『ファイトクラブ』今更レビュー|規則第一条、クラブについて口外してはならない

スポンサーリンク

『ファイト・クラブ』 
 Fight Club

デヴィッド・フィンチャー監督がブラッド・ピットと再タッグを組んだバイオレンスドラマ。喧嘩集団ファイト・クラブ。

公開:1999年  時間:139分  
製作国:アメリカ

スタッフ 
監督:  デヴィッド・フィンチャー
脚本        ジム・ウールス
原作:   チャック・パラニューク
       『ファイト・クラブ』
キャスト
タイラー・ダーデン: ブラッド・ピット
主人公・「僕」: エドワード・ノートン
マーラ・シンガー: 
        ヘレナ・ボナム=カーター
ボブ・ポールセン:   ミート・ローフ

勝手に評点:3.5
        (一見の価値はあり)

あらすじ

不眠症に悩む、大手自動車会社でリコール調査担当の主人公(エドワード・ノートン)はタイラー(ブラッド・ピット)と名乗る男と知り合う。

ふとしたことからタイラーとジャックが殴り合いを始めると、そこには多くの見物人が。その後、タイラーは酒場の地下でファイト・クラブなる拳闘の秘密集会を仕切ることに。

たくさんの男たちがスリルを求めて集まるようになるが、やがてそのクラブは恐るべきテロ集団へと変貌していく。

今更レビュー(ネタバレあり)

フィンチャー、ノートン、ブラピ

『セブン』(1995)で一躍有名になったデヴィッド・フィンチャー監督が、再びブラッド・ピットとタッグを組んだ本作。そしてダブル主演ともいえる主人公の『僕』には、当時既に演技力に定評のあったエドワード・ノートン。わくわくするキャスティングだ。

平凡を絵に描いたような会社員の主人公が、飛行機で隣に乗り合わせたタイラーという奇妙な人物と知り合いになる。

フライトから戻れば、イケアの家具で見栄えよく飾り立てたマンションの自室がなぜかガス爆発で入室もできず、多生の縁ですがりついたタイラーと意気投合。

二人は過激な悪戯を繰り返し、ストリートファイトの愛好会ファイト・クラブを創設する。だが、組織は創設者のひとりである『僕』の手を離れて、次第に過激さと勢力を増していく。

『エイリアン3』に始まり『セブン』『ゲーム』と快調に傑作を世に出すデヴィッド・フィンチャー。本作も波に乗っている時期の作品だけあって、やることなすことスタイリッシュに決まっている。

サブリミナル効果ときたか

何といっても痺れるのは、前半のタイラーと出会うまでの展開だ。

全米各地に出張しては自動車事故を検分してリコール要否を審査する仕事。会社の政治的意向がからむ、ストレスフルな仕事が窺える。そして鬱憤をはらすかのように、衣食住にカネをかける消費生活

それでも足らずに、各種難病の患者同士が集まるセラピーに毎夜通っては、患者になりすましては、自分の話を周囲が聞いてくれることで承認欲求を満たす。

なんとも病んだライフスタイルだが、そこに同じように参加してくる仮病の女マーラ(ヘレナ・ボナム=カーター)が現れ、縄張り争いになる。

睾丸を切除したガン患者の集いをどっちが取るかで、「お前は女だろう!」「あんたはタマがあるでしょ!」と言い合いになるバカらしさ。この辺はチャック・パラニュークの原作に忠実な展開。

だが、そこに映画ならではの遊び心が加わる。サブリミナル効果のように、シーンの途中に脈絡なく一瞬見知らぬ男の姿が入るのだ。これが誰かはすぐに判明するが、目を凝らしていないと、数カットあるこのシーンは素通りしてしまう。

私はかつて公開時にこれに気づいて、随分と荒っぽい編集ミスだと呆れていたのだが、やがて意図的なものと分かる。この男こそ、やがて登場するタイラーだったからだ。

退屈な日常からの脱出

世間の価値観に踊らされて、なんとなく惰性で生きている若者が、突如現れた本能の赴くままに勝手気ままに生きるタイラーに強い刺激を受ける。これまで思ってもみなかった、真剣勝負の殴り合い。身体は痣だらけで歯は折れるが、一週間もすると体つきに変化が生じる。自分の中にあった何かが覚醒する。

