『ファーザー』
The Father
認知症を患った父を演じるアンソニー・ホプキンスと、支える娘を演じるオリヴィア・コールマン。二人の名優が作り出す、泣かせようとしないドラマが胸にせまる。長篇初監督のフローリアン・ゼレールの演出力も素晴らしい。
公開:2021 年 時間:97分
製作国:イギリス
スタッフ 監督・脚本・原作: フローリアン・ゼレール 『Le Père 父』 脚本: クリストファー・ハンプトン キャスト アンソニー: アンソニー・ホプキンス アン: オリヴィア・コールマン 男: マーク・ゲイティス ローラ: イモージェン・プーツ ポール: ルーファス・シーウェル 女: オリヴィア・ウィリアムズ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ 公式サイトより引用
ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは記憶が薄れ始めていたが、娘のアンが手配する介護人を拒否していた。
そんな中、アンから新しい恋人とパリで暮らすと告げられショックを受ける。だが、それが事実なら、アンソニーの自宅に突然現れ、アンと結婚して10年以上になると語る、この見知らぬ男は誰だ?
なぜ彼はここが自分とアンの家だと主張するのか? ひょっとして財産を奪う気か? そして、アンソニーのもう一人の娘、最愛のルーシーはどこに消えたのか?
現実と幻想の境界が崩れていく中、最後にアンソニーがたどり着いた〈真実〉とは――?
レビュー(まずはネタバレなし)
アカデミー主演男優賞に輝く自然な演技
世界30カ国以上で上演された舞台「Le Pere 父」の映画化であり、原作者であるフローリアン・ゼレール自らが監督を務めている。
名優アンソニー・ホプキンスが認知症の父親役を演じ、『羊たちの沈黙』のレクター教授以来となるアカデミー主演男優賞を受賞。
本命と言われた故チャドウィック・ボーズマンを覆しての受賞、しかも本人は授賞式には欠席というのが、作品と離れて妙な騒がれ方をした。
だが、こうして映画を観れば、さすがの名優の演技に圧倒される。ちなみに、日本の舞台は、橋爪功と若村麻由美の共演だったとか。
◇
「涙が止まらない」とメディアは書き立てるが、ちょっと煽り過ぎではないかと思う。事実、私が鑑賞した映画館では、観客席からすすり泣く声は聞こえなかった。
思うに、これは、観る者の両親や祖父母等の近親者に、認知症を患ったひとがいたかどうかで、この映画の受け止め方は大きく変わるのだと思う。
◇
認知症は、国を問わず多くの人にとって身近に起こりうる病気だ。今のところ私は関わった経験がないが、いつそうなるとも分からない。こうした経験がある方にとっては、大きな負担であり、心痛であろうことは、想像に難くない。
そのような方にとっては、本作で描く世界は記憶と重なる部分も多いかもしれないし、強く訴えかけるものがあるのではないか。今回の評点はあくまで経験のない私の評価であり、その人の置かれた家族環境でとらえ方は大きく異なると感じた。
序盤は典型的な認知症の初期症状
さて、映画は冒頭、アンソニー(アンソニー・ホプキンス)に暴言を吐かれたという介護人が、辞めてしまった場面から始まる。
娘のアン(オリヴィア・コールマン)がようやく探してきた介護人なのに、腕時計を盗まれたと騒いで、娘の気苦労も意に介さない。
「私は誰の助けも必要ない。ずっとこのフラット(部屋)で暮らしていける」
そう虚勢を張るアンソニーだが、ものを盗られた妄想や、曖昧な記憶など、すでに認知症の初期段階を感じさせる。
◇
アンソニーの言動はともかく、ここまでの映画の醸す雰囲気は、とても落ち着いている。
ヘッドフォンから漏れ聞こえる、彼が好んで聴いているオペラの歌声は格調高く、またフラットのアースカラーを基調とした各部屋の雰囲気や風情のある調度類、差し込む陽光さえ優しい。
アンソニーの大事にしてきた生活ぶりが窺えるようだ。
【満席】本日5.15(土)Bunkamuraル・シネマの『#ファーザー』11:00、13:30、16:10の回に続いて19:00の回も満席となりました。
— 【公式】映画『ファーザー』🎬絶賛公開中 (@thefather_movie) May 15, 2021
明日のご予約は本日19:00よりこちらから➡️ https://t.co/QCjqUSPlAA pic.twitter.com/oayqZOqlGx
序盤では、話の流れも分かりやすい。認知症患者を、ステレオタイプに描いているからだ。つまり、健常者目線で、奇怪な行動をとり始めた人を追いかける。
