『BLUE ブルー』
自身がボクサーでもある𠮷田恵輔監督が、思いを全て出し切った作品。松山ケンイチと東出昌大が背中で語るボクサーの悲哀。リアルさが痛い。
公開:2021年 時間:107分
製作国:日本
スタッフ 監督: 𠮷田恵輔 キャスト 瓜田信人: 松山ケンイチ 小川一樹: 東出昌大 天野千佳: 木村文乃 楢崎剛: 柄本時生 洞口正司: 守谷周徒 ジムの会長: よこやまよしひろ 比嘉京太郎: 松浦慎一郎
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ(公式サイトより引用)
誰よりもボクシングを愛する瓜田は、どれだけ努力しても負け続き。
一方、ライバルで後輩の小川は抜群の才能とセンスで日本チャンピオン目前、瓜田の幼馴染の千佳とも結婚を控えていた。千佳は瓜田にとって初恋の人であり、この世界へ導いてくれた人。強さも、恋も、瓜田が欲しい物は全部小川が手に入れた。
それでも瓜田はひたむきに努力し夢へ挑戦し続ける。しかし、ある出来事をきっかけに、瓜田は抱え続けてきた想いを二人の前で吐き出し、彼らの関係が変わり始めるー。
レビュー(まずはネタバレなし)
ボクシングの本当の世界
世間にボクシング映画は数多くあり、優れた作品も少なくない。だが、ここまでボクサーの生き様やリングでの殴り合いにリアリティを求めた作品は珍しい。
それは他ならぬ𠮷田恵輔監督自身が、映画監督である前に中学生から30年間以上ボクシングを続けている、本物のボクサーだからこそなせる業なのだ。
監督本人が殺陣も作るなんて、ボクシング映画では前代未聞だろう。𠮷田監督も、役者やスタッフにはボクシングの指導しかしなかったように思うと語っている。
◇
ボクシングの映画には、演出上の嘘が多いという。素人目には分からないが、𠮷田監督に言わせれば、顔面がガラ空きでも、役者の顔は大事だからボディばかり殴っていたり、なんでそのパンチをボクサーがガードで防げずダウンしちゃうのか、とか。
だから、本作では、減量だけではなく、時間をかけて役者にボクサーの所作を身に付けさせ、危険ギリギリの動きを求めた。
結果として、ボクシング愛好家に見せても恥ずかしくないリアルさが出た。ただ、その分、派手さもなくなっていき、どんどん地味な試合運びになっていく。これを映画としてどうみるか。
青コーナーだからBLUE
『ロッキー』から『あゝ、荒野』まで、和洋を問わず多くのボクシング映画では、最後の試合での勝敗をクライマックスに据え、苦難の末に勝利をつかむことに重きを置く。
相手をマットに沈めるパンチはスローで再生され、ドラマティックに演出される。こう書くと、既にスタローンが「エイドリアーン」と腫れた顔で叫んでいる姿が、脳裏に浮かんでいる。
◇
だが、本作がスポットを当てるのはそこではない。努力はしても、なぜかなかなか勝てない、それでもボクシングが好きで、毎日練習に励み、トレーナーとして指導も続ける男の背中を追う。
そこに華やかさはないが、ボクサーであり続ける一人の男の姿が描かれている。
◇
赤コーナーはチャンピオン、青コーナーは挑戦者。いつも負け続けの主人公は、万年青コーナーのボクサーだ。だからタイトルは『BLUE』。このひとひねりある題名はなかなか良い。
何者にもなれなかった人の努力
<何者にもなれなかった人の努力>を、拾い上げたい。これは、実際に監督が通うジムでかつて出会った実在の人物をモデルとしているという。
その主人公・瓜田信人を演じる松山ケンイチが素晴らしい。
努力家の彼が2年かけてボクサーの身のこなしと体型を身に付けたのも凄いが、そこに、何度敗けても凹まず明るく、そして誰に対しても優しく温かい、そんな人柄が加わる。このキャラは松ケンならではの深みだと思う。
◇
そして同じジムで少し後輩にあたる天才型のボクサー・小川一樹に東出昌大。才能と運にも恵まれ、試合に勝ち進んでいくが、パンチ・ドランカーの症状なのか、記憶障害が進行していく。
松ケンと東出の共演といえば、将棋の世界で対戦した『聖の青春』を思い出す。どちらもストイックで知られる世界だが、だいぶ体型も異なるのでイメージは被らない。
瓜田の初恋相手・千佳(木村文乃)は、今や小川の恋人になっている。ボクシングでも敵わず、彼女も奪われ、だが瓜田はよき先輩として小川と接し、そして千佳の相談相手にもなっている。
◇
緊張感のある映画の中で、コミックリリーフで重用されているのが、ジムに新規加入した楢崎剛。演じる柄本時生もまた、『聖の青春』の共演者だ。
ボクサーのキツイ練習に興味はなく、ボクサー風を目指すという、人を食った入会動機が彼らしい。でも最近は多くのジムでボクササイズが人気だし、こういう男性も多いのか。