イケアの家具磨きから本当のストレス解消法に。そして、主人公と同じような男たちは街に溢れていたのだろう。みんな、ファイト・クラブの虜になっていく。「ワークアウトなんか、ただの自慰行為だ」と。

スポンサーリンク

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

さて、犬猿の仲だったマーラは、いつの間にか自殺すると騒いでは主人公に電話してくるようになっていた。そして、彼女に近づかないようにしているうちに、まんまとタイラーはマーラと親しくなり、彼女を自分の家に呼んで一緒に過ごすようになる。

こうして三人の生活が始まる。「僕」などお構いなしに、タイラーとマーラはセックス三昧の日々だ。ここで気がつかなければいけないのは、この三人はけして同時にはシーンに出現しないということだ。マーラが「僕」といるときには、タイラーの姿は見えない。

そして、「僕」のマンションの部屋の爆発には、自家製の爆薬が使われていことが分かる。石鹸の原料を使った爆薬の精製は、タイラーの得意とするところだった。

Fight Club (1999) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers

辿り着いた真相

やがてタイラーは「僕」に内緒でファイト・クラブから軍隊のような猛者を集めたスペースモンキーたちを結成し、騒乱計画(プロジェクト・メイヘム)と称するテロ行為を起こそうと画策する。

タイラーの行動に怪しさを感じ取った「僕」は、失踪してしまった彼を探しに全米を飛び回る。いまや、各地でファイト・クラブが運営されていた。

そして、観ている我々も半ば気付いている事実であるが、それを、旅先のファイト・クラブでついに「僕」は知らされる。

「タイラーを見なかったかって。私を試しているんですか。タイラー・ダデンはあなたです」

何のことはない。タイラーは「僕」にとって憧れの存在に見えたのは当たり前だ。欲求や理想を全て具現化した存在なのだから。タイラーはイマジナリーフレンドであり、「僕」自身だったのだ。つまり、彼は自分で自分のマンションを爆破したのだ。

不眠症で悩んでいたという「僕」だったが、実は眠っている間にタイラーが行動していたということらしい。のちに『インクレディブル・ハルク』となるエドワード・ノートンだが、本作で既に、超人に変わる人物を演じていた。

だが、彼が真相に気づいても、もはや騒乱計画は止まらない。優秀で忠実なメンバーたちが、手製の爆薬を金融街の複数ビルに設置している。

映画の冒頭で、「僕」はこのテロ計画の爆心地でタイラーに銃を向けられている。映画の本編は全て、そこからの回想なのだ。この時「僕」がマーラを非難するのは、彼女がことの発端だからだ。マーラは「僕」を欲し、「僕」はタイラーに憧れ、タイラーはマーラを求める。彼女の出現で生じた三角関係。

ラストの生死をどうみるか

本作のラストは、爆弾の多数設置された金融街の真ん中のビルの高層階での『僕』とタイラーの戦いだ。自分の分身ならば、自らに銃口を向ければ、幕引きができるはず。こうして『僕』は自分を撃ち、タイラーは死ぬ。

映画では『僕』は重傷を負うが、弾丸がそれて死んではいないようにみえた。だがそれでは、頭蓋骨に貫通しタイラーが息絶える理屈がない。やはり『僕』はここで既に死んでいるのだろう。「マーラ、出会うのが遅すぎた」と言っているし。

結局、周囲のビルはみな爆破で崩壊する。その後、『僕』とマーラのいるビルの映像も揺れて消えるところから、このビルも大破したのだろう(サブリミナルで男性のイチモツが一瞬入る)。だから、どっちにしても生きてはいないのだと思うが、このあたりは原作を読んでも、はっきりとは書かれていない。

本作は1999年の公開だが、集団行動による過激活動、金融街のビル大破、そしてグラウンドゼロ(爆心地)という言葉から、二年後に起きる9・11のアメリカ同時多発テロを予見させるものといえるかもしれない。この時代のフィンチャー作品は、どれもはずれがない。