『リプリー 暴かれた贋作』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『リプリー 暴かれた贋作』今更レビュー|トム・リプリーがいっぱい②

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『リプリー 暴かれた贋作』
 Ripley Under Ground

トム・リプリーが活躍する『太陽がいっぱい』の続編『贋作』を、バリー・ペッパー主演で映画化。

公開:2005年(映画祭のみ、劇場未公開)  
時間:101分  製作国:アメリカ
 

スタッフ 
監督:   ロジャー・スポティスウッド
脚本:  ウィリアム・ブレイク・ヘロン
       ドナルド・ウェストレイク
原作:     パトリシア・ハイスミス
               『贋作』
キャスト
トム・リプリー:   バリー・ペッパー
ウェブスター警部:トム・ウィルキンソン
マーチソン:    ウィレム・デフォー
ジェフ:       アラン・カミング
エロイーズ:   ジャシンダ・バレット
シンシア:     クレア・フォーラニ
バーナード:      イアン・ハート
ダーワット: ダグラス・ヘンシュオール

勝手に評点:2.0
(悪くはないけど)

あらすじ

ロンドンに住むトム・リプリー(バリー・ペッパー)は希代の天才詐欺師。

ある日、友人である新進気鋭の画家ダーワット(ダグラス・ヘンシュオール)が恋人のシンシア(クレア・フォーラニ)にプロポーズを断られ、運転する車ごと木にぶつかり自殺する。

現場を目撃したのはリプリー、シンシア、画商のジェフ(アラン・カミング)、そして売れない画家のバーナード(イアン・ハート)

ダーワットは確かに注目されている画家だが、今この段階で死なれては絵が売れない。リプリーの提案で四人はダーワットの死を隠すことにする。

今更レビュー(ネタバレあり)

トム・リプリーの第2弾

映画の世界でリプリーといえば、シガニー・ウィーバー演じる『エイリアン』シリーズの女主人公か、『太陽がいっぱい』で有名な天才詐欺師トム・リプリーを思い浮かべるだろう。

本作は後者。『太陽がいっぱい』から始まったパトリシア・ハイスミスによるトム・リプリーのシリーズ続編『贋作』の映画化だ。

ピカレスク・ロマンの金字塔『太陽がいっぱい』(1960、ルネ・クレマン監督)では最後に完全犯罪が露見するが、原作では見事に逃げ切る。

そして第1作ではまだ繊細さを引き摺った青年が、その後に資産家の娘と結婚し、すっかり詐欺師としても大物になっているというのが、原作である『贋作』の概略。

贋作販売に手を染めるまで

本作の基本的なストーリー構成は原作にならうが、リプリー(バリー・ペッパー)はフランスのお嬢様・エロイーズ(ジャシンダ・バレット)とまだ結婚しておらず、巧みに彼女にアプローチするケチな犯罪者。

だが、知人である新進気鋭の画家ダーワット(ダグラス・ヘンシュオール)のパーティに参加したリプリーは、偶然の出来事から、大きな犯罪に手を染めることになる。

恋人にプロポーズを断られたダーワットが、クルマを暴走させ山中で事故死する。リプリーらが現場に駆け付け、画商のジェフ(アラン・カミング)が嘆く。

「駄目だ、ダーワットは死んだ。もう絵は売れない」
「死んだら作品に価値が出るんじゃないのか?」
とリプリー。
「それは名のある画家の話だ。これから売れようという若手には、死ぬのが早すぎる」

