『埋もれ木』
小栗康平監督のファンタジー濃度は本作で更に高まる。現実と空想の境界線が曖昧になっていき、全ては最後の幻想的なシーンに収れんする。
公開:2005年 時間:93分
製作国:日本
スタッフ
監督: 小栗康平
キャスト
まち: 夏蓮
母: 田中裕子
父: 平田満
時絵: 松川リン
高子: 榎木麻衣
知行: 登坂紘光
三ちゃん: 浅野忠信
丸さん: 岸部一徳
とみえ婆さん: 坂本スミ子
材木屋: 塩見三省
豆腐屋: 大久保鷹
魚屋: 坂田明
その妻: 小林トシ江
息子: 仁科貴
八百屋: 左時枝
先生: 中嶋朋子
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
映画の舞台は山に近い小さな町。女子高校生のまち(夏蓮)は、女友達と短い物語をつくり、それをリレーして遊ぶことを思いつく。
次々と、紡がれる物語は、未来へと向かう夢。町に住む大人たちにも物語はある。でもそれらはみな、現実の歩みがつくった自分史。過去。
ふたつの物語は、山、森、雨、くじら、らくだ、馬、さまざまなアイテムと出会い、ファンタジーへと姿を変える。夢、過去、現実、未来が溶け合って、人々は、埋もれ木のカーニバルへと行きつく。
今更レビュー(ネタバレあり)
『眠る男』の次も眠れる
前作『眠る男』から9年ぶり、更に深化した小栗康平監督のファンタジー世界。人によっては、前作以上に<眠れる男>になってしまうかもしれない、脈絡のない映像世界。
いや、一応、ストーリーはある。少女たちが「嘘をいっぱいついて、楽しい物語を作ろうよ」と、無邪気な空想を始める。町のペット屋が買ったラクダが町にやって来て、舗装道路がみんな土に戻って…。
彼女たちの空想と、町に暮らす大人たちの現実世界は、直接には交わらず並列して進んでいくが、やがてなにかが合流し始める。
◇
ただ、ファンタジーゆえ、その境界線は曖昧で、ストーリーだって、カッチリとしている訳ではない。だから、眠気が襲う。
私は20年前に本作を観ているが、終盤の幻想的なシーンを除けば、殆ど記憶がない。爆睡していたのかもしれない。
そうはいっても、本作に関して言えば、眠気と戦いながら観ることはないんじゃないか。むしろ、少しくらいまどろみながら観たっていい気がする。だって、結局、現実と空想が混ざっていく話なんだから。
そこを割り切って観られるのならば、本作は案外楽しい映画だ。
でも、私はまだ、その境地に達してはいない。だから、この手のつかみどころのない映画は苦手だ。
特に、主人公のまち(夏蓮)が親友の時絵(松川リン)や高子(榎木麻衣)と夢物語を紡いで盛り上がるガールズトーク場面。
なんで、あんなに劇団の子役たちの舞台劇のように、不自然な会話にしてしまったのだろう。みんな新人のようだが、あれでは観ている方は、ちょっと入り込めない。
まるで、暴走してしまったときの大林宣彦映画のように、観客が置き去りになる。
大林監督の場合は、観る方もその覚悟で臨んでいるからよいが、小栗康平監督には、寸分の隙もない力作『泥の河』のイメージが付いて回るので、この意外性はキツイ。
キャスティングについて
町の人々のキャスティングは実力派揃いで驚くほどだ。
まちの両親には田中裕子と平田満。娘を亡くした建具屋の岸部一徳。
家族会議で養老院送りとなり抗議活動をする老母(『楢山節考』とは真逆の行動に出る坂本スミ子)とその息子(塩見三省)。
潰れそうなマーケットに豆腐屋(大久保鷹)、魚屋(坂田明)、八百屋(左時枝)と並んで店を出している。
そして、いつもミニストップの前の駐車場に真っ赤なアメ車で現れるロン毛の若者(浅野忠信)。
その他、中嶋朋子・嶋田久作・酒向芳といった面々が登場し、独特の集落の雰囲気を醸しているのだ。
◇
うっかり見逃してしまいそうなのが、まちのボーイフレンド、知行(登坂紘光)の母親を演じた松坂慶子の友情出演。小栗監督の『死の棘』の狂気の怪演を思えば、物足りないワンカットではある。
この母親は、スナックのママなのだが、店の名が<Pub 慶>なので、分かるひとにはすぐ分かる。
埋もれ木のある山林
森の中にある不思議な屋敷の前で、トランポリンのように飛び跳ねる娘たち、夜の公園に置かれた紅白の大玉、トラックの壁面に光るまばゆい鯨の絵(「バーニラ、バニラ!」じゃなくてクジラ!)。
ところどころ絵になるカットはあるが、驚くほどではない。だが後半、ついにタイトルにもなっている、<埋もれ木>が発見される。
◇
それは素人目にはただの巨大な切り株なのだが、どうやら埋没林の一部だということらしい。火山の噴火により地中に埋もれた、古代の山林なのである。
はじめに登場した切り株だけなら、黒沢清の『カリスマ』のようなハリボテ感溢れる代物で幻滅するところだが、そこから先の、埋没林の場面に漂う本物の重厚感はすさまじかった。
撮影は、三重県鈴鹿市にあるNTT西日本所有の研修センター跡地に、全スタッフ、キャストが合宿して行われたという。
その敷地は周囲6キロにも及び、オープン・セットも含めて、地底の森など20を越すセットがここに建てられたとか。なんとも贅沢なものだ。CG全盛の今なら考えられない。
ラストの幻想的光景に圧倒される
毎年行われている紙灯籠の祭りが、今年はここ埋没林のある地底の森で行われることになる。荘厳な雰囲気の埋もれ木のまわりを、人々が散策する。
夏の夜の心地よい外気や草の匂いが感じ取れそうな会場で、紙灯籠。それは灯籠を川面に流すのではなく、夜空に浮かべるスタイルらしい。
ああ、これ、ランタン祭りのようなものか。願い事を書いたランタンを、温めた空気で空に飛ばすやつ。
先週、清原果耶の『青春18×2 君へと続く道』で観たばかり。あの映画でランタンが浮かび上がる美しいシーンを観た時、20年の時を超えて、私は『埋もれ木』を思い出した。今回の再観賞は、両者の幻想的なシーンを見比べるためでもあった。
結論からいえば、両者は似て非なるものであった。あちらは無数のランタンを夜空に飛ばすのだが、こちらは動物をかたどったものを浮かべる。
まずはクジラの鯉のぼりのようなものを、いくつも風船を結び付けて浮かび上がらせる。
やや邪道な手法だが、飛行船のように光りながら浮かぶクジラは美しい。そしてもうひとつは赤い馬。こちらは正統派で、馬の腹のなかに熱した空気を入れて浮かび上がらせる。
映画自体は、『青春18×2 君へと続く道』の方が圧倒的に好みだが、この浮かぶ灯籠シーンに関しては、本作に軍配が上がる。
このシーンだけは眠気が吹っ飛ぶ。いや、この幻想的な場面で目覚められたら、それは幸福なことかもしれない。このクライマックスシーンには、本作に関するすべての不平不満を洗い流すだけの浄化能力がある。