『Mank/マンク』
Mank
デヴィッド・フィンチャー監督が描く、実在の新聞王をモデルに『市民ケーン』を仕上げた脚本家マンク。ゲイリー・オールドマンの軽妙な芝居がいい。この時代の映画業界に明るければ、一層楽しめること請け合い。
公開:2020 年 時間:131分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: デヴィッド・フィンチャー
脚本: ジャック・フィンチャー
キャスト
ハーマン・J・マンキーウィッツ:
ゲイリー・オールドマン
マリオン・デイヴィス:
アマンダ・サイフレッド
ウィリアム・ランドルフ・ハースト:
チャールズ・ダンス
リタ・アレクサンダー:
リリー・コリンズ
ルイス・B・メイヤー:
アーリス・ハワード
ジョセフ・L・マンキーウィッツ:
トム・ペルフリー
ジョン・ハウスマン:
サム・トラウトン
アーヴィング・タルバーグ:
フェルディナンド・キングズレー
サラ・マンキーウィッツ:
タペンス・ミドルトン
オーソン・ウェルズ:
トム・バーク
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
社会を鋭く風刺するのが持ち味の脚本家・マンク(ゲイリー・オールドマン)は、アルコール依存症に苦しみながらも新たな脚本と格闘していた。
それはオーソン・ウェルズ(トム・バーク)が監督と主演などを務める新作映画『市民ケーン』の脚本だった。しかし彼の筆は思うように進まず、マンクは苦悩する。
レビュー(ネタバレあり)
フィンチャー新作は『市民ケーン』の脚本家
うーん、評価が悩ましい映画が来た。鬼才デヴィッド・フィンチャーがメガホンをとり、名優ゲイリー・オールドマンが、あの不朽の名作『市民ケーン』の脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツ(マンク)を演じたNetflixオリジナル作品。
話題的にも賞レース的にも、十分に健闘できそうな作品だと思う。
◇
この手の社会派ドラマが好きな人には、きっと見応えがあるだろう。当時の映画業界の裏話的なものが好きな人にも向いているかも。
とはいえ、例えばタランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』とは大分異なるテイストだ。
デヴィッド・フィンチャー監督作品としては、少々異色な部類、少なくともサイコ・スリラー要素、エンタメ要素は抑え目。
従って、『セブン』や『ゲーム』で興奮した、あのフィンチャー的なものを期待すると、ちょっとギャップがあるだろう。私など、まさにそう感じた一人である。
オーソン・ウェルズ(トム・バーク)の厳しい督促に追われながら、新聞王ハーストをモデルに脚本を書き始めるマンクの姿を、当時の映画業界の動向を回想させながら、丁寧に描いた作品なのだ。
◇
風合いが特殊なのは、脚本がデヴィッドの父親のジャック・フィンチャーによって生前2003年に書き上げたものだからかもしれない。
丁度『ファイト・クラブ』の公開後の時期だが、フィンチャー監督はその頃から、亡父の遺した脚本の映画化を画策していたようだ。
知っておいたら、役に立つかも『市民ケーン』
本作を観るにあたっては、かつて『宇宙戦争』のラジオドラマが本物っぽすぎて、米国民にパニックを引き起こした伝説を残す、オーソン・ウェルズという人物を知っているとよいが、まあ、知らなくてもよい。
ただ、彼の、というより映画史に残る最高傑作とも云われる『市民ケーン』を観ておくと、一層理解は深まる。
◇
『市民ケーン』は、新聞王ケーンの破滅的な生涯を描いた作品で、ジャーナリストが取材する関係者の証言で構成される。
ケーンのモデルは実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト。財力とコネクションで知事選に出馬するも愛人スキャンダルを暴かれて破れ、また愛人を一流歌手として売り出そうとするが失敗。
NY郊外にザナドゥー城と呼ばれる大邸宅を構えるが、やがて愛人も去っていく。全てを手に入れ、そして失った男が、死ぬ間際に遺した言葉「ROSEBUD(バラのつぼみ)」の意味を、記者が追いかける映画である。
