『雪の断章 -情熱-』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『雪の断章 情熱』今更レビュー|相米慎二が撮るとアイドル映画はこうなるか

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『雪の断章 -情熱-』

相米慎二監督に鍛えられて斉藤由貴の映画初主演。いきなりの長回しで、そこらのアイドル映画とは違う。

公開:1985 年  時間:100分  
製作国:日本

スタッフ  
監督:    相米慎二
脚本:    田中陽造
原作:    佐々木丸美
         「雪の断章」
キャスト
夏樹伊織:  斉藤由貴
(幼少期)  中里真美
広瀬雄一:  榎木孝明
津島大介:  世良公則
カネ:    河内桃子
那波裕子:  岡本舞
那波佐智子: 藤本恭子
細野恵子:  矢代朝子
吉岡刑事:  レオナルド熊

勝手に評点:2.5
  (悪くはないけど)

あらすじ

養家の那波家でいじめられていた薄幸な7歳の少女・伊織は、ある雪の晩、死に場所を求めてさすらっているところを、心優しい独身会社員の雄一(榎木孝明)と運命的に出会い、彼のもとに引き取られて新たな生活を始める。

それから10年の歳月がたち、伊織(斉藤由貴)は高校生として幸せな日々を送っていた。

ある日、雄一と伊織が暮らすアパートに、那波家の長女・裕子(岡本舞)が引っ越してくるが、裕子は歓迎会の晩に毒殺され、伊織に殺人の嫌疑が掛かる。

今更レビュー(まずはネタバレなし)

相米映画学校に、また新入生が

相米慎二監督の長編劇映画のうち、長らくDVD化されていない唯一の作品だったらしい。公開当時は『姉妹坂』(大林宣彦監督)との二本立てであったが、私はなぜか併映作の方しか観た記憶がなく、今回初めて鑑賞した。

斉藤由貴の映画初主演は『恋する女たち』(1987、大森一樹監督)だと思い込んでいたが、こちらが一年早かった。

薬師丸ひろ子永瀬正敏と同様に、斉藤由貴もまた初めての映画主演で、厳しい指導スタイルの相米慎二監督に薫陶を受けた(或いは逃げ出したくなった)、教え子のひとりなのだ。

原作は佐々木丸美による孤児四部作の第一作にあたる「雪の断章」。NETテレビ(今のテレ朝)懸賞小説で佳作になったデビュー作が映画化されたのだが、そのタイトルから青春恋愛ものだと思っていたら、意外にも殺人が起きるミステリー仕立ての物語だった。

雪の序章 -豪雪-

物語はまず、主人公・伊織の少女時代から始まる。

養女として入った那波家でつらい日々が続き、死に場所を探す少女と雪の積もる屋根の上で出会った独身会社員の雄一(榎木孝明)が、家政婦カネ(河内桃子)の苦言も聞かず、彼女を引き取って暮らし始める。

舞台は札幌。深く雪の積もる家並みに凍河まである大セットをカメラやキャストが動き回り、本来18シーンあったという物語の導入部を、14分の長回しで一気に見せ切る。もう冒頭から、紛れもなく相米映画である。

雪の積もる川辺で下半身パンツ姿になって熱演している伊織役の少女(中里真美)が寒そうで気の毒になる。

効果的に使われている自動人形は劇団「天井桟敷」の美術監督・小竹信節の手によるものらしい。これによって、作品の芸術性が引き上げられる。

由貴の次章 -饒舌-

そして10年後。ようやく登場する斉藤由貴。17歳の伊織だ。男友達のバイクで背中にしがみつきエビぞりながら松田聖子「夏の扉」を絶唱し、空港に雄一を迎えに行く。

いきなり命がけ撮影じゃねえか。主演アイドルを上下逆さまショットで登場させるのは『セーラー服と機関銃』に通じる。

自分を救い出してくれた雄一というあしなが伯父さんが、まだ青年で、しかも榎木孝明なのであれば、そりゃ恋に落ちる話であることは、『翔んだカップル』の同棲生活並みに想像がつく。

そして、雄一の親友・大介(世良公則)が絡む三角関係になる可能性までは考えた。だが、伊織が忌み嫌っている養家・那波家の長女・裕子(岡本舞)が突如死んでしまい、その容疑が伊織にかかる展開には少々驚いた。

率直にいって、本作は殺人事件を扱うにしてはリアリティがなくご都合主義すぎる。

東京本社勤めで札幌勤務の独身男性が家政婦付きで生活している不自然さも、何の交渉も手続きもみせず幼女を男が引き取って育てられる仕組みにも首をかしげる。

雄一と伊織が心の奥底で惹かれ合っているのは伝わるが、大介に対する伊織の心情が見えてこないのも、もどかしい。

主題歌との勝負

斉藤由貴には、本作の主題歌である「情熱」という曲がある。大学進学の為に地元を離れる恋人を国鉄駅のプラットホームで見送る少女の心情が歌われたものだ。筒美京平の曲も美しいが、松本隆の詩には度肝を抜かれた。

何せ、一番のサビで、別れを惜しんで手を離せなかった二人が、二番の出だしでホームの端に倒れているのである。間奏で繰り広げられたであろう歌詞にないドラマを、聴き手が思い浮かべているのだ。

