『遠い山なみの光』考察とネタバレ|ミステリーと思わずに観よう、緒方悦子の青春

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『遠い山なみの光』
A Pale View of Hills

カズオ・イシグロの初期の長編原作を、石川慶監督が広瀬すず・二階堂ふみ・吉田羊の豪華キャストで映画化。

公開:2025年 時間:123分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:        石川慶
原作:   カズオ・イシグロ

       『遠い山なみの光』
キャスト
緒方悦子:     広瀬すず
佐知子:     二階堂ふみ
万里子:      鈴木碧桜
緒方二郎:     松下洸平
緒方誠二:     三浦友和
松田重夫:     渡辺大知
藤原:       柴田理恵
悦子(1980年代):  吉田羊
ニキ:    カミラ・アイコ

勝手に評点:3.5
 (一見の価値はあり)

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

あらすじ

1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキ(カミラ・アイコ)は、大学を中退し作家を目指している。

ある日、彼女は執筆のため、異父姉が亡くなって以来疎遠になっていた実家を訪れる。そこでは夫と長女を亡くした母・悦子(吉田羊)が、思い出の詰まった家にひとり暮らしていた。

かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡ったが、ニキは母の過去について聞いたことがない。

悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめる。

それは1950年代の長崎で悦子(広瀬すず)が知り合った佐知子(二階堂ふみ)という女性と、その幼い娘万里子(鈴木碧桜)の夢だった。

レビュー(まずはネタバレなし)

カズオ・イシグロの原作“A Pale View of Hills”『遠い山なみの光』という邦題を付けた早川書房は実にセンスがある。

人気作家ゆえ映画化の話は多かったようだが、日本人キャスト、しかも監督が『ある男』石川慶ということで、カズオ・イシグロもゴーサインを出した。

劇場予告では配役がうまくつかめなかったが、悦子という主人公の1950年代を広瀬すず、80年代を吉田羊が演じ、戦後にアメリカさんの情婦として生きる佐知子二階堂ふみという演技派キャストで固める。

1950年代の長崎で、悦子(広瀬すず)は復員してきた夫・緒方二郎(松下洸平)と団地暮らしで、もうすぐ第一子が生まれる。団地には、悦子の義父で校長先生だった誠二(三浦友和)が泊まりに来る。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

団地から見下ろす橋を渡った川沿いのバラックに、米国人の情婦として娘と暮らす佐知子(二階堂ふみ)がいる。

英語も堪能で自由奔放に生きる佐知子は、古い考えの家庭で専業主婦の悦子とは正反対のキャラに見えたが、次第に二人は親しくなっていく。

一方、1980年代の舞台は英国郊外。亡くなった英国人の夫と暮らした邸宅を売ろうとしている母(吉田羊)。そこに久々に次女のニキ(カミラ・アイコ)が戻ってくる。

どうやら長女は数年前に自殺をし、次女も長年家を飛び出したままだと分かってくる。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

ライターであるニキは、なぜ母がかつて暮らしていた長崎を捨て、英国人の父と海を渡ったのかを、ルポにしようとして母に思い出を語らせる。

この回想が、50年代の悦子(広瀬すず)の物語なのである。つまり、悦子のお腹の中にいたのは、自殺してしまった、父親違いのニキの姉と想像される。

映画に登場する長崎の町は思いのほか煌びやかで美しい。カズオ・イシグロが幼少期に暮らした記憶の中のナガサキを意識したようだ。

そういえば、町の映画館に黒澤『生きる』のポスターがあるのは、カズオ・イシグロが脚本を手掛けた『生きる LIVING』の楽屋オチか。

壮絶な戦争の爪痕よりも、戦後数年でここまで復興させたかという勢いを感じさせる町並みだが、数年前に原爆が落とされたあの日と無縁だった人は少ないはずだ。

町のみんなが、心に重荷を抱えて生きている。黒木和雄監督の遺作『紙屋悦子の青春』は終戦間際の鹿児島が舞台だったが、こちらの緒方悦子はその数年後の長崎を逞しく生きている。

だが、悦子は子供への被爆影響を心配し、夫は戦争で指を欠損し、軍国主義の父親とはわだかまりがある。

ネクタイや靴紐を妻に結ばせるのは亭主関白の時代描写ではなく、指を欠損した夫にはうまくできないからなのだ。この描写はさりげなくて良い。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