さすがにここで「ROSEBUD」の意味を語るような無粋なマネはしない。
同作品が高く評価されているのは、当時としては画期的な撮影技法や脚本の構成が、多数採り入れられていることと、誰をモデルにしたのか明白な作品を作り上げた風刺的な姿勢だろうか。
ただ、当時としては先見性に富んでいたわけだが、今日では当たり前のように日常的に目にしている。
◇
そのため、改めて『市民ケーン』を観ても、映画史上の最高傑作という評価に同意できない人は、少なからずいるだろう(決して偉大な評価に、異を唱えている訳ではない)。
なお、『Mank』のラストにもあったように、『市民ケーン』はアカデミー賞ノミネート数の割には脚本賞しか受賞できていない。これは、ハーストの妨害工作によるものとみられている。
映画は、二つの時間軸で進んでいく
さて、話を『Mank』に戻そう。
本作では、両足を骨折し別荘で療養生活を送るマンクが、口頭筆記するリタ・アレクサンダー(リリー・コリンズ)の手を借りながら、ウェルズの指示通りの締め切りを目指して脚本を執筆するのが、主の時間軸となっている。
そこで彼は、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)をモデルに、『市民ケーン』の脚本を書こうとしているのだ。
◇
そして、もう一つの回想の時間軸では、ハーストや、彼の支持者である映画スタジオMGMの経営者ルイス・B・メイヤー(アーリス・ハワード)、ハーストの愛人マリオン・デイヴィス(アマンダ・サイフレッド)が登場。
マンクはマリオンとは何でも言い合える親しい間柄になっていく一方で、ハーストやメイヤーとは対立を深めていく。
MGMのメイヤーは先日観た『ジュディ 虹の彼方に』でもパワハラぶりを発揮していたばかり。売れっ子である。
マスコミを勝手に使う選挙戦は今なお健在
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の原作者としても知られるアプトン・シンクレア。この社会主義者が民主党から州知事に立候補する。
彼に苦い過去のあるメイヤーは、対立候補である共和党のフランク・メリアムを推す。
この選挙戦争い(当事者は名前しか出てこないが応援合戦)で、マンクはシンクレアを推す。社会主義は富を分け合うが、共産主義は貧乏を分け合うのだと。
だが、メイヤーは当時の報道の主流であった映画館のニュースを使い、フェイクニュースで大衆操作の禁じ手に走る。これが決定的な溝を作ることになる。
そこにあるのは、猿回しの猿の意地か
さて、マンクの周囲の親しい人たちは、ハーストとメイヤーを敵に回して脚本を書けば、この業界で生きていけないとマンクに再考を促すが、彼は聞く耳を持たない。
マンクがハーストに一矢を報いたい原動力は、ハーストにコケにされた<オルガン弾きと猿>の寓話だ。着飾って踊り、周囲に持て囃された猿は、誰が主人かを忘れて勘違いする。
◇
マンクはウェルズに懇願して契約を改めさせ、脚本を共同クレジットにしてもらう。これがなければ、『市民ケーン』の栄誉は、すべてウェルズが独占していただろう。
本作が事実なら、脚本の書き手はあくまでマンクだ。だが、彼を追い詰めて本作を書かせ、映画として結実させ、権力と一戦を交える覚悟があったウェルズにも、功績が認められてよい。
「ROSEBUD(バラのつぼみ)」とは、ハーマンが愛人のマリオンの秘部につけた愛称だという噂もあったらしい。
それを知っていて、マンクが『市民ケーン』の重要な台詞に採用したのだという説もあるが、「知っていたら書いたのに」と、本作の中でマンクは笑っていた。ここはそういう解釈のほうが美しい。
結局、脚本賞受賞前後から、ウェルズとの折り合いも悪く、疎遠のままマンクは数年後に他界してしまう。ウェルズに対し一矢報いたことと、共同脚本だが傑作に名前を残すことができたのはせめてもの救いか。
ゲイリー・オールドマンの演技のおかげで、重苦しい内容ながらも、少し軽快さをもった作品に仕上がっている。でも、やっぱり、フィンチャーは、昔ながらのサイコ・スリラー路線に戻ってくれないかな。