『PERFECT DAYS』
ヴィム・ヴェンダース監督が役所広司を主演に描く、公園の公衆トイレ清掃員の慎ましくも幸福な日常。
公開:2023 年 時間:124分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: ヴィム・ヴェンダース キャスト 平山: 役所広司 タカシ: 柄本時生 ニコ: 中野有紗 アヤ: アオイヤマダ 平山の妹: 麻生祐未 居酒屋の女将: 石川さゆり その元夫: 三浦友和 街の老人: 田中泯
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 公衆トイレの清掃員という主人公設定には驚いたが、なるほど著名な建築家たちが仕上げた渋谷区の公園のトイレはどれも舞台として面白く、単調な日常の繰り返しに変化を与える。
- ドラマとしてはあえて主人公の過去にも未来にも踏み込まず、ただひたすらに、木漏れ日の中にささやかな幸福を感じ取る映画。ヴェンダースの変化球的な渋谷区内ロードムービーに、役所広司がハマる。
あらすじ
東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山(役所広司)。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。
昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、人生は風に揺れる木のようでもあった。
そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。
そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
トイレだって洗って欲しい
数年前、新幹線の列車到着から分刻みで車両の清掃作業をするスタッフたちの仕事ぶりが「7分間の奇跡」として紹介され、世界で賞賛された。
本作の主人公も、渋谷区内の公園の公衆トイレを嫌な顔ひとつせず、いやむしろ生き生きとして清掃する作業員であり、海外では、どこか日本人的なキャラとみられるのかもしれない。
◇
監督は日本びいきのヴィム・ヴェンダース。主演は役所広司という、新鮮な組み合わせ。
「やっと柳楽君に追いついたかな(笑)」は、カンヌで男優賞を受賞した役所広司が、かつて14歳で同賞を獲った柳楽優弥(『誰も知らない』)に捧げたウィットに富んだ受賞コメント。大人の余裕を感じさせる。
企画はTHE TOKYO TOILETという、渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修するというプロジェクト。
活動をPRするために映画をつくろうという話になり、ヴィム・ヴェンダース監督に声がかかる。
安藤忠雄、隈研吾、佐藤可士和、坂茂といった錚々たる顔ぶれがデザインしたハイセンスな公衆トイレを舞台にした清掃員の物語。条件はそれだけのようで、あとはヴィム・ヴェンダース監督が作りたいように作っているようだ。
◇
そのため、物語には、これといった起承転結もなければ、役所広司が演じる主人公・平山のこれまでの人生やなぜこの仕事に就いたかなど、人物を語る手がかりも殆どない。
ちなみに、平山の名はヴェンダースの敬愛する小津安二郎監督作品の笠智衆の役名に由来している。
単調な日常の繰り返しだが
早朝、近所の老婦が道路を掃く竹箒の音で目覚める平山。布団を畳み、歯磨き、髭剃り、小さな鉢植え植物の水やり、古いアパートのドアを開けて空を見上げ、自販機で缶コーヒーを買ってライトバンに乗り込む。
彼のアパートは墨田区押上界隈か。スカイツリーに見守られながら、カーステで古いロックを流し、渋谷区の公衆トイレに向かう。この日課は、劇中幾度も繰り返される。
起承転結は殆どなく、その代わりに同じように繰り返される日常。
だが、不思議と退屈はしないのは、渋谷区内のユニークなトイレが、次々と登場するからだろうか。ガラス張りの個室が、施錠すると不透明になる特殊仕様のトイレは、当時ニュース等で話題になったので知っていた。
舞台となるトイレはどれも、私の持っている公園のトイレのイメージよりも遥かに清潔で広々してはいるが、それでも七つ道具を巧みに使い念入りに磨き上げる平山の仕事ぶりには頭が下がる。
THE TOKYO TOILETの理念を反映してか、本作ではトイレが汚い場所として扱われるシーンは皆無だ。
独身生活で無駄なものの一切ないアパートに暮らし、黙々と仕事に精をだす平山役の役所広司が、『すばらしき世界』(2020年、西川美和監督)で演じた、出所してシャバでまじめに暮らす元受刑者の姿に重なる。あれも下町のアパートだったし。
◇
平山がおそろしく寡黙なので、このまま台詞なしで映画が進むのかと思うほどだが、同僚のタカシ(柄本時生)がその分、よく喋る。