人生のストック全部出し切った
ボクシング映画にドラマティックな試合運びや後楽園ホールの割れんばかりの声援とかを期待する人には、ちょっと方向性が違う映画だと思う。
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ボクシングが危険と背中合わせのスポーツだということは、本作でも伝わってくる。ただ、『あしたのジョー』の時代にあった、ボクサーの最期は死ぬか廃人になるか、みたいな価値観とは少し違う。
町屋良平の芥川賞受賞作『1R1分34秒』のように、ボクシングには、勝敗だけではない意味があるのだということを教えてくれる作品だ。
𠮷田恵輔監督は人生のストックをここで一回出し切ったという。だから次の作品が『空白』という訳ではないだろうが、監督の人生哲学が詰まっている。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
ボクシングの世界のあるある
本作は主人公たちのボクサー姿に見惚れるべき作品なので、大きなどんでん返しはない。
𠮷田恵輔監督のほかにも出演者にボクシング経験者は多く、瓜田と楢崎が対戦した元キックボクサーの比嘉役の松浦慎一郎も、『百円の恋』『あゝ、荒野』『アンダードッグ』等のボクシング映画指導で知られる人物だ。
その他、対戦相手は本物のボクサーを揃える。ジムの会長もあのとぼけた演技は絶対本物の関係者だと思ったが、よこやまよしひろは俳優だったので驚いている。
楢崎のキャラは実にイラつく。きっとこういう人は実在するから書いたのだろう。柄本時生が似合いすぎる。
スパーリングをスパークリングと言い間違えて、モテたい動機で入会して、『はじめの一歩』の技を真似して、ジム共用のマウスピースが気持ち悪くて嗚咽する。あるあるネタなのかもしれない。
でも、そんな彼が、バカにされていた先輩の洞口(守谷周徒)より先にプロテストに受かったあたりから、彼のボクシングに対する姿勢が変わり始める。この辺から、ストーリーが読めなくなってきて、面白くなる。
ただ、楢崎が試合の途中で瓜田に言われた<基本が大事>のアドバイスを思い出し、見違えるように形勢逆転するのは、ちょっとやり過ぎ感があった。ここもリアルの追求なのだろうか。
どこまでいい人なんだろう
「基本ってそんなに大事なんすか。基本があれば、弱くてもプロって、許せないっすよ」と洞口。
「この負けをバネにしてって言われても、バネにできずに毎回負けてる人に言われも困るんですけど」と楢崎。
負けが続く瓜田への、周囲の風当たりは厳しいが、彼はちょっと困った顔をするだけで、平静を崩さない。
◇
瓜田が千佳に頼まれてふざけて彼女の拳にテープを巻きながら、二人で交わす言葉があまりに甘く、そして切ない。
「瓜ちゃん、なんでボクサーになったの、強くなりたかったから?」
「高校に入ったらいじめられそうだから、ボクシングでも始めろって千佳が薦めたんじゃん」
「ウソ、全然覚えてないんだけど。でも私、言いそう。それで始めたんなら、ごめん。私、ヒトの人生変えちゃったね、後悔してる?」
「後悔してないよぉ」
この会話に、二人の親しい関係や人柄、瓜田の気持ちが詰まっている。美しいシーンだ。口がタコになる千佳のファイティングポーズが可愛い。
負け続けて悔しい訳がないし、千佳が小川と付き合っていて、嬉しいわけもない。瓜田の本心は穏やかではないはずだ。
「今度の試合に勝ったら、千佳と結婚することにしました。勝っちゃって、いいすか」小川もまた、瓜田の心を見抜いている。
ついにチャンピオンになった小川に、瓜田は本心を明かす。
「俺、お前が負ければいいと思ってたよ。今日だけじゃない、ずっと」
「何よ瓜ちゃん、殴られすぎたか?」と場を繕う千佳。だが、小川は瓜田の気持ちを知っている。彼は一人で立ち去る瓜田の背中に、脱帽し頭を下げる。彼もまた、フェアな男だった。
あしたはどっちだ
瓜田はその後ジムを去る。記憶障害が日に日に進行していく小川がしっかりしているうちに、瓜田は自分の心情を伝えておきたかったのかもしれない。
ドクターストップでリングに立てなくなった小川は、再起を夢みているのか、ランニングに精をだす。彼にとっては、人生がボクシングそのものなのだ。
◇
そして、海辺の水産加工場で仕事をする瓜田。松山ケンイチがこういう場所で働いていると、『怒り』のワンシーンのよう。瓜田は、ボクサーの夢をあきらめてしまったのか。そう思っていると、美しくキレのよいシャドーを始める。なんだか、嬉しい。
エンディングの曲は、本編にも登場した竹原ピストル。彼もまた大学でボクシング部にいた男だ。
「足跡を残したいわけじゃない、足音を鳴らしていたいんだ」心に沁みる。