『冷たい熱帯魚』
園子温が実在した猟奇殺人事件をベースに撮った救いのない世界。吹越満とでんでんが、恐怖と狂気に満ちた世界への誘う。遺体を切り刻む際に口ずさむ鼻歌は、Winkではない。
公開:2010 年 時間:146分
製作国:日本
スタッフ 監督: 園子温 キャスト 社本信行: 吹越満 村田幸雄: でんでん 村田愛子: 黒沢あすか 社本妙子: 神楽坂恵 社本美津子: 梶原ひかり 筒井高康: 渡辺哲 吉田アキオ: 諏訪太朗
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
小さな熱帯魚店を営む社本信行(吹越満)の家庭では、若い後妻の妙子(神楽坂恵)に年頃の娘・美津子(梶原ひかり)が反発しており、そのため夫婦の関係にも亀裂が生じていた。
そんなある日、彼は娘が起こした万引き事件をきっかけに同業者の村田(でんでん)と知り合う。やがて村田の事業を手伝うことになった社本は、いつしか恐ろしい猟奇殺人事件に巻き込まれていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
ここから家賃三部作なるものが始まった
園子温監督による、実際の事件をベースとした映画化。
『恋の罪』『ヒミズ』とともに、俗にいう「家賃三部作」の第1作目にあたる。家賃を支払うための必要性にかられて撮った作品という訳だが、低予算でも圧倒的にインパクトのある仕上がりになっている。
『愛のむきだし』で、監督の作品にエロスだけでなく神の救済や愛の尊さに魅了された人、或いは、その後の『ちゃんと伝える』で、普通の監督になってしまったのか心配した人に、本作は園子温の本来の姿をみせつける格好になったのではないか。
◇
何より、徹底して救いのない内容だ。実に潔い。静岡で小さな熱帯魚店を営む、星を愛する男・社本(吹越満)。
若い後妻と年頃の娘というギクシャクした家庭事情はありがちだが、そのほんの小さな隙につけいり、社本を巧みに操るようになる、同業者の村田(でんでん)。
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思えば10年前、初めて観た時には、せいぜい高級熱帯魚を使った出資詐欺を企む詐欺師ものの映画かと思っていた。でんでんの人の懐にうまく入り込む話術と、人のよさそうな笑顔が、いかにも怪しそうだったから。
これは半分正解で、映画の内容は大きく想像を上回る。なにせ、この男は猟奇殺人犯というのだから。
でんでんが初めての悪役を熱演
主演の吹越満のありふれた小市民が発狂しそうになっていく姿がいい。妻・妙子の神楽坂恵のあまりに場違いなお色気度合いと、村田の妻・愛子役の黒沢あすかの狂気とエロスの共存も印象深い。
凄みを聞かす渡辺哲のヤバそうな雰囲気や、いかにも園子温ワールドっぽい若さ弾ける美津子(梶原ひかり)も悪くない。
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だが、本作でずば抜けた存在感を示したのは、やはり村田を演じたでんでんだろう。ちょっと頼りないが、人の良さそうな人物を主に演じてきたこの俳優が、絶対的なワルに初挑戦。
社本を事件に巻き込んでから言動や態度を豹変させる彼の演技のギャップの大きさに戦慄が走る。この村田という悪党の本性を知らなければ尚更、知っていても十分に、でんでんの憎めない笑顔に騙されてしまう。
吹越満とでんでん。共演していた朝ドラ『あまちゃん』の北三陸の観光協会長と漁協組合長のような役柄が見慣れたイメージだが、本作は全く異なる顔をみせてくれるのだ。
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ところで、NETFLIX配信の園子温の新作『愛なき森で叫べ』は本作同様に実在した事件をモチーフにした作品なのだが、椎名桔平扮する、あちらの猟奇殺人犯も<村田>である。
お馴染みの<美津子>や<妙子>とともに、<村田>や赤いスポーツカーまで登場する共通項は興味深い。でんでんは『愛なき森で叫べ』にも、見慣れたキャラクターで出演している。こちらは、豹変しない。
鼻歌交じりに、てきぱきと
言い忘れたが、本作はグロテスクなシーンも多い。
死体を丹念に浴室で骨と肉に切り分け、肉は川に捨てて魚のエサにし、骨は焼却し灰にしてしまうのだ。途中にコーヒーブレイクを挟むところまで、この工程はこだわる。