タカシは清掃作業に何の思い入れもなく、いい加減な仕事ぶりで、カネもないのにガールズバーのアヤ(アオイヤマダ)にのぼせ上がる。
この二人が登場しドラマが転がり出すのかと思ったが、あっさりと途中で話は途切れ、二人は姿を見せなくなる。こういう、深入りしない人間関係が平山の好むものなのだろう。
◇
昭和レトロ感が濃厚な浅草の地下街にある居酒屋の店主(甲本雅裕)、不思議な踊りを見せるホームレスの老人(田中泯)、いつも現像をだす写真屋の主人(翻訳家の柴田元幸)、その他銭湯の常連客たちなど、平山とは居心地のいい距離感を保っている。
ニコの登場が日常を破る
そんな平和な日常を破って、ある晩、平山のアパートに姪っ子のニコ(中野有紗)が訪れる。
家出少女と中年男がしばらく生活するようになる展開は、ヴェンダース初期の佳作『都会のアリス』のようだ。ニコのスマホの青白い光が、本作が現代劇だと思い出させてくれる。
彼女が登場するまでは、本作は昭和の映画でも通用する作風(スカイツリーを除けば)。
何せ平山は、部屋の掃除は畳に箒、聴いてるロックも懐メロなら、音源もカセットテープ。ついでに趣味で撮ってる木漏れ日の写真も、デジカメではなくフィルムである。
使用機種はオリンパスμ(ミュー)。平山が使っているのもガラケーだったと思う。
でもね、ケータイは電話用、写真は現像が必要で、音楽は巻き戻しが必要。そういう不便さは映画的には魅力的。Spotifyとi-phoneじゃ絵にならないのだ。
首都高をあちこちクルマで移動したり、隅田川周辺を自転車漕いだり、そして渋谷区のあちこちでいろんな不思議な人たちと袖すり合わせたり。
ヴェンダース監督のお馴染みのロードムービーと比較すると、だいぶエリア的には小規模だし、雄大な大自然もないけれど、これはこれで東京らしいロードムービーといえるのかもしれない。
カーステレオから流れるのも、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」やルー・リード「パーフェクト・デイ」はじめ、平山が好みそうな曲が監督により厳選されている。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
あえて人物に踏み込まない
「木漏れ日」というのは日本語独自の表現らしい。端的にそれを表現できる言葉は英語にはないとヴェンダースはいう。
その木漏れ日の優しさや気持ちよさを平山は好んでいるようだが、なぜ彼はそこまで人生を達観し解脱したような人になっているのか。役所広司が、ここまで枯れた人物のままでいるキャラを演じるのも珍しい。
例えば、彼の妹にあたる、ニコを連れ戻しに来た母(麻生祐未)との会話から、高齢でだいぶ弱っている父親とかつて確執があったことが窺える。
運転手付きのクルマでニコを迎えに来たところから、実家は資産家なのかもしれない。どんな経緯で平山がこの職業で安アパートに住んでいるのか。彼の涙は何も語ってはくれない。
◇
平山が通っているスナックのママ(石川さゆり)。いつもの歌ってよと常連客のリクエストに応える彼女。当然カラオケだと思うじゃないか。
だが常連の一人、あがた森魚の生ギターで石川さゆりが絶唱するのだ(「ウィスキーがお好きでしょ」じゃなかったけど)。なんという組み合わせ。この空間の贅沢さをぜひ世界の観客にも分かってもらいたい。
贅沢と言えば、ママの別れた亭主(三浦友和)と、実はママに惹かれている平山との夜の隅田川でのツーショットも、なかなか貴重なひとコマだ。
◇
女を取り合う訳でなく、むしろ譲り合うような初老の男二人が、缶ハイボールで語り合う。久々の煙草でともに咳き込むのも老いを感じさせる。
「影って、重なると濃くなるんですかね?」
それを実証すべく、影踏みに興じ童心に帰る二人。
公園トイレに置かれた紙で文通のような〇X陣地取り、いつも公園のランチで出会うOL(長井短)、急遽応援でシフト入りした同僚(安藤玉恵)など、話が広がりそうなネタは随所にあるのに、スルーして映画は進む。
木漏れ日に幸福を見出す
『東京画』や『夢の涯てまでも』でヴェンダースが撮った東京も、すでに多くが変わってしまった。
そんな東京の下町で、時が止まったようにカセットやフィルムカメラを愛用しながら、平山は仕事に打ち込み、酒を飲み、本を読み、充実した日々を過ごす。
彼が読む本に登場するパトリシア・ハイスミスには、その著作をヴェンダースが映画化した『アメリカの友人』があったのを思い出す。
◇
平山が時を止めた昭和の時代には、愛した女がいたのかもしれないし、縁を切った父との確執もあったのかもしれない。
だが、彼はいま、打ち込むべき仕事と、ささやかな幸福に満たされて、穏やかな日々を過ごしている。木漏れ日に小さな幸福を感じとるだけの余裕があれば、人生は満更でもない。
平山は姪っ子のニコと自転車で並走しながら、こう語ってふざけ合う。
「いつかはいつか! 今は今!」
東京スカイツリーという巨木に見守られながら、その木漏れ日のなか、彼はこの刹那を大切に生きている。