師。0.05%の血中アルコール濃度を維持することで、人生はうまくいく。
公開:2021 年 時間:117分
製作国:デンマーク
スタッフ
監督・脚本: トマス・ヴィンターベア
共同脚本: トビアス・リンホルム
キャスト
マーティン: マッツ・ミケルセン
トミー: トマス・ボー・ラーセン
ニコライ: マグナス・ミラン
ピーター: ラース・ランゼ
アニカ: マリア・ボネヴィー
校長: スーセ・ウォルド
ヨナス: マグナス・シャアロプ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
冴えない高校教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)と三人の同僚は、ノルウェー人の哲学者が提唱した「血中アルコール濃度を一定に保つと仕事の効率が良くなり想像力がみなぎる」という理論を証明するため、実験をすることに。
朝から酒を飲み続け、常に酔った状態を保つと授業も楽しくなり、生き生きとするマーティンたち。生徒たちとの関係も良好になり、人生は良い方向に向かっていくと思われた。しかし、実験が進むにつれて次第に制御がきかなくなる。
レビュー(まずはネタバレなし)
普通のマッツ・ミケルセンもいい
失礼ながらアカデミー賞の国際長編映画賞を獲得したことと、ポスタービジュアルくらいしか知らなかった作品なのだが、なぜか分からないが、コーラ早飲み競争の映画だと勘違いしていた。私の脳内ではコント赤信号の渡辺正行がラッパ飲みをしている姿がラベル付けされていた。
事実は大分違う。飲んでいるのはコーラではなくハードリカーだし、早飲み競争ではなく、もっと高邁な思想に基づいて酒をあおる男たちの物語だった。
主人公のくたびれた世界史の高校教師マーティンを演じるのはマッツ・ミケルセン。『007カジノロワイヤル』(2006)や『ドクターストレンジ』(2016)、あるいは『ファンタビ』の黒い魔法使いなど、神経質で恐ろしい強敵のイメージが私には根強いのだが、こういう普通のオッサン役も滋味深いことを再認識。
そういえば、『ローグ・ワン:スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)でも気骨ある科学者を演じていたか。いつも印象に残る役を演じるのだが、あまりマッツ・ミケルセンの主演映画にどっぷり浸ったことがなかったので、本作は良い機会だった。
監督はトマス・ヴィンターベア。マッツ・ミケルセンとは以前に『偽りなき者』(2012)で組んでいる。この時も彼が演じる主人公は教師だった(幼稚園のだけど)。
血中アルコール濃度は0.05%に
さて本作、仕事も家庭もうまくいかず、人生に行き詰まりを感じる主人公のマーティンを、仲の良い同僚たちが集まった仲間の誕生会のなか、みんなで元気づける。
心理学教師のニコライ(マグナス・ミラン)、体育教師のトミー(トマス・ボー・ラーセン)、音楽教師のピーター(ラース・ランゼ)。なるほど男の友情話か(デンマークでは、男同士の誕生会は一般的なのか?)。
「人間の血中アルコール濃度は0.05%に保たれているのが理想」
ノルウェー人哲学者によるこの理論に基づき、その状態ならば仕事もプライベートもうまくいくのではないか、という仮説を立て、その気になったマーティンを筆頭に、彼らは検証に自ら乗り出す。
傍から見たら、単に昼間っから酒をあおって授業をやってる型破り教師に思えそうだが、授業前でトイレでアルコール検出量を測って0.05%に調整するなど、結構取り組み姿勢は真面目なのが面白い。
- 飲酒が心と言動に影響を及ぼす証拠を集める
- 飲酒は勤務中のみ
- ヘミングウェイと同じく、20時以降と週末は禁酒
などという細かいルールを順守しながら、彼らは酒帯び授業を始める。
はじめは周囲からは分からない程度の効果だが、本人は確実に調子をあげる(プラシーボ効果というやつかもしれない)。そして想像通り、仮説検証は次第に過酷なお題を課していき、彼らの酩酊状態もエスカレートしていく。
デンマークのお国柄か
思いっきりおバカなコメディとして撮ることも可能だろう。エドガー・ライト監督、サイモン・ペグ主演なら、そういう英国映画になったかもしれない。
だが本作はデンマーク映画。微妙な可笑しみを残しながらも、それよりもペーソスのあるドラマの比重が大きい。
