『土を喰らう十二ヵ月』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『土を喰らう十二ヵ月』勝手に考察|ネタバレしてる間に 見て行ってくれ~

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

『土を喰らう十二ヵ月』

水上勉の精進料理のエッセイを原案に、中江裕司監督が沢田研二で描く、長野の山深い自然との共生の一年

公開:2022 年  時間:111分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:  中江裕司
原案:  水上勉
  『土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-』

キャスト
ツトム:   沢田研二
真知子:   松たか子
チエ:    奈良岡朋子
隆:     尾美としのり
美香:    西田尚美
大工:    火野正平
写真屋:   瀧川鯉八
文子:    檀ふみ

勝手に評点:3.5
(一見の価値はあり)

(C)2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会

ポイント

  • ただ、四季折々の精進料理を長野の山奥で作っているだけの映画に、こんなにも引き込まれるとは驚いた。沢田研二の粋、料理研究家・土井善晴の腕、そして水上勉のエッセイから、ここまで世界を広げた中江裕司監督。たまには、こういう日常に憧れる。

あらすじ

長野の人里離れた山荘で一人で暮らす作家のツトム(沢田研二)。山で採れた実やキノコ、畑で育てた野菜などを料理して、四季の移り変わりを実感しながら執筆する日々を過ごしている。

そんな彼のもとには時折、担当編集者である歳の離れた恋人・真知子(松たか子)が東京から訪ねてくる。二人にとって、旬の食材を料理して一緒に食べるのは格別な時間だ。

悠々自適な暮らしを送るツトムだったが、13年前に他界した妻の遺骨を墓に納めることができずにいた。

レビュー(まずはネタバレなし)

料理エッセイからの着想

不思議な映画だ。北アルプスを望む雄大な長野の山荘で、犬とともに静かな生活を送る老作家が、四季折々の変化を感じとるように、身近で手に入れた山菜や野菜を手際よく料理して食すという物語。

ほぼ、それだけといっても大袈裟ではないかもしれない。でも、なぜか飽きさせない。料理をする手先をみているだけでも、食欲はそそるし、想像も膨らむ。

原案となったのは水上勉の料理エッセイ集『土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-』。これは私も読んだことがある。

水上勉が少年時代に京都の禅寺で精進料理の作り方を教わった記憶をもとに、自らが包丁を握って軽井沢の山荘で一年間に渡って食事を作り続けた料理を綴ったエッセイ集だ。

面白く読んだが、いくらストーリーテラーの水上勉とはいえ、エッセイに物語はなく、だからこれを映画化すると知ったときには意外に思った。

監督は中江裕司『ナビィの恋』(1999)や『ホテル・ハイビスカス』(2002)など、濃厚に沖縄イメージの監督であるが、『盆歌』(2019)で福島とハワイを舞台にし、その編集時にたまたま水上勉のエッセイ集に出会い、この企画が閃いたとか。

なかなか大胆だが、こうして作品を観ると、優れた着想だったことに気づく。

土を喰らう二十四節気

冒頭、都心から賑やかなジャズを聴きながら、独りでクルマを走らせる女性。次第に道は雪深い山道になっていく。カメラが切り替わると、静けさに包まれた山荘で、吐く息も白く、台所で動き回る初老の男性。

女は出版社編集部に勤める真知子(松たか子)。そして男は彼女が担当している作家のツトム(沢田研二)

どうやら、妻には先立たれているようだが、この二人の関係もよく分からない中で、早くも観る者の目は、男の作る干し柿だったり小芋さんだったり、丁寧にたてる抹茶だったりに釘付けになってしまう。

(C)2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会

まだ原稿はできていないが、「とりあえず題名だけでも」と真知子に催促されてツトムが万年筆で書く文字が、映画のタイトルになる。

映画は<立春>から始まり、<啓蟄><清明>等々、二十四節気といわれる季節の分け方で一年を綴っていく。

その季節ごとに、旬の素材があり、また、収穫したり漬物にしたりと、毎年決められた作業がある。それをきちんと消化しながら、ツトムは料理をしては美味しくいただく。

精進料理のストイックな世界

料理そのものを扱う映画やドラマは珍しくないし、『きのう何食べた?』のように、家庭料理を楽しく見せる作品だってある。

だが、本作はけしてレシピの紹介がメインではないし、精進料理だけあって、肉や魚が登場する訳でなく、素材は実に質素なものだ(周辺で採れるというのは、逆に贅沢なのかもしれないが)。

でも、そこがまたユニークだし、贅を極めずに観客の食欲をかきたてるのは、作り手の腕だろう。料理監修が土井善晴先生というのも、大いに肯ける。

(C)2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会

素材が自然派志向なら、台所まわりの環境もまた、近代文明とはギャップがあり、家電製品らしきものはミニマムに近い。ガスコンロはかろうじてあるが、水道からお湯が出ているかも怪しいものだ。

お米だって釜で焚くし、焼き物は囲炉裏が活躍する。冷蔵庫はあったかなあ。何せ、居間の電話が鳴る電子音が聞こえただけで、強烈な違和感を覚えるほど、時代を超越しているのだ。それが妙に心地よい。

物語は料理の添え物

さすがにツトムが地元の収穫物で料理しているだけでは商業映画として成立しないので、それなりにはドラマがある。

彼と同じように山で一人暮らしする、亡き妻の母で頑固者のチエ(奈良岡朋子)や、山歩きの師匠である大工(火野正平)を登場させたり、真知子をただの編集担当者にとどめず、ツトムとの年齢差のある恋愛関係を漂わせてみたり。