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懐かしい桐野夏生原作の映画『OUT』でも主婦たちがやっていたが、食肉加工業者のように手馴れた様子で談笑し鼻歌交じりでこの作業をこなす村田夫妻が不気味だ。
血みどろのシーンが苦手な人には不向きな映画ではあるが、それだけで本作を敬遠してしまうのは惜しい。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからはネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
実際に起きた殺人事件とは
本作のベースとなっているのは、1993年に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件である。
実際の事件は、埼玉県のペットショップ・アフリカケンネルで犬のブリーダーだが、映画では静岡県の富士山麓で熱帯魚店アマゾン・ゴールドの店主という設定に置き換えられている。
もう30年近く前の事件で正直あまり報道された時の記憶もないが、逮捕直後の1995年の阪神・淡路大震災、続く一連のオウム真理教関連の報道等の影響で、報道そのものが縮小したか、比較的印象が薄かったか。
ボディを透明にしろ
『愛なき森で叫べ』の村田も、本作の村田も、口八丁手八丁で周囲の人々をマインドコントロールする術に長けている。
事件を冷静に傍観できれば、なぜそんなことが起きるのか、となるのだろうが、当事者の心理状態は通常ではないのだろう。
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最初の殺人は、投資話のターゲットの一人だった吉田(諏訪太朗)。栄養ドリンクと見せかけて毒を飲ませて殺害するのも、実際の事件モチーフだ。
この場に居合わせて、慌てふためく社本が、その後に殴り込んでくる吉田の弟分たち相手に、何度も練習させられた内容通りたくみに証言する様子が怖い。
◇
「ボディを透明にしろ」という、そこだけ切り取ると何やらカッコよくさえ聞こえるこの村田の繰り返す台詞も、実際の事件から採用したと知ると、うすら寒くなる。
文字通り、遺体を切り刻み、川に流したり灰にしたりすることで、証拠を隠滅しろという、意味なのだから。
社本くん、ちょっと痛い…
終盤、邪魔になって生きた筒井(渡辺哲)とその子分・大久保(裴ジョンミョン)を殺害した村田夫妻は、社本に手伝わせて、いつものように遺体を透明にする。
ちなみに、裴ジョンミョンは本作のほか、『恋の罪』『ヒミズ』と家賃三部作にフル出場だ。
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手伝う中で、さんざんに村田にコケにされ挑発された社本は、ついに怒り心頭に発し、ボールペンで夫妻に反撃し、村田は苦しみながら絶命する。
「おい、社本!…社本くん、ちょっと痛い」と最後まで怖さと笑いを両立させたでんでん、あっぱれの怪演だ。
そして、ここから、社本は、まるで村田が憑依したような人格になり、愛子(黒沢あすか)に命令するようになる。
人生ってのは痛いんだよ
思えば、星を愛しプラネタリウムで初デートした妙子と再婚した、平凡な男・社本はどこで人生を踏み誤ってしまったのか。
もはや、周囲の全てを傷つけずにはいられない彼は、最後には心配して彼のもとに駆け寄った妙子までも刺し殺してしまう。
だが、そんな殺人鬼と化した男が最後に制裁を加えたのは、反発する一人娘ではなく、自分自身だった。
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「美津子、人生ってのは痛いんだよ」
決まった! 吹越満のハードボイルド的な美学。
村田にも抱かれていた妻や、自分に寝返った愛子も道連れにし、全てにケリをつけてこの世を去っていく。娘よ、望んでいたように、一人で生きてみろ。
◇
だが、このまま終わるようでは、園子温らしくない。最後は不条理かつ痛快に締めくくる。
「やっと死にやがったな、クソジジイ。起きてみろよ」
ランブルフィッシュのような人間だらけの大乱闘、最後に高らかに笑うのは、漁夫の利を得た娘だったか。園子温作品にも、いつも悲惨な目に遭うミツコがたまには勝利する時があるのだ。