『寝ても覚めても』
濱口竜介監督の商業作品初監督である本作。東出昌大と唐田えりかの、おそらく二度とは観られない共演。
公開:2018 年 時間:119分
製作国:日本
スタッフ 監督: 濱口竜介 原作: 柴崎友香 『寝ても覚めても』 キャスト 丸子亮平/鳥居麦: 東出昌大 泉谷朝子: 唐田えりか 串橋耕介: 瀬戸康史 鈴木マヤ: 山下リオ 島春代: 伊藤沙莉 岡崎伸行: 渡辺大知 岡崎栄子: 田中美佐子 平川: 仲本工事
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
大阪に暮らす21歳の泉谷朝子(唐田えりか)は、鳥居麦(東出昌大)と出会い、運命的な恋に落ちるが、ある日、麦は朝子の前から忽然と姿を消す。
二年後、大阪から東京に引っ越した朝子は麦とそっくりな顔の丸子亮平(東出昌大)と出会う。麦のことを忘れることができない朝子は亮平を避けようとするが、そんな朝子に亮平は好意を抱く。そして、朝子も戸惑いながらも亮平に惹かれていく。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
新たなる、えりか様
柴崎友香の同名原作を映画化した、濱口竜介監督の商業映画デビュー作。というよりも、主演の東出昌大と唐田えりかの不倫騒動があまりに過熱してしまったために、そのスキャンダルの舞台として世間に認識されてしまったことが気の毒な作品。
良い作品なのに、世間では沢尻エリカの舞台挨拶発言で有名になってしまった、行定勲監督の『クローズド・ノート』と同じような境遇。女優の名前が同じというのも皮肉である。
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それにしても濱口竜介監督の快進撃は留まることを知らない。インディーズ作品の『ハッピーアワー』がロカルノ国際映画祭、商業デビューの本作『寝ても覚めても』はカンヌに正式出品、『偶然と想像』がベルリンの銀熊賞、そして『ドライブ・マイ・カー』はカンヌの脚本賞やゴールデングローブ賞を獲り、現時点オスカーにノミネートの状況だ。
恐るべし、濱口メソッドの魔力
さて本作、当初鑑賞したときには気がつかなかったのだが、その後に濱口竜介監督作品を複数経験したうえで観直してみると、<濱口メソッド>の効能のすごさを感じ取れる。
『ドライブ・マイ・カー』の劇中でまさに実践していたように、感情をこめずにゆっくりと本読みを何度も何度も繰り返す準備期間を経て、いよいよ本番になって初めて役者は感情を一気に解放して芝居に臨む。
この手法を<濱口メソッド>と呼び始めたのは、本作の東出昌大だという話もあるが、とにかく、この手法による俳優陣の演技が見事なのである。
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俳優がみな、その役になりきってしまう魔術のようだ。つかみどころのない風来坊の麦(ばく)と酒造会社に勤める誠実な若者の亮平を一人二役で演じた東出昌大は、演じ分けなど意識しなかったというが、このメソッドのおかげで完全に所作から発話まで、自然とそれぞれのキャラになりきっている。
映画では初の大役を射止めた唐田えりかも、文字通り寝ても覚めても、主人公の泉谷朝子と自分が同化していたという。
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迫真の演技というより、二人は実生活でも恋におち、その後のトラブルも含め、まるで本作が暗示したような道を歩んでいる。公開当時の二人が互いを語るインタビューなどをみると、複雑な心境になる。これが<濱口メソッド>の副作用なのだとすれば、恐るべき影響力だ。
大阪から東京、そして震災
映画は冒頭、大阪の美術館で写真家・牛腸茂雄の個展をひとりで観ていた朝子が、偶然みかけた鼻歌の男性・麦に一目惚れし追いかける。子供たちの仕掛けた爆竹が鳴り響く川辺で、二人はいきなりキスをして恋に落ちる。
何の説明もなしの強引な始まりだが、ここからしばらくは大阪での熱愛時代。だが、ある日ふらっと出ていったきり、麦は戻らなくなる。
二年後、東京で暮らす朝子は、隣のビルに勤務する丸子亮平と出会い、驚く。亮平が麦と瓜二つだったからだ。ぎこちない態度をとる朝子に惹かれていく亮平。真っ直ぐに想いを伝える亮平に、戸惑いながら朝子も惹かれていく。
このあたりの、朝子の揺れ動く心理状態。簡単に好き合う仲にならないところがいい。
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朝子のルームメイトでなかなか芽が出ない舞台の女優マヤ(山下リオ)と、麦の同僚の串橋(瀬戸康史)が、芝居が原因で論争になるところは、『ドライブ・マイ・カー』同様にチェーホフ絡みの話だ。東日本大震災がマヤの公演中に発生し、麦が町を歩いて避難するシーンには、『偶然と想像』の占部房子が登場する。
麦と朝子の恋愛ドラマなのだと思っていると、周囲からいろいろな要素が絡んでくる。二人がしっかりと抱き合う仲になるために、大震災まで持ち出してくるとは思わなかった。
濱口版ドッペルゲンガー
そして五年後、二人は一緒に暮らしている。舞台は通天閣から東京タワー、そしてスカイツリーへと移り変わる。アツアツの朝子と亮平。親友の串橋も、妊娠しているマヤと幸せそうにしている。
