『雁の寺』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『雁の寺』今更レビュー|生臭坊主の和尚さんずラブ

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『雁の寺』

水上勉の直木賞受賞原作を川島雄三監督が映画化。禅寺で和尚の愛欲の捌け口となる若い妾を若尾文子が演じる。

公開:1962 年  時間:97分  
製作国:日本
 

スタッフ 
監督:     川島雄三
原作:     水上勉
         『雁の寺』

キャスト
桐原里子:   若尾文子
堀之内慈念:  高見國一
北見慈海:   三島雅夫
宇田竺道:   木村功
雪州:     山茶花究
岸本南嶽:   中村鴈治郎
おかん:    菅井きん

勝手に評点:2.5
 (悪くはないけど)

©KADOKAWA1962

あらすじ

雁の襖絵で知られ、人々に雁の寺と呼ばれている禅寺。

厳しい戒律に守られたこの寺に、襖絵の作者南嶽(中村鴈治郎)の妾、里子(若尾文子)がやってきた。南嶽の死後、彼の遺言でこの寺に預けられたのだった。

やがて、住職慈海(三島雅夫)は里子の肉に溺れ、小僧慈念(高見國一)はその愛欲のさまを盗み見る。

今更レビュー(まずはネタバレなし)

男から男へと移る渡り鳥

直木賞を受賞した水上勉の同名原作を、文学作品ものを手掛けることの多い川島雄三監督のメガホンで映画化。主演は若尾文子。モノクロームの映像に、抜けるような白さの彼女の妖艶が映える。

冒頭、タイトルに因む見事な雁の襖絵を仕上げた絵師の南嶽(中村鴈治郎)。名前にまで雁がいる。この絵師は、力作を仕上げてしばらくして病死する。

南嶽は死に際に、懇意にしている京都の禅寺・孤峯庵の和尚・慈海(三島雅夫)に、自分の妾である里子(若尾文子)の面倒をみてくれと引き渡す。

©KADOKAWA1962

まるで人身売買だが、こうしてゆく当てのない里子は、慈海の寺に暮らすことになる。実家は貧しく戻る場所もないため、「ちゃんと毎月のお手当の話をするんだよ」と母親にも喜ばれる。

「男なら出世もできるけど、女はこうして誰かの世話になるしかないのよ」

里子は劇中でそう語る。はじめの関係は手籠め同然だったが、すぐに慈海の内縁の妻のようになってしまうのだから、彼女にとって満更でもない生活だったのかもしれない。

©KADOKAWA1962

目に余る生臭坊主の悪行

原作を読むと、水上勉の端整な文章のせいか、あまりこの慈海が下卑た和尚には思えなかったのだが、映像でみると、これはひどい。とんだ生臭坊主だ。

寺に訪れた里子の肩や背中に手をかけ、ベタベタと触りまくる。セクハラ研修ビデオに出てきそうな分かりやすさ。妻帯は許されていないため、秘かに妾を囲う淫乱坊主。でも、里子も抵抗せず身をゆだねる。

「おっさん、おっさん」

里子は慈海をそう呼ぶが、これは和尚おっさんのことである。

さて、このクソ坊主の言動が目に余るのは、里子への色欲だけでない。寺には若狭から引き取った小僧の慈念(高見國一)がいるのだが、この慈念に対する仕打ちがまた厳しい。

禅寺の修行とはこういうものかと、原作を読んだ当初は思ったが、それにしても度を越している。殴る蹴るは当たり前、一度の寝坊で縄で縛られるのではたまらない。

そういえば、慈念が肥え汲みをする場面は結構リアルで生々しく、匂ってきそうだった。あそこまで撮るのは『せかいのおきく』(2023年、阪本順治監督)くらいだと思っていたが。

【大映4K映画祭/雁の寺】特別映像

若尾文子のエロティシズム

低い位置からカメラを動かさずに日本家屋の中の生活を撮るが、暗い隣の部屋から覗くように、里子と慈海の抱き合う姿を写しているショットが、エロティシズムを感じさせる。

普通ならば、そんな性愛現場を見てしまう思春期の小僧は、行動が大胆にエスカレートしていきそうなものだが、慈念は至ってまじめなのか、そういう邪念は振り払う。

目撃後に自室で右手を上下に反復していたから自慰行為かと思ったら、墨を擦っていただけだったし。

©KADOKAWA1962

なお、原作では<軍艦頭>と学校で罵倒される頭でっかちでチビの少年なのだが、それでは映画にならないからか、頭は大きくない純朴そうな少年を選んでいる。

映画では若尾文子が当然目立っているが、本作の主人公はこの小僧である。彼は若狭の寺大工の子供だが、口減らしのために寺に預けられたという。だが実態は、阿弥陀堂に捨てられた子供を、この寺大工夫婦が育てたのだった。

「乞食谷で育ったことを誰にも言うんじゃないよ。戻ってくるんじゃないよ」

育ての母(菅井きん)との涙の別れ。まるで島崎藤村『破戒』ではないか。

だから彼の名前は捨吉だった。昔の彼を知る者は『捨て、捨て』と呼ぶが、当然本人はいい思いはしないだろう。

「あんた、捨吉っていうの? 面白い名前ね」

彼の名前や両親のことなど、忘れたい過去について次々と慈念に質問を浴びせる里子。悪気はないのだが、あまりに無神経だ。そして、人の心の中に土足で踏み込んでくるこの女が、ついには彼を追い詰めてしまう。

©KADOKAWA1962

今更レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。

ミステリー要素はない

小僧の慈念に憐みを感じたか、里子は一度、なりゆきで関係を持ってしまう。それが彼に何らかの変化を起こしてしまったことは想像に難くない。

自分は会ったことのない両親のことが知りたい。それを俗世間とのしがらみというなら、自分には悟りの境地は開けない。

思い悩む慈念は、ついに、雨の中を酔って帰ってきた和尚を殺す。その場面ははっきりと描かれてはいないが、門の裏側で倒れる音だけで、察することができる。

これは原作よりも相当早いネタバレだ。ミステリー要素を排除したのは勿体ない。

和尚の遺体は、折よく行われた檀家の葬式の通夜に紛れ込み、棺の中に入れてしまう。「やけに重い仏さんだな」と葬列の参加者は驚く。

岡田准一『最後まで行く』(2023年、藤井道人監督)でも同じような場面があったが、土葬の分、こちらの方が発覚しにくいだろう。

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ラストが全てを台無しに

慈念の犯行は原作でも映画でも発覚しない。そこまで恨みつらみが募ったことに説得力があるのは映画の方だが、原作は、小僧に対して朧げに疑惑を持つ里子の描き方がうまい。

水上勉は京都の相国寺で小僧として働き、そこでみた禅寺の堕落や腐敗をもとに本作を書いている。

『土を喰らう十二ヵ月』(2022、中江裕司監督)で沢田研二がつくる精進料理も水上勉のレシピだが、料理はともかく禅寺の経験は彼にとって思い出したくもないものだったらしい。

本作はなぜか最後にモノクロからカラーになり、実際に<雁の寺>として知られる相国寺が登場する。

大勢の外国人観光客に、小沢正一演じるガイドがコミカルに雁のふすまの説明をするのだが、ラストで笑いをとりにいく理由は謎だ。

時代も色合いも異なるシーンのおかげで、せっかくの映画の余韻は台無しになると思うのだが。