認知症を題材にした映画は少なくない。
邦画なら、例えばこの分野の走りといえる『恍惚の人』や、愛する夫に忘れ去られる寂しさを描いた『明日の記憶』、或いは最近なら『長いお別れ』、洋画なら若年性認知症の『アリスのままで』や『アウェイ・フロム・ハー』等々。
そしてその多くは、観客が健常者目線で、主人公を観察している。
だが、面白いことに、本作は途中からその前提を崩しにかかる。観る者は、アンソニーと同じように混乱し、信じ切っていたはずの日常の記憶が次第に剥落していくのである。
レビュー(若干ネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
不安を煽る登場人物たち
アンソニーには、二人の娘がいる。彼を専ら世話してくれているのは長女のアンだが、彼が溺愛しているのは、画家の次女ルーシーだ。
アンの努力の甲斐もなく、彼女にはけして見せないような愛情を父はルーシーに示すが、なぜか、世界を飛び回っているルーシーは姿を見せない。
◇
そのルーシーによく似ているのが、新しい介護士のローラ(イモージェン・プーツ)。気難しいアンソニーも、ローラには心を開くようになる。
そして、アンは再婚してパリに引っ越すと言い出すのだが、なぜか、彼女のそばには、離婚したはずの元夫ポール(ルーファス・シーウェル)がいる。
更には、いつのまにかフラットの中にいる謎の男(マーク・ゲイティス)や、アンになりすます謎の女(オリヴィア・ウィリアムズ)まで現れる。
本作では登場人物の紹介は難しいが、登場時の認識で書けばざっと上記のとおりだ。
深まっていくアンソニーの混迷
このメンバーが、フラットの中に次々と現れては消え、また時系列がループし同じ会話が繰り返され、混迷を深めていく。
アンソニーが生活の拠り所にしている、30年暮らしたフラットと時間管理のための腕時計、この二つのアイテムさえ、存在がぐらつき始める。
アンソニーが暮しているのは、自分のフラットなのか、娘夫婦の家なのか、それとも介護施設なのか。そして、腕時計も、気が付けば自分の手首には残っていない。
アンは再婚してパリに引っ越すつもりなのか、離婚せずに夫とロンドンで暮らしているのか、それさえも分からない。
◇
「お義父さんは病気なんだ。施設に入れるほか解決策はない」という態度を露骨にみせる元夫のポール。
あるいは「あなたは、いつまで我々をイラつかせる気ですか」とアンソニーを責めたて、頬をはたく謎の男。突然に姿を見せなくなり、違う介護人に入れ替わってしまったローラ。
どこまでが現実か妄想か、分からなくなる構成。バーチャルで認知症を体験するような錯覚に陥る。
患者目線で現実と妄想を混在させた作風は、精神疾患の女性を扱ったNETFLIXの映画『ホース・ガール』を思い出した。
アンソニーとアンのぶつかり合い
アンソニーという役名は、アンソニー・ホプキンスの名前をそのまま使ったのだろう。劇中にでてくる生年月日も本人のものと聞く。フローリアン・ゼレール監督が、自身の原作を彼にあて書きし直したのだ。
当のアンソニー・ホプキンスは、本作での演技について、亡くなる前の父の様子を思い出して演じたので実に簡単だったと語っている。
これは本心だと思う。とても自然な演技で、気負いもない。彼の本作での演技について、日本でも名優たちがこぞって褒め称えるコメントを出している。「どう歳を取れば、あんな演技ができるのか」みたいな。
これは、ちょっと歯が浮くようだ。いや、確かに彼の演技は見事だった。私もそう思う。だが、考えてもみてほしい。サー・アンソニー・ホプキンスだ。彼なら驚くに値しない演技ではないか。
どちらかというと、私はアンのオリヴィア・コールマンの演技に圧倒された。溺愛する妹に比べ、自分には憎まれ口しかきかない偏屈ものの父。だが娘はその父を愛し、ひっそりとキッチンで泣き崩れる。
ベタなドラマにしていないところがいい。アンソニーが実名の役なら、アンの役名は、彼女にアカデミー主演女優賞をもたらした『女王陛下のお気に入り』のアン女王に因んだのかも。
◇
率直にいえば、観終わった当初は、なかなか姿を見せなかった次女のルーシーや、分からなかった登場人物の正体も含め、モヤモヤが残る終わり方だと思った。
だが、少し間を置くと、これは認知症を患ったアンソニー主観の物語なのだから、周囲のいろいろな謎がキレイに解決してしまっては、かえって嘘っぽい。
だから、こういうエンディングでいいのだと、思えてきた。その意味では、幼児に逆行してしまったようなアンソニーが母親を探し求め泣く姿は、想定されるべき着地点なのかもしれない。