このみんなが幸福感に満たされている状況で、朝子は大阪時代の親友・春代(伊藤沙莉)と偶然再会し、彼女から、麦が俳優として活躍していることを聞かされる。
ドッペルゲンガーのように酷似した麦と亮平の二人。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『複製された男』か、はたまた岩井俊二の『Love Letter』か。朝子が本当に愛しているのは、どちらなのか。ここから先は予想がつかない展開だ。
このまま過去を振り返らずに、亮平と幸福に暮らせばいいものを、それでは映画にならない。朝子が人生を歩み始めた亮平と、ようやく忘れられたのに再び存在を意識した麦。朝子はどちらを選び、どういう行動に出るのか。
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柴崎友香の原作は、残念ながら私には大変読みにくかった。文章が長いうえに、物語とは関係ない視覚情報の列挙が多く、肝心の部分は極めて慎ましく埋もれるように書かれ、また、油断すると平気で一行で数年の時空を越えたりする。手強い。私の読解力のせいでもあるが、映画のほうが話の流れは遥かに把握しやすい。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
恋は理屈じゃないんだよ
本作は賛否両論、というより、朝子に共感できるかどうかで、大きく評価が分かれるようだ。それはまるで、恋愛経験の豊富さを問われているリトマス試験紙のようでもある。
麦のもとに電撃的についていき失踪した朝子に、「戻ってきて、謝って。あんな亮平さん、見てられない」というマヤと、「なんかそうなると思った」と達観している春代の違いか。山下リオと伊藤沙莉、普段の役なら双方逆のリアクションをとりそうなのに。
常識にとらわれて映画を観てしまうと、終盤の朝子の行動は到底理解できない。だから、本作には共感できないし、苦手であるという風になりがちだ。私も初見ではそうだった。
だが、人を好きになることはパッションであって、理屈ではない。常識をわきまえていて、優しくて頼りがいがあって、円満な家庭を築けそうな男性よりも、非日常で危険で泣かされそうな男に惹かれてしまうことは、けして不思議ではない。たとえ容貌がまったく同じ二人であっても。
◇
一目惚れし合って、誰よりも好きだった相手が再び現れたら、たとえ後ろ指さされようとも、今の彼氏を捨てていってしまう。そういうものかもしれない。
だから、その朝子が、フラれたわけでもないのに自分から「もうこれ以上は行けない」と、仙台で麦と別れを選ぶ展開は意外だった。遅すぎたが、ようやく自分の選ぶべき道を悟ったのだ。防潮堤の上に立ち、荒れ狂う海をみつめる朝子の目には何が見えていたのだろう。
他者性の何かが人生を左右する
仙台から東京に戻るのに無一文の朝子は、被災地のボランティア活動で親しくなっていた平川(仲本工事)を仮設住宅に訪ねる。正直に事情を話すと、「バカだよ、お前は。男は、他の男のチン〇ンが入った女、許さねえぞ」
この平川の存在も台詞も不可解で面白い。観客に重要な役と悟られないように、この配役になったそうだ。というか、濱口監督が配役考えているときに、飲んでた店がたまたま仲本工事の経営する店で、彼が焼き鳥を焼いていたそうだ。そんな縁でオファーとなったという、信じがたい話。だって、彼の映画出演は浅香唯の『YAWARA!』以来20年ぶりだし。
不可解といえば、冒頭の大阪時代に麦の居候先だった友人の岡崎(渡辺大知)が、最後にはALSを患い動けなくなっているのも、不条理さを感じる。
物語にどう絡むのかはともかく、濱口監督は、震災や病気など、自分の力ではどうしようもない他者性の何かを取り入れることで、映画が転がっていくことをねらっているのだろうか。
論理破綻でも猪突猛進
それにしても、街頭の大広告やらCMに登場する売れっ子俳優の麦が、あまりにタイミングよく突然朝子のアパートに現れたり、亮平と一緒にいる送別会のレストランにきては朝子をさらっていったりと、あまりに超人的すぎる。
もう無理と言い出した朝子を引きとめもせず、きれいに別れて去っていく。何を考えているのかも分からない。この麦という男は、本当にリアルな存在なのか。
◇
一方、自分の分身のような男に恋人を持っていかれた亮平の心中は察するに余りある。
初めて会った時に朝子が「バク」と呟いていたことから、事情に感づいていても、「前の彼氏に似ていたから、俺は朝子と出会えたわけやし」とポジティブ思考だった亮平だが、もはや朝子を信じる力を失っている。
そんな彼がひとりで暮らし始めた大阪のアパートに、朝子が押しかけてくる。
「許してもらえないことをしたから、謝らない。でも亮平と一緒に生きたい」
いやもう、気持ちよいくらいの論理破綻。でも、つらい話だな、これ。男は結婚してもこの古傷を一生忘れないし信用もできない。
ラスト、氾濫したらこの建物は終わりだなといっていた部屋で、窓の外に流れる天野川の水かさがまし、二人で濁流を眺める。
「きったない川やで」「でも、綺麗」
どこまでも噛み合わない。
オードリー・ヘプバーンの『ティファニーで朝食を』のように、捨てたネコがみつかっただけで二人抱き合ってハッピーエンドになれるほど、世の中は単純じゃなくなっているのだ。
聴こえてくるtofubeatsの「RIVER」。寝ても覚めても愛は、とめどなく流れる。