山中の現場で会話する仲間たち。そこに、死んだダーワットの携帯に電話が入り、無意識にリプリーが彼の真似で応える(模倣は彼の得意技だ)。

そこでまずは、週末のオークションまでは、彼が生きているように装うことを決め、死体を隠蔽する。だが、一度ついてしまった嘘はもう止められない。

米国から来た収集家のマーチソン(ウィレム・デフォー)が、ダーワットの次回作を買いたいと、多額の小切手をジェフに無理やり先渡しする。

こうして後に引けなくなった彼らは、売れない画家のバーナード(イアン・ハート)が描いた贋作を、ダーワットの新作として売り始める。

序盤までは良かったのだけれど

さて本作。いろいろとアレンジされてはいるが、マーチソンが登場して、彼が購入した作品は贋作ではないかと疑い始めてあれこれ探り出すあたりまでは、大変面白く観られた。

リプリーを演じるバリー・ペッパースピルバーグ『プライベート・ライアン』(1998)やイーストウッド『父親たちの星条旗』(2006)などで知られる俳優。

『太陽がいっぱい』アラン・ドロンには及ばないが、そのリメイク作『リプリー』マット・デイモンよりは、トム・リプリーっぽく見えたように思う。繊細さと小生意気さは、伝わってきた。

だが、この『贋作』という物語は、ニセモノであることが見破られそうになり、それに起因して思わぬ殺人が起き、それを隠蔽しようとするリプリーが次第に深みにはまっていく中を、大胆な手で乗り切っていくのが、原作の醍醐味だったはずだ。本作はそこが決定的に弱い。

原作は、いわゆる贋作犯罪ものとしては、なかなか面白い。

ヴィム・ヴェンダース監督の『アメリカの友人』(1977)は、同じくパトリシア・ハイスミストム・リプリー原作の映画化だが、この『贋作』がらみのエピソードも、物語の導入部分として一部使われている。

だが、まともに『贋作』を映画化したのは本作だけであり、ロジャー・スポティスウッド監督といえば、ブロスナンジェームズ・ボンドミシェル・ヨーが冴えた『トゥモロー・ネバー・ダイ』

劇場未公開ながらも本作に期待したのだが、結果からいえば、原作の面白味が引き出せていなかったのは残念。

残念がいっぱい

ネタバレになるが、最大のミスは、贋作を疑う収集家マーチソンを、ダーワットになりすましたリプリーがフランスの大邸宅(恋人エロイーズの留守宅)に迎え入れ、対峙する場面

散々焦らしたうえに、この直接対決に持っていかねばならない筈なのに、何とも淡泊な展開。名優ウィレム・デフォーの起用で、どんなサスペンスになるかと思えば、「握手した君の手には画家のペンだこがないね」と言われ、すぐに付け髭はずして変装解除。

贋作の根拠である「画家は一度捨てた色には二度と戻らないものだ」という主張も、原作のようにもう少し粘り強く取り扱って欲しかった。

ともあれ、こうして呆気なくマーチソンは殺され、倒れてカツラが取れるというコント演出まである。カツラが後半の伏線とはいえ、こんなシリアスな場面で笑いを取りに行く必要はない(勿論原作にもない)。

名優の無駄な起用という意味では、ウェブスター警部トム・ウィルキンソンも負けていない。『エターナル・サンシャイン』(2004、ミシェル・ゴンドリー監督)で見せた人の良さそうな顔で、もっとリプリーを追い詰めてほしかったのに、本作ではその域に至っていない。ここも勿体ないな。

リプリーに繊細さと大胆さが足らない

ダーワットの描く絵画が、随分と前衛的な作風になっているのは、『アメリカの友人』の絵画と比較すると違和感を覚えたが、これはむしろ本作の方が現実味があるのかもしれない。

ただ、終盤でカツラの取れたマーチソンを描いているのは、まるで阿部寛仲間由紀恵『トリック』に使われそうなオチだ。これにしても、冷凍庫で凍らせたダーワットの死体処理にしても、なぜか本作は笑いのテイストを入れたがる。

エロイーズの実家の大邸宅も、フランスの古城に住んでいるのは、さすがに嘘くさくないか(と思うのは貧乏な国に住む庶民だから?)。

というわけで、残念ながら本作のトム・リプリーは、演じるバリー・ペッパーというよりも、脚本と演出のおかげで、繊細さも大胆さもあまり感じさせないキャラになってしまっている。

ちょっとした犯罪加担だけで、あとはリプリー依存で大金を手に入れたお調子者の画商ジェフ(アラン・カミング)の方が、実は一枚上手だった気さえするのは、映画的にどうなんだろう。