カズオ・イシグロの初長編小説である原作は、決して分かりやすくはなく、また明快な答えを示してもくれない。それゆえ、読者それぞれに解釈ができ、噛めば噛むほど味が出る。

映画は基本的な骨格やエピソードは原作に忠実だ。二階堂ふみの台詞回しなんかも原作通りだったように思う。

だが、一つ大きな違いがある。挑戦といってもいい。それは、作品をミステリー仕立てにしていることだ。

原作のテイストを無視して、謎解きを強調する作品やセールス手法はあまり好きではないけれど、本作はギリギリ成功している。

カズオ・イシグロ石川慶監督の好きにアレンジしてよいと投げかけた答えがこれなのだろう。

次女のニキが母悦子から聞いた話を文章にしようとするスタイルは、映画オリジナルの発想だと思うが、これによって母親の視点で物語が自然に回想され、石川監督が提示した独自の答えに繋がっている。

若き妻の時代の悦子を演じた広瀬すずは、近年演技派女優としての活躍が目覚ましいが、本作でも瞬時に感情を爆発させたり、激しく嗚咽したりと、天才肌の演技の振り幅が大きく、変幻自在だ。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

相対する佐知子を演じる二階堂ふみは、何を演じても独特な口調が出る。だがそれは彼女の持ち味ともいえ、妖艶な雰囲気と小悪魔的な笑みで、佐知子という現実離れしたキャラを実存化させている。川沿いのバラック住まいが、『ヒミズ』を思い出させる。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

80年代の悦子を演じた吉田羊は、全ての鍵を握る女性であり、その意味ありげな表情から、答えを読み取れるのかもしれない。広瀬すずと同一人物には見えないが、悦子の演者を使い分ける方が、不自然な老けメイクで乗り切るよりもずっといい。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

映画を観終わって、自然と長崎ちゃんぽん屋に足を運んでしまったのだが、柴田理恵演じる店主が切り盛りするうどん屋は、長崎なのに皿うどん屋ではなかったなと後から不思議に思った。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分があります。ミステリーの謎解き部分に触れるので、未見の方はご留意ください。

UNEXT制作なので、映画の謎解きに関して5つのヒントがコラボ動画で配信されている。

これはプロモーションとしてスタッフが考えたものなので、真相をついている訳でもない。石川監督も事後にみて、「なるほどねえ」と言っている程度のものだ。

そのヒントの中で唯一有用だったのは、「なぜ悦子は英語が喋れるのか」というやつだ。

劇中で英語が堪能だったのは佐知子。だが、欧米人と結婚し海外生活をし、英語も話せるのは、悦子の方だ。

これを映画では、佐知子は悦子と同一人物であるというような答えを提示してくる。イマジナリーフレンドみたいなものか。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

自分が実現したいこと、自分の理想の生き方みたいなものを、すべて佐知子のものとして描いている。佐知子の娘・万里子(鈴木碧桜)は、自殺したという悦子の長女と同じ顔をしている。

なるほど、これはうまい解釈だと思った。確かに佐知子が米国人男性とともに船に乗れるようにも思えないし、住んでいるのも幽霊屋敷のようで、彼女が実在しないというのは肯ける。

原作を読んだ際には、悦子は佐知子から強く感化され、同じように外国人と結婚し、海外で暮らすようになったのだろうと考えた。

佐知子が想像の産物というのは、原作では無理があった。だが、映画は巧みに、全ては悦子の回想というスタイルを採り入れており、信用できない語り手のトリックが効いている。これはうまい。

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

悦子の手にしていたヒモ、夫のネクタイや靴紐むすび、そして町で頻発している子供の誘拐殺人。これらがみな、不穏な空気の醸出に役立っている。

悦子が実はシリアルキラーだったり、夫を殺して再婚したりというのは想像が飛躍しすぎていると思う。

だが、結局佐知子が悦子の分身だったと分かったところで、この物語が何を伝えたいのかは、依然ベールの向こうにあるように朧げなままだ。

結局、原作の読後感と変わらないという意味では、映画化に成功していると思った。