『偶然と想像』
ベルリン銀熊賞に輝いた、濱口竜介監督の<偶然>をテーマにした三作品のオムニバス。短編映画の更なる可能性を感じさせる。
公開:2021 年 時間:121分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 濱口竜介 キャスト <第一話>魔法(よりもっと不確か) 芽衣子: 古川琴音 和明: 中島歩 つぐみ: 玄理 <第二話>扉は開けたままで 瀬川: 渋川清彦 奈緒: 森郁月 佐々木: 甲斐翔真 <第三話>もう一度 夏子: 占部房子 あや: 河井青葉
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
<第一話>魔法(よりもっと不確か)
撮影帰りのタクシーの中、モデルの芽衣子(古川琴音)は、仲の良いヘアメイクのつぐみ(玄理)から、彼女が最近会った気になる男性(中島歩)との惚気話を聞かされる。つぐみが先に下車したあと、ひとり車内に残った芽衣子が運転手に告げた行き先は──。
<第二話>扉は開けたままで
作家で教授の瀬川(渋川清彦)は、出席日数の足りないゼミ生・佐々木(甲斐翔真)の単位取得を認めず、佐々木の就職内定は取り消しに。逆恨みをした彼は、同級生の奈緒(森郁月)に色仕掛けの共謀をもちかけ、瀬川にスキャンダルを起こさせようとする。
<第三話>もう一度
高校の同窓会に参加するため仙台へやってきた夏子(占部房子)は、仙台駅のエスカレーターであや(河井青葉)とすれ違う。お互いを見返し、あわてて駆け寄る夏子とあや。20年ぶりの再会に興奮を隠しきれず話し込むふたりの関係性に、やがて想像し得なかった変化が訪れる。
レビュー(まずはネタバレなし)
このところ絶好調の濱口竜介監督
偶然をテーマにした三つの短編のオムニバス映画、濱口竜介監督の初となる短編映画集である。
それぞれの作品には、特に相関関係はない。どれも、ちょっと変わった<偶然の>出来事が引き起こす話であるが、どこにどう転がっていくか、とても考えが及ばない。
会話劇がメインであり、舞台を見ているような錯覚に陥るが、この会話はどれも観客を引き込んでいく内容で、動きが少なくても飽きさせることはない。
◇
それにしても、近年の濱口竜介の映画人としての活躍ぶりには目をみはるものがある。
『寝ても覚めても』(2018)がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品され、『スパイの妻』(2020)では黒沢清監督との共同脚本でヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)。
そして『ドライブ・マイ・カー』(2021)ではカンヌ国際映画祭の脚本賞、更に本作『偶然と想像』でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞と、輝かしい実績が続いている。
銀熊賞が先入観としてインプットされていたせいか、本作はつい芸術志向の高い作品なのだと思って観てしまう。
そのため、第一話「魔法(よりもっと不確か)」では主人公たちの会話をヒヤヒヤと真剣な面持ちで聞いていたが、途中から、「あれ、ここって笑うところじゃね?」と思わせるシーンが顔を覗かせる。
もしかしたら、シリアスなドラマじゃないのかも、という疑問は、第二話「扉は開けたままで」で確信に変わる。いや、これはコメディに近い。
上映前に流れた濱口竜介監督のメッセージで、「肩の力を抜いて、椅子に深く座ってお楽しみください」と言っていた本意がいま分かる。
この魔法も濱口メソッドなのか
濱口監督は短編を作りたいと常々思っていたそうだ。
エリック・ロメール監督の編集を手掛けた人物と話をした際に、短編でも今回のような複数構成でニ時間程度の尺にすれば、日本でも興行システムに載せられるのではと思いつく。内容についても、多分にロメール作品の影響を受けていると自身で語っている。
◇
それなのに、映画評論家の多くが判で押したように、さも自分が発見したかのようにエリック・ロメールを本作の引き合いに出して論じているのは、ちょっと滑稽な気がした。
かくいう私は、ろくにロメール作品も観たことがなく、また濱口監督の作品も、注目を浴びた『ハッピーアワー』さえ317分の長尺に恐れをなして、まだ鑑賞できずにいるのだから、偉そうなことは言えないが。
◇
さて、本作には玄理、渋川清彦、占部房子、河井青葉といった、濱口監督の初期作品に出演したメンバーが名を連ねる。
一切の感情抜きで台本読み合わせに時間をかけるという<濱口メソッド>は、『ドライブ・マイ・カー』でも大きく効果を生んだと聞くが、本作でも活用されたのだろうか。きっとその成果なのだろうと思えるワンカットの長いシーンが、どの短編にも登場する。
短編という性格上、ストーリーについてはあらすじ以上に語ってしまうと即ネタバレになってしまう気がするので、あとは次項とさせていただく。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はくれぐれもご留意願います。
<第一話>魔法(よりもっと不確か)
モデルの芽衣子(古川琴音)が親友のヘアメイク・つぐみ(玄理)と、撮影を終えてタクシーに乗り込む。