原作にも、故人が何十年も昔につくった梅干しが登場するが、本作ではそのエピソードをうまくドラマに織り込んでいる。

ただ、本作のドラマの内容だけを抽出してみても、さほど激しい展開ではない。どちらかというと、淡泊なものだが、これがツトムの料理のシーンの合間をつなぐことによって、丁度よいバランスになっている。

いわば、隠し味のようなものだ。精進料理を想像することで感度が鋭敏になっているせいか、ドラマ部分が繊細な薄味でも、十分な味わいに感じ取れるのだ。

ジュリーがドンピシャ

それにしても、このツトムという主人公に沢田研二を持ってくるとは。凡人には思いつかないが、言われてみれば、「そうだよ、ジュリーしかいないな」という気になってくる。

人生も枯れかけて隠遁生活の老作家とはいえ、どこか立ち振る舞いや表情に、華もあれば、男の色香も漂う。松たか子とそういう雰囲気になっても、けして意外な感じはしないし、一方でギラついて映画の調和を乱すこともない。

そもそも、ツトム役のモデルである水上勉も、若かりし頃は水も滴るイケメン文士である。沢田研二でドンピシャじゃないか。

急遽、志村けんの代役という話を引き受け『キネマの神様』(2021)に出演したものの、それがなければ『幸福のスイッチ』(2006、上野樹里主演)で父親の電器店主を演じ樹里&ジュリーと言われて以来、久々の映画出演だ。

それでもさすがに昭和の大スターは存在感が違うと、改めて感じさせられた。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

立派な葬式と通夜振る舞い

映画が大きく動き出すのは、ツトムがつい先日に訪ねた時は元気だった、義母であるチエ(奈良岡朋子)が孤独死するあたりからだ。

亡妻の弟・(尾美としのり)とその妻の美香(西田尚美)が突如、ツトムの家に訪れては、「母の様子を見てきてほしい」、「ツトムの家で葬式をあげてほしい」、しまいには「遺骨も預かってほしい」と、言ってくる始末。

(C)2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会

義母と折り合いが悪かったのもよく分かるが、指示はすべて、この鬼嫁が気弱な亭主に言わせているのだ。でも、義母が嫌いではないツトムはすべて引き受け、真知子とともに自宅で通夜振る舞いを用意し、経まで詠んであげる。

「こういうものは、立派な方がいいんだよ」といいながら、大工(火野正平)が大きな棺を、写真屋(瀧川鯉八)が巨大な遺影を用意してくれる。

ツトムの想像に反し、葬式には義母を慕う人々が大勢集まり、別れを惜しみ、美味しく料理を堪能する。この葬式のシーンは温かい。沢田研二の大ファンだったという奈良岡朋子は、本作が遺作となった。

(C)2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会

勉とツトム

気弱な夫(尾美としのり)を使って場をかき回し続ける、本作で唯一といえる憎まれ役の美香を演じた西田尚美は、中江裕司監督作品には『ナビィの恋』で主演、『ホテル・ハイビスカス』に続く本作出演。

『南極料理人』(2009、沖田修一監督)では料理人を遠くから見守る愛妻だったが、こちらの料理人には当たりがキツイ。

本作のツトムは、幼少期に口減らしのために禅寺の小僧とさせられ、母と引き離した父を恨む。奉公時代に世話になった寺の娘・文子(檀ふみ)が、作家になった彼の山荘に訪ねてくる。

(C)2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会

この再会と、過日亡くなったばかりという文子の母が60年前に漬けた梅干しの話は、映画では感動を誘う。

だが実際の水上勉は、奉公に出された禅寺の修行の厳しさと和尚の生活の堕落ぶりに堪えかね、13歳で寺を脱走し、意趣返しに『雁の寺』を書き、直木賞を獲っている。映画とは違う感情を持っていたかもしれない。

終盤、義母の葬式後にツトムは真知子に「一緒に暮らさないか」とプロポーズするが、その後心筋梗塞で緊急入院してしまう。この病状も水上勉本人の経歴と重なる。

九死に一生を得たツトムの死生観に変化が生じる。「ここに住むわ」と求婚に応えた真知子に、「やはり一人で暮らすのが好きだ」と断り、彼女は不機嫌に去っていく。

死神と仲良くなるために

ツトムは死を怖がらないように、ひとり家の中で、死神と仲良くなるために、死んだ真似をしてみる。そしてついに、これまで10年以上も墓を作れずに家に祀っていた妻の遺骨を、義母の遺骨ともども湖に散骨する。

終活で身ぎれいにし、自分も土に還ろうとしているかのようだ。湖の散骨シーンは、本作同様に大友良英が音楽を手掛けた『あ、春』(1998、相米慎二監督)を思い出させる。

(C)2022「土を喰らう十二ヵ月」製作委員会

あの原作を恋愛映画にしてしまうのは、やはりどこか違うのではないかと思っていたが、中江監督も、最後には恋愛沙汰ではなく、日常の繰り返しを持ってきた。

人間は生きるために喰わなければならない。だから、どんな死生観を持とうとも、ツトムは今日もせっせと料理を続け、愛犬のサンショとともに、美味しくいただく。

真知子との仲がどうなろうが、その行動原則は変わらない。こうして、また二十四節気は巡っていくのだ。

エンディングは勿論、ジュリーの歌。ああ、無性に精進料理が作りたくなってきた。