『恐怖分子』考察とネタバレ|それは静かに育ち、人の心に繁殖する

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『恐怖分子』
 Terrorizers

電話ひとつで人の心に恐怖の種は宿り、静かに育っていく。早逝の鬼才エドワード・ヤンの遺した秀作。

公開:1986 年 (日本公開1996年)
時間:109分  製作国:台湾
  

スタッフ
監督:    エドワード・ヤン(楊徳昌)

キャスト  
リーチュン: リー・リーチュン(李立群)
イーフェン:   コラ・ミャオ(繆騫人)
シューアン:     ワン・アン(王安)
シャオチャン:
      マー・シャオチュン(馬邵君)
クー警部:   クー・パオミン(顧寶明)

勝手に評点:4.0
(オススメ!)

(C)CENTRAL PICTURES CORPORATION

ポイント

  • 窓から現れる拳銃、壁一面に貼られた娘の写真、鳴り響く電話のベル、流れる水音。随所にエドワード・ヤン監督の魂が宿るようだ。心理的に追い詰められていく都会生活者の恐怖。うまいなあ。

あらすじ

台北の朝。恋人と寝ていたアマチュア・カメラマンのシャオチャン(マー・シャオチュン)は銃声で目を覚まし、カメラ片手に外へと飛び出す。

外では警官の目をかすめて、不良少女シューアン(ワン・アン)がビルから逃走したところだった。

同じ頃、女流作家のイーフェン(コラ・ミャオ)と病院勤めの夫リーチュン(リー・リーチュン)の一日も始まった。

シューアンがかけた1本のいたずら電話によって、何のつながりもなかった人々の間に奇妙な連鎖反応が生じ、やがて悲劇が巻き起こる。

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レビュー(まずはネタバレなし)

冒頭から引き込まれる台北の朝

エドワード・ヤン監督が1986年に手がけた長編第3作目にあたる作品。長尺ものばかりかと思えば、本作は2時間枠に収まっている。その分、純度も高い。

冒頭の夜明けの台北の静寂を破って走るパトカーシーンから、早くも完成度の高さを窺わせる。

アパートの窓からニュッと飛び出た腕と拳銃、早朝の住宅街での発砲、路上に横たわる死体。

不良たちのアジトの古アパートが、警察の手入れを受けたのだ。銃声を聞き、カメラを片手に飛び出した若者は、逃亡する娘の姿をとらえ、レンズを向ける。

つかみはOK。雨どいをつたう排水の音がやけに大きく、<水音>に何らかの意味を持たせていそうだ。


舞台は変わり、病院に勤務する夫とスランプに悩む作家の妻の話になる。病院で前任課長が自殺したことで、同期を蹴散らして後釜をねらう夫。

一方の妻は、毎日家の中にいて同じ生活の繰り返しで書くネタも思いつかず、変化を求める。

「ヤンヤン 夏の想い出」の母親と同じような苦悩だが、こちらの作家の妻は宗教には走らず、昔の男とよりを戻し始める。

(C)CENTRAL PICTURES CORPRATION

不良娘は二度ベルを鳴らす

この夫婦と冒頭の事件がどう絡んでいくのかが、はじめは明かされない。

現場からの逃走中に脚を痛め、親に自室に軟禁された娘シューアンが、ひまに任せて手あたり次第にかけた悪戯電話の一本を、作家の妻が受けてしまう(このあたりは予告編にも出てくる)。

さて、一方のカメラマンの青年は、現場で撮った写真から、逃亡した娘に恋い焦がれ、同棲していた恋人(ホアン・チアチン)も捨てる。

更には、手入れ後に空き部屋になっていたアジトを借り、暗室として使い始めるのだ。ここで、ポスターにもある、あの<壁一面のシューアンの写真が出てくる。

写真の彼女の美しさもさることながら、小さな印画紙を何十枚も使って構成されていることで不思議な印象を与え、かつ、それが風にはためくことで強い映像効果を生み出している。

このシーンだけで、★4つあげたくなるくらいの出来栄えだ。

台湾の鬼才エドワード・ヤン監督作/映画『恐怖分子』予告編

レビュー(ここからネタバレ)

拡散した恐怖分子の顛末

夫から離れ、昔の男のもとで働きだした妻は、悪戯電話から創作意欲をかき立てられたか、作家としても活躍し始める。

夫の方は不良グループの捜査を担当していた刑事と旧知の仲であり、彼を頼って妻を見つけ出すが、なかなか戻ってこようとはしない。

愛人を装った悪戯電話という、シューアンが撒いた恐怖分子が拡散し、人々はありもせぬ想像を膨らませていく。

思えば、夫の勤める病院で自殺したという課長も、きっかけは愛人の存在が発覚したとか、しないとか。明らかにはされないが、これもシューアンの電話がトリガーだったのではないのか。

(C)CENTRAL PICTURES CORPRATION

<電話>と<水音>の意味は

本作では、<電話>と<水音>が意図的に多用されている。

<電話>は勿論、恐怖分子を拡散させる凶器な訳だが、各登場人物の自宅にある固定電話町中に設置された公衆電話など、色とりどりの(おそらく官製の)電話機が使われ、時代を感じさせる。

電話帳の存在や昔の仕様のベルの音も、劇中曲の「煙が目にしみる」以上にノスタルジックだ。悪戯電話ができないように、ダイヤルを施錠する器具も面白い。

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作家妻の不倫相手が立ち上げる会社も、商品棚をみると携帯電話の販売会社のようであり、ここも<電話>がモチーフになっている。

<水音>は、トイレから洗面所までの生活排水や、雨音、そして終盤の風呂場のシーンまで随所に大きな音で使われている。

これは、ラストシーンで強調される風呂場の水音に向け、統一感をもたせるための仕掛けだったのだろうか。

ついでにいえば、例えばカメラマンの青年が同棲する部屋で大きく揺れるレースのカーテンは、黒沢清監督が常用する不吉の象徴の演出とも思えた。

また、夕陽をバックに台北の町中に居座る巨大なガスタンクは、森田芳光監督の黒い家を思い出させた。

(C)CENTRAL PICTURES CORPRATION

あなたが私にくれたもの

以下ネタバレになりますので、未見の方はご留意ください。

カメラマンの青年は、暗室になぜか突然作家の妻が訪ねてきたことを思い出し、シューアンの悪戯電話と彼女の受賞小説の結びつきに気づく。

それを知らされた夫は、小説を読み、愛人など事実無根だと妻に直談判するが、相手にされず。遅かれ早かれ、妻は元の恋人と一緒になるつもりだったのだ。悪戯電話はきっかけを作ったにすぎない。

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妻に逃げられ、出世もしくじった夫は、酔いつぶした旧友の刑事から拳銃を奪い、会社の上司、妻の不倫相手と次々と復讐を果たしていく。だが、それでも愛する妻は撃てない。

そして夫は美人局で荒稼ぎしているシューアンたちにも客を装って近づき、復讐を果たそうとする。そのホテルの一室を、刑事たちが取り囲む。

だが、ここで響く銃声で、頭を撃ち抜いて死んでいるのは、夫自身なのだ。しかも刑事と飲んだ寮の大浴室で。なんと、夢落ち。

だが、こんなに切なく悲しい夢落ちは見たことがない。夫が妻に与えられたものは、吐き気だけだったのか。

そして、流れる<水音>は響き続ける。