『8番出口』
人気ゲームの世界観とルールをそのままに二宮和也主演で実写化した地下鉄通路の迷宮映画
公開:2025年 時間:95分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 川村元気
脚本: 平瀬謙太朗
原作: KOTAKE CREATE
『8番出口』
キャスト
迷う男: 二宮和也
歩く男: 河内大和
少年: 浅沼成
女子高生風の女性: 花瀬琴音
ある女: 小松菜奈
勝手に評点:
(悪くはないけど)

コンテンツ
あらすじ
蛍光灯が灯る無機質な白い地下通路を、ひとりの男が静かに歩いていく。
いつまで経っても出口にたどり着くことができず、何度もすれ違うスーツ姿の男に違和感を覚え、自分が同じ通路を繰り返し歩いていることに気づく。
そして男は、壁に掲示された奇妙な「ご案内」を見つける。
「異変を見つけたら、すぐに引き返すこと」
男は突如として迷い込んだ無限回廊から抜け出すべく、8番出口を求めて異変を探す。
レビュー(ネタバレあり)
東京メトロのラビリンス
見慣れた東京メトロの無個性な地下通路に迷い込んだ男。歩いても歩いても、同じ地点に戻ってきてしまう。
元ネタはKOTAKE CREATEが作った同名のゲーム『8番出口』。これを実写映画化している。監督は川村元気。
◇
これ、世界観は最高に好みなのだけれど、映画として観た場合どうなのだろう(面白いのか、これ)という思いがずっとつきまとった。
導入部分の見せ方はとてもクールだ。大音量のボレロが流れ、帰宅する人々で混雑する地下鉄で、泣きわめく赤ん坊を抱いた母親が、「うるせんだよ!」と中年オヤジに大声で説教されている。二宮和也演じる主人公はその状況を無視してしまう。
EarPodsから流れるボレロでその会話をかき消したり、彼女から電話が入る着信音が入ったりと音響の使い方がうまく、ニノ本人も窓ガラスの映り込みでチラ見せするにとどめる等の映像表現も面白い。
◇
駅に降り立つと再度彼女との通話。これから派遣先の仕事だというニノに彼女は「今病院にいて、妊娠してた」と伝える。
産むか堕ろすかの決断を求められたところで、電波が途絶える。いきなり緊迫する局面に、男は持病の喘息が出て、クスリを吸引。狭苦しい地下鉄駅の見せ方がいい。

単純なルールのゲーム
ここから先、男は8番出口を目指して延々と同じ通路をぐるぐると歩きまわることになる。通路に掲示してあるのは、
「異変を見逃さないこと」
「異変を見つけたら、すぐに引き返すこと」
「異変が見つからなかったら、引き返さないこと」
「8番出口から、外に出ること」
通路に置かれたもの、貼られたポスター、すれ違う人など、何か異変を見つけたら、通路を引き返す。異変がなければ、先に進む。そうすることで、案内板にある出口番号が0から一つずつ増えていく。
それが8番出口になれば、晴れて脱出できるのだろうが、しくじると出口番号はゼロクリアされてしまう。そういう仕組みだと、男は徐々に理解する。

元ネタのゲームとルールは同じだが、あちらには筋書きはないので、プレイヤーが間違い探しをして出口を探す。映画はそれを登場人物が行うわけだが、観る者も一緒に間違いを探すことになる。
これは、同じ場所を何度も通過して、異変がないかの確認を何十回も繰り返す作業に他ならないのだが、いくらニノが演じているからといっても、傍観しているだけでは、さすがに途中で退屈してくる。
選手交代でおじさん(河内大和)を主人公にしてみたり、女子高生(花瀬琴音)や少年(浅沼成)を登場させたりと変化を与えてはいるが、それによって、次第に元ネタの世界観から離れて行ってしまうようにも思える。

不気味さの出し方はうまい
おじさんが無表情でコーナーを直角に曲がって近づいてきては時折り笑顔を見せたり、まともな存在にみえた女子高生が「現実社会でつらい日々の繰り返しより、地下通路のが良くないですか」とリピート絶叫したり、黒沢清っぽい怖さ演出はなかなかよい。
ホラー映画にしてしまったら一気に凡庸になるところだが、ギリギリで踏みとどまっている。二宮和也以外には映画ではあまり知られていない俳優を起用しているところも、不気味さを際立たせるのに一役買っている。

ただ、地下鉄通路を効果的に使った映画としては、カラックスの『ポンヌフの恋人』やベッソンの『サブウェイ』といった傑作も多く、それらに比肩できているとは思えない。
地下鉄通路独特の無機質な不気味さは良く出ているとはいえ、これは原作ゲームの生み出したものだ。東京メトロの黄色い案内板などの小道具の美術センスも同様で、映画が創造したものではない。
不気味さを醸し出す音楽についても、視覚障碍者向けの「ピーン、ポーン」というチャイムをアレンジした発想は感心したが、地を這う重低音で作り上げる音楽はドニ・ヴィルヌーヴ、宗教的な音楽はヨルゴス・ランティモスの作品で耳慣れたものに思えた。

理屈付ける必要あったのか
幽霊の仕業か狐狸の悪戯か、道に迷って田舎の夜道を何度もクルマで周回させられたという類の怪談をよく聞く。
では、なぜ主人公は地下鉄通路で迷う羽目になったのか。妊娠した彼女からの相談を突如受けて、現実逃避したいという潜在意識から迷路を生み出してしまったのかもしれない。
でも、この物語には別に理屈もオチも要らなかったのではないか。ただ出口を目指すだけの、世にも怪奇な物語で良かった気がする。
奇怪な状況に陥った男の話にきちんと筋書きを付けるなら、中島裕翔主演の『#マンホール』のような仕立てにすべきではないか。終盤まで恋人(本作では小松奈々)が携帯の画面にしか登場しないのも同じだし。

なお、ネタバレになるが、本作は最後に通路の向こうから大量の水が流れ込み洪水となる。
これは川村元気監督が撮影途中から思いついて実現したシーンらしいが、そういうインパクトを重視するのなら、子供を出したり、父親になるのに失格かどうか悩ませたりという、もっともらしい脚本はやはり邪魔だったのでは。
そういえば、今もあるのか分からないが、ハリウッドのユニバーサルスタジオに、地下鉄の駅に大洪水で水が流れ込んでくるアトラクションがあった。監督はこれを再現したかったのかも。
ちなみに、本シーンは津波を想起させるため事前に告知すべきだとの声が高まり、劇場公開途中から注意喚起するようになった。パニック映画なのだから、そこまでネタバレさせなくてもいいんじゃないかと個人的には思う。
この映画は中途半端な筋書きは抜きで、ひたすらゲームのように没入できる映画だったらもっと面白かったと思うなあ。
それに地下鉄の駅さえ借りられれば、天下の東宝じゃなくても低予算でも撮れそうな気がする(ニノ主演じゃ無理か)。
