『ぼくが生きてる、ふたつの世界』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』考察とネタバレ|きこえないけど分かるもの

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『ぼくが生きてる、ふたつの世界』

聴覚障害のある両親を持つCODAの息子と母との関係を爽やかに描く、呉美保監督9年ぶりの家族ドラマ。

公開:2024 年  時間:105分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:          呉美保
脚本:          港岳彦
原作:         五十嵐大
『ろうの両親から生まれたぼくが

 聴こえる世界と聴こえない世界を
 行き来して考えた30のこと』

キャスト
五十嵐大:        吉沢亮
五十嵐明子:     忍足亜希子
五十嵐陽介:      今井彰人
鈴木広子:      烏丸せつこ
鈴木康雄:       でんでん
河合幸彦:ユースケ・サンタマリア

勝手に評点:3.5
(一見の価値はあり)

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

あらすじ

宮城県の小さな港町。耳のきこえない父(今井彰人)と母(忍足亜希子)のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、幼い頃は母の通訳をすることもふつうの日常だった。

しかし成長するとともに、周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、母の明るさすら疎ましくなっていく。

複雑な心情を持て余したまま20歳になった大(吉澤亮)は逃げるように上京し、誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始める。

レビュー(まずはネタバレなし)

2022年に作品賞でオスカーを獲った米国映画『コーダ あいのうた』のおかげで広く知られるようになった、CODAの青年を主人公とする物語。

CODAとはChildren of Deaf Adultsの略称で、耳が聞こえない親のもとで育つ子どものことをいう。

宮城県の港町で、父の五十嵐陽介(今井彰人)と母の明子(忍足亜希子)のもとに生まれた男の子・大。祖父母や親族は殊更にその育児を心配する。なにせ、ろう学校でであって結婚した両親は、ともに耳が聞こえないのだ。

それでも二人は息子に愛情を注ぎ、頑張って子供を育て始める(といっても田舎でもあり、また何十年か前という時代設定もあって、育児は専ら母の仕事だった)。

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

耳が聞こえる大は成長するにつれ、自分と違い耳が聞こえず、従ってうまく発話できない両親との生活が、普通の家庭とは異なることに次第に気づいていく。

だが少年は心優しく健やかに育っていき、親の見様見真似で手話もできるようになり、小学生のうちから、一家にとっては大事な役割を担っていく。

乳児からステップアップして小学校高学年あたりまで成長していく過程の描写がとてもいい。乳児から何人子役が変わったのか分からなかったが、どの子も目元がクリッとしていて、やがて登場するであろう、吉沢亮の面影を感じさせる。

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

気立ての優しい少年は、CODAの生活が世間とは違う苦労が多いことに驚きながらも、きちんと親と向き合い、家族を助けながらも、学校生活にもきちんと順応していく。

派手な刺青を彫り、ヤクザ者で博徒だったという、破滅型で暴れん坊の母方の祖父・康雄(でんでん)と、そんな夫に呆れながら、怪しい新興宗教にはまっている祖母の広子(烏丸せつこ)と同居の三世代家族。

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

「あいつの耳はそのうち治ると思ったから普通の学校に入れたんだが、授業が何にもわかんねえんだ」

結局、中学になってようやくろう学校に移し、初めて手話でコミュニケーションがとれるようになったという。笑いながら冗談のように娘について語る祖父に、明子の苦労を慮るが、彼女はいつも穏やかに笑っている。

この祖父母と一緒では、いつ瓦解してもおかしくないような危ういバランスの生活だが、そんな中でも、大の両親がいつも明るく前向きであることで、映画の雰囲気はだいぶ救われている。

呉美保監督は『そこのみにて光輝く』(2014)、『きみはいい子』(2015)と優れた作品をハイペースで世に出したが、出産後にしばらく監督業から遠ざかり、映画としては本作で9年ぶりに復帰。

五十嵐大の自伝的エッセイの映画化であるが、在日韓国人である呉美保監督自身が幼少期に経験した、周囲のともだちの日本人家庭とは何か文化が違うという視点が、映画の中にも生かされているように思う。