どこに行くのかと思っていると、つぐみが最近運命的に意気投合した男の惚気話を、延々と芽衣子に聞かせる。気がつけばもう長い事、ろくにカットも割っていない。
だが、その出会った日から魔法のように深く共感しあった男女の話は想像が膨らむし、たまに小気味よく差し込んでくる芽衣子の短いツッコミも心地よい。クルマでの長い会話シーンは『ドライブ・マイ・カー』でお馴染みだ。
◇
そして、つぐみを先に下ろすと、芽衣子はタクシーに来た道を戻らせる。行きつく先は青山のデザイン事務所。社長は二年前に芽衣子がふった男・和明(中島歩)。
つぐみが夢中になっている男が語っていた、未だに失恋の傷が癒えない元カノとは、芽衣子のことだったのだ。
これは、かつて監督が飲食店の隣席から耳に入った他人の会話から着想を得た話らしい。もっとも、<偶然>元カレの部分はオリジナルだろうが。
◇
昔の男に会いに行き、次々と難癖をつけ始める芽衣子の性格の悪さと毒舌ぶりが、いかにも古川琴音似合いのキャラで安定感がある。
そこに、生真面目そうな昭和顔イケメン中島歩が絡んでくる痴話喧嘩がどこか新鮮。「あんたはバイブ以下だから別れたのよ!」とは衝撃的な台詞だった。
突き詰めれば三角関係の男女話ということなのだが、二つのパターンのエンディングの片方は、<想像>ということでタイトルと繋がるのだろうか。
<第二話>扉は開けたままで
授業の出席日数が足りないゼミ生・佐々木(甲斐翔真)が単位をくださいと土下座するが、作家で教授の瀬川(渋川清彦)はそれを認めず、彼の就職内定は取り消しになる。
厳しすぎる教授のようだが、アカハラの疑いが生じるからと、常に教授の部屋は扉を開けたままで、公明正大を旨としている。
逆恨みをした佐々木は、同級生でセフレの奈緒(森郁月)にハニートラップの共謀をもちかけ、瀬川にスキャンダルを起こさせようとする。
◇
奈緒は子持ちの専業主婦だが心理学を学ぼうと復学している。そのせいか周囲の女子大生からはハブられているらしいが、この謎めいた設定にも、復学して男を作っている点にも、エロさが滲み出ている。
そんな彼女が、芥川賞を獲った瀬川に近づき、色仕掛けで迫ろうと、瀬川の受賞著作にサインを求め、その本の朗読を始める。これがまた、相当にエロい内容なのだ。
綺麗な声で淡々と過激な描写を朗読をする奈緒と、ただそれを黙って聞く瀬川、開いた扉の向こうを普通に通行する男子学生。このかなりマヌケな設定を、みんなで真剣に演じているところに可笑しみがある。
短編ならではのエッジの効かせ方なのだろうが、官能小説を何分もひたすら朗読するだけの映像は、バブル期の深夜番組を除けば、ちょっと他に例が思い浮かばない。
いつもなら野獣に豹変するだろう渋川清彦が、それを聞いてただ興奮しましたと言うだけなのは意外。
『ドライブ・マイ・カー』でも、死んだ妻の朗読テープが重要な小道具になっていた。声というのは、匂いと同様に、何かを喚起させる要素なのかもしれない。
◇
この短編は、先に朗読からくる<想像>の部分があって、そのあとに<偶然>が来る。
元々教授に好意を寄せていた奈緒は、ハニートラップを諦め、教授の依頼で朗読の音声データをメールで自宅から送信するのだ。その際に子供が父親と帰宅して、ヤマトだ佐川だと宅配の話をしている。これが伏線だったとは思わなんだ。
<第三話>もう一度
高校の同窓会に参加するため仙台へやってきた夏子(占部房子)だが、友人は少なく、二次会もいかずに翌日東京に帰ろうとする。
そして仙台駅のエスカレーターで<偶然>に会いたかった旧友のあや(河井青葉)とすれ違う。お互いを見返し、あわてて駆け寄る夏子とあや。20年ぶりの再会だ。
同窓会の通知などきていないとあやが言う。冒頭に、コンピュータウィルスの蔓延でインターネットが使えなかったりデータが消失したりの被害を受けた時期があったと説明される。そのために、不完全な同窓会名簿だったのかもしれない。
あやの家に誘われてついていく夏子。だが、そこで思いがけない事実と向き合うことになる。
「ごめん。あなたの名前を思い出せない」と突如言い出すあやに、衝撃を受ける夏子。『ここは退屈迎えに来て』(廣木隆一監督)的な名前忘れのオチかと思ったら、次にあやは続ける。「でも、私の名前も分からないんじゃない?」と。
何と二人は、互いに相手を別の旧友と勘違いしていたのだ。そもそも、母校すら違う女子校なのである。
これはそんなことあるかよとツッコミ想定の笑う場面なのだろうが、こういうハプニングは結構ありえるように思う。自分にも、似たような思い込みで恥をかいた経験はある。
この二人は結局、まったくの赤の他人だったのだが、不思議と互いに相手の中に自分が探していた人物をみつけ、長年伝えられなかった思いをぶつけ合うことができる。
これまでの二作に比べると、本作は観終わった後味が心地よい。これを最後に持ってきた構成は正解だったと思う。
◇
村上春樹の短編小説をもとに、三時間の作品『ドライブ・マイ・カー』を撮ってしまう濱口竜介は、短編など映画にあらずと思っている監督なのかと思っていた。
だが、本作を観ると、短編になら許されるエッジの効かせ方みたいなものをよく理解して、役者を動かしている人だと言うことが伝わってきた。本作はシリーズ化の予定ありというではないか。楽しみに待ちたい。