この映画のタイトルを知った時に、あの曲を越える映像を作るのは大変だと思った。でも、相米慎二監督なら、真っ白な雪の世界のなかに、真っ赤な情熱を描き出し、主題歌に負けない映像を作ってくれるのではと期待した。

だが、残念ながら、本作に関しては、主題歌の勝ちだったと思う。本編の途中の中途半端なシーンにこの曲を小さな音量で挿入するにとどめたのも、勝負を避けたかったのではないか。

斉藤由貴ファンには刺さったか

監督初期の頃ならともかく、既に『魚影の群れ』『台風クラブ』で独自の作風を確立している相米慎二が、なぜまたアイドル映画に戻るのかは不思議だった。だが、相米慎二監督は語っている。

「これはいわば、”スター誕生物語”だもの、スターになってしまってからの薬師丸にやらせたってイミないぜ」

相米監督斉藤由貴の天然ボケなキャラクターの中に垣間見える不思議な魅力を見抜いていたのだろう。本作は彼女のドキッとするような女らしさを引き出すことには成功している。

ただ、不幸な生い立ちや殺人事件の容疑者という役柄のせいで、屈託なく陽気に笑顔を振りまくような、本来の斉藤由貴チャームポイントである明朗さが封印されてしまっている。

きっと、彼女のコアなファン以外は、物足りなかったはずだ。アイドル映画であるのならば、そこは譲れないだろう。

雄一役の榎木孝明は、斉藤由貴同様に映画は初出演。前年に朝ドラ『ロマンス』(1984)の主演でドラマデビューし、人気を博す。青年男子が主人公となる朝ドラは、彼が初めてだそうだ。今もそうだが、本作のころは一層二枚目ぶりが引き立つ。

親友の大介役は世良公則。助演ながら、本作の中では雄一以上に存在感のあるキャラだといえる。ただ、世良公則は前年公開の『Wの悲劇』(澤井信一郎監督)が良すぎたため、どうしても比較されると見劣りしてしまう。

©1985 東宝

今更レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

ツッコませてほしい点

さて、一応ミステリーなのでここまで語らずにいた、私が引っかかった点を、ネタバレ含みで書かせていただく(今回原作未読なので、映画ではなく原作起因のものもあるかもしれません)。

  • 幼少期に伊織がつらい扱いを受けるのは物語の発端だから必要な設定として、10年後も那波家の娘たちが「那波家はあなたの恩人でしょ」とネチネチいじめてきたり、葬列に参加した伊織に「人殺しは帰れ」と香炉をぶちまけるのは過激すぎ(灰かぶり姫の意?)。東宝なのに大映ドラマ化している。
  • 伊織が殺人犯容疑をかけられる経緯がわかりにくい。そもそも、部屋で毒殺されていた那波裕子をまったく映さず、伊織が部屋に行き血相を変えて戻る、次は喪服で葬式シーンでは、あまりに扱いが軽すぎる。刑事役のレオナルド熊ひとりに多少嗅ぎ回らせるだけで、殺人事件ものに見せる演出はチープすぎる。
  • 死因は毒殺のため、コーヒーを部屋に運び込んだ伊織が疑われる。だが、裕子の部屋には水差しがあり、それとまったく同じものが、大介(世良公則)の部屋にもあることに、後日伊織は気づく。ミステリーならばこれは誤誘導のネタに違いないところだが、本作はやはり恋愛映画なのか、この伊織の発見がそのまま真犯人に行きつくことで、逆に驚く。
  • 伊織が頑張って受かった北大の合格祝いの屋台の席で、大介が彼女に求婚して博多の転勤についてきてくれとなる。今日それ言うかってツッコミたくなるが、進学せずにそれに応じる伊織も凄い。受験は茶番だったか。

不穏なキャッチボールの行方

(独身の雄一が伊織を)育ててくれたのだから、美しい花を咲かせなさい」カネ(河内桃子)に言われたことで、伊織は、雄一が自分を青田買いして女になるまで待っていただけなのかと幻滅する。「偽善者」呼ばわりされた雄一もまた傷つく。

北大を受けて合格しろと、伊織をサポートしていた雄一だったが、もう受けないという伊織をビンタする。

「北大は受けるんだ! 俺とお前の繋がりはもう、そこにしかない」

相当無茶な理屈だし、ここで頬を張るのかよとは思うが、雄一の気持ちも分からないでもない。

終盤、桜の花舞い散る中でキャッチボールに興じる三人。明日にも博多に旅立つ伊織と大介。長回しの途中で転がった球を持って刑事(レオナルド熊)が現れる。

「犯人は、伊織さんの社会的生命まで奪って、どう償うつもりだったのでしょう」

刑事のこの一言で、真犯人は自殺を決意する。その遺書をもって、刑事が事情を説明してくれるのだが、そこにかぶる回想シーンの声が大きすぎて、肝心の刑事の説明が聴こえない。これには辟易した(私だけか)。

©1985 東宝

「12月の豊平川にズブズブ入ってハトを助けるシーンには、本当にこたえた」と近年、斉藤由貴は述懐している。あれは、映画的だが謎めいたシーンだった。

役者が身体をはって、訳が分からないながらも映画を作っている。それこそ「情熱」を感じさせる部分もあるし、ワンカットが冴えるシーンも多かった。原作ファンには不評が多いようだが、残念なのは脚本だったか。