冒頭で紹介したろう家族の米国映画『コーダ あいのうた』や、そのオリジナルであるフランス映画『エール!』に登場する、耳の聞こえない両親はメチャクチャ陽気で賑やかだ(おまけに性にもあけすけ)。

喋らないのに賑やかというのも妙だが、手話の動きや表情が豊かで、とても賑やかに見える。ハンディをもった人は静かでおとなしい人と勝手な先入観を抱きがちだが、この両親の陽キャには驚く。

翻って邦画ではどうか。呉美保監督の師である大林宣彦監督の『風の歌が聴きたい』の聴覚障害の夫婦もまた、『コーダ』ほどではないが、陽気な二人だった。本作の両親もそれに近いレベルかと思う。

ちなみに、『風の歌が聴きたい』では天宮良中江有里が手話をマスターして熱演している。その努力には頭が下がるが、本作も含め、それ以外の作品では両親役はみなろう俳優が演じている。

本作ではCODAの吉沢亮が頑張って手話をやっているほかは、両親をはじめ他のろう者役はみな、本物のろう俳優が演じているようだ。

さて、少年が素直でいい子だった前半は、出来のよい朝ドラを観ているような雰囲気でドラマが進むのだが、成長して吉沢亮が登場し高校受験するあたりから、やや風向きが変わる。もう反抗期真っ盛り

母親を邪魔者扱いするのは年相応なふるまいだろうが、「みんな母さんが悪いんだ!」と荒れてしまうのは、これまでとの反動が大きい。

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

結局、吉沢亮演じる大は高校を出ると、宮城の田舎を飛び出し、東京に出て自分探しを始める。父親はこれまでろくに大の子育てにからまないが、東京に行くことだけには賛成し、背中を押してくれる。

父親が息子にしてやれることなんて、こんなことくらいだ。そういう世代なのだろう。

あれだけ苦労をかけた母親にも、ろくに連絡もせず(電話しても会話できないから)、東京でパチンコ屋の店員を何年も続けた大は、ようやくユースケ・サンタマリアのやっている三文雑誌のライターの職を得る。

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

また、パチンコ屋の客として出会った聴覚障害の女性(河合祐三子)の主催するろう者の会にも顔を出すようになり、コーダの女性(長井恵里)とも親しくなる。こうして大は、これまで煙たがっていた母の存在と愛情に、改めて気づかされる。

自身がCODAである人なら尚更だが、そうでなくても、若かりし頃に母親に理由なき反抗を繰り返して大人になった人や、自分の生きる道を模索して親元を離れ東京にでてきた人には、少なからず自分の身に置き換えられる場面があるはずだ。

だから、遠く離れた母の存在と愛情の深さに今更ながら気づき、だが照れくさくて距離を縮められないでいる大の姿に、どこか共感を覚えてしまう。

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

前半の少年期の盛り上がりに比べると、後半の吉沢亮の時代はやや描写が乱暴なように思う。パチンコ屋勤めの時代の彼の風貌も、まるで吉沢亮らしからぬヤンキーの兄ちゃんだ(ロン毛でも『東京卍リベンジャーズ』マイキーとは違う)。

ユースケ・サンタマリアが夜逃げしたあとにライターとして成長する過程も、もう少しきちんと見せて欲しかった。

それでも、終盤で父親がクモ膜下出血で倒れ、かけつけた病院で母と再会するあたりからの、ベタな感動ものになりそうな展開を、本作はよくこらえてサラッと流したと思う。

ここでお涙頂戴にしなかったのはいい。最後に持ってきた、大が東京に飛び出す頃の回想シーンと、子供のころから母が大に見せ続けてきた笑顔と手話のフラッシュバック。クサくならない、ギリギリの匙加減。

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

改めてポスタービジュアルを観ると、遠目には恋人同士のツーショットにみえるが、吉沢亮の隣に立つのは母親役の忍足亜希子

大の母親にしては若すぎるのではと思ったが、フラッシュバックのシーンを見ると、ちゃんと子供の頃から年輪を重ねていることが伝わる。

手話というのはFace IDと同じように、必ず相手に正対して目を見て語りかけるものなのだな。じんわりとくる一本だった。