『野獣死すべし』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『野獣死すべし』今更レビュー|リップヴァンウィンクル?浦島太郎の話だよ

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『野獣死すべし』

松田優作と村川透監督が、日本のハードボイルド小説の原点ともいえる大藪春彦原作を大胆なアレンジで映画化。

公開:1980 年  時間:118分  
製作国:日本
  

スタッフ  
監督:       村川透 
脚本:       丸山昇一 
原作:       大藪春彦 
          『野獣死すべし』 
キャスト 
伊達邦彦:     松田優作 
柏木秀行:     室田日出男 
真田徹夫:     鹿賀丈史 
華田令子:     小林麻美 
原雪絵:      根岸季衣 
伊達の同窓生:   風間杜夫、岩城滉一、
          阿藤快ほか 
闇カジノ店員等:  安岡力也、山西道広、
          トビー門口 
エリカ:      岡本麗 
石島(預金係):  吉岡ひとみ 
沙羅(ホステス): 前野曜子 
永友(宝石店):  草薙幸二郎 
岡田良雄(警部補):青木義朗 
遠藤(銃の密売人):佐藤慶

勝手に評点:2.5
 (悪くはないけど)

あらすじ

伊達邦彦(松田優作)は、通信社のカメラマンとして世界各国の戦場を渡り歩き、帰国して退社した今、翻訳の仕事をしている。

普段は落ち着いた優雅な日々を送っているが、戦場で目覚めた野獣の血が潜在しており、また、巧みな射撃術、冷徹無比な頭脳の持ち主であった。

ある日、大学の同窓会に出席した伊達は、その会場でウェイターをしていた真田(鹿賀丈史)に同じ野獣の血を感じ、仲間に入れ、銀行襲撃を企む。

今更レビュー(ネタバレあり)

大藪原作とはまったくの別物

松田優作の主演映画を語るうえで欠かせない作品のひとつ。村川透監督による大藪春彦原作の角川映画と、多くの点で『蘇える金狼』と共通点があり、比較される運命にある作品であることは疑いがない。

ただ、似たような出自である両作品には、大きな違いがあるように思える。それは原作からのハードボイルド路線をしっかりと継承しているかどうかだ。

『蘇える金狼』は経理部職員の主人公・朝倉哲也が目立たない日常の陰でストイックに肉体を鍛え、会社上層部の弱味を握っては脅迫し、大胆な殺人にも手を染め、次第にのし上がっていく。原作との差異も少なくはないが、大筋ではきちんと踏襲している。

一方本作の主人公、伊達邦彦は、その生い立ちから犯行動機、さらには死神のような生気のないキャラクター作りまで、原作とは大きく異なる。脚本家・丸山昇一のほぼオリジナルといってもいいくらいだ。

(C)KADOKAWA 1980

変化を望むか既存を好むか

本作は、カルト的な人気を得ているように思うが、松田優作ファンにとって、ひとつの試金石なのかもしれない。

『野獣死すべし』を好むファンには『蘇える金狼』も楽しめることは想像に難くないが、一方の『蘇える金狼』を好むファンにとって、狂気の世界に入ってしまった『野獣死すべし』は、やりすぎだと感じたのではないか。何を隠そう、私がそうだった。

松田優作本人が、『遊戯シリーズ』をはじめ多くの作品で演じてきたマッチョでクールで、ちょっと遊び心のあるハードボイルドな人物設定に息苦しさやマンネリズムを感じてきた。

既存を捨てて、新しいことをやりたい。そう思えばこそ、彼は違う土俵で活躍する森田芳光鈴木清順らと組み始めた。本作の監督は盟友の村川透だが、彼も新しいものには目がない。映画の挑戦のためなら、歯だって抜くよ。

そうなると、もはや三度目の映画化となる『野獣死すべし』を原作通りに撮っても新鮮味はなく、どんどん、狂気の世界に傾倒していった。そんな想像ができる。

(C)KADOKAWA 1980

そういう松田優作心情を分かっているファンは、この作品も当然ながら受け容れるだろう。

私もファンのひとりではあるが、一方で大藪春彦の原作も忘れ難い。ダーティ・ヒーローであるが、父親が立ちあげた会社を卑劣な手で乗っ取り一家を離散させた相手に反撃する、伊達邦彦の復讐劇松田優作で観たかった思いが強い。

だからこそ、狂気の世界に逃げ込んでしまった彼の演技には瞠目するものの、映画的な面白味には欠けるという風に感じてしまうのである。

良かったポイントをいくつか

本作で『蘇える金狼』よりも優れていると感じた点もある。

一つは伊達が大学の同窓会で見かけたレストランのウェイター、真田徹夫(鹿賀丈史)の存在だ。

客に食って掛かる、自分を抑えきれない気質のこの若者は、伊達同様に、体内に野獣が潜んでいる。それを見抜いた伊達は、彼をうまい具合に懐柔し、自分の片腕として重用するようになる。

主人公が見込んで引き入れようとする人材という意味では、『蘇える金狼』千葉真一が演じた強請屋・桜井光彦に近いが、鹿賀丈史の方がだいぶキャラ的に尖がっている。狂気がほとばしる目つきに至っては、松田優作以上に堂に入っているかもしれない。

そしてもう一つ。本作において最も緊迫した場面。夜行列車の中で柏木刑事(室田日出男)に銃口を向けてロシアンルーレットをしながら、伊達が<リップヴァン・ウィンクル>の話をゆっくりと語りかけるかの有名なシーンだ。

言うなれば米国版「浦島太郎」の民話なのだが、この場面は素晴らしい。ここだけで本作がカルト映画になり得ていると言っても過言ではないだろう。

13人を射殺した銀行強盗でカネを奪い、地下鉄に逃げ込む伊達と真田。そこに、日頃から伊達を怪しみ尾行していた柏木が現れ、青森行の列車に同乗する。

ラジオのニュースで次第に判明してくる事実から、ついに犯人は伊達だと確信する柏木が彼に銃を向ける。

だが、背後から柏木に銃をつきつける真田の存在に気づかない(ここは車