このバランスを中途半端に感じる人もいるだろうが、どこか能天気になりきれない謙虚さにお国柄を感じた。
◇
デンマーク映画といえば、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で知られるラース・フォン・トリアー監督らが中心になって1995年に始められた<ドグマ95>という運動がある。
スタジオ撮影や照明を禁止する等10か条の<純潔の誓い>に沿って映画を作るというものだ。トマス・ヴィンターベア監督も、この共同メンバーのひとりで、ドグマ95映画『セレブレーション』(1998)のカンヌ受賞で国際的に知られるようになった経緯がある。
ヴィンターベア監督が、「かつてマッツ・ミケルセンは自分とは別な派閥の監督と組むことが多く、距離があったので組む機会がなかった」と語っているのは、このドグマ95の時代のことを言っているのか。
心理学や音楽、サッカー。アルコールの力を借りて、同僚たちの不人気だった授業がどんどんと調子づいて盛り上がっていく様子が面白い。
そしてマーティンも例外ではなく、精彩を欠いて生徒や保護者たちから総スカンだった世界史の授業は、見違えるように生き生きとしてくる。三人の人物のプロフィールを紹介し、生徒たちに誰に投票するかを聞く授業も面白かった(オチは言いませんが)。
正直、酒が入るだけでここまで事態が好転するとは思えないが、映画の途中で、つい自分も酒を飲みながら観始めてしまった。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
度を越した酔っ払いたち
さて、少しくらい酒が入っていると調子が出るが、度を超すと痛い目に合う。
そういう展開になって私が真っ先に思い浮かべたのは、水島新司先生の『野球狂の唄』に出てくる日の本盛という飲んだくれの投手。試合中に隠し持った日本酒を盗み飲んでマウンドに立つ男。彼も飲み過ぎては、よく打たれていた。
まあ、酒飲みというのは、適量でとどめることなどなかなかできない。本作の教師陣も、途中からはどうみても登校するところから二日酔い、ではなく、朝から飲んでるのだから酩酊状態にちかく、歩くのさえ千鳥足になっている。
みんなで泥酔状態でスーパーに生ダラを買いに行って、迷惑かけまくるシーンはひどかった。これで聖職は務まらんだろう。
そんな彼らに平穏な日々が続くはずがなく、マーティンは、酒のおかげでカヌー旅行を企画し、ようやく夫婦仲が回復しつつあった妻のアニカ(マリア・ボネヴィー)とも、激しく言い合いをし、ついに彼女を追い出してしまう。
この二人は、根っこでは愛し合っていながらも、互いの生活時間や気持ちのすれ違いで、アニカは別の男性にちょっとよろめく。そしてマーティンはそれを許せず、彼女は一人息子のヨナス(マグナス・シャアロプ)を置いて、家を出ていく。
噂の酔っ払いトミーとマッツ
体育教師のトミーは、泥酔状態での出勤が問題になり学校でも白い目で見られる存在になっていたが、マーティンとアニカの二人の仲を一番心配してくれていた。そして彼は、ともに暮らす老犬とともに船で沖に出る。その直前、なぜか救命ジャケットを脱ぎ捨てる彼の姿が写る。悪い予感がする。
表面的なアクションを良しとしない<ドグマ95>の鉄の掟の影響かもしれない。あのジャケットが暗示したように、トミーはそのまま、帰らぬ人となる。進学が危ぶまれた生徒たちが無事に卒業することができ、大いに盛り上がる生徒たちと、その渦の中にいながら、友人の死を悼むマーティン。
妻との復縁がなるかどうか。死んだトミーが応援してくれていたのだから、当然好転を期待するが、その見せ方がスマホのメッセージのやりとりだけというのは、ちと寂しい。現実社会ではそれが普通になっている時代だとしてもだ。
ただその後に、ハイテンションで盛り上がっている卒業生たちに混じって、埠頭でひとりジャズバレエを披露するマーティンは、キマっていた。
本来はこういうキレッキレの動きが得意のマッツ・ミケルセンが、ここまで封印していた動きを、最後に解放する。
もう、この場面でのダンスの心理も意味もよく分からないけれど、トマス・ヴィンターベア監督の表現したかった<飲酒の破滅と美しさ>という両端が、このダンスの後に海に飛びこむマーティンに凝縮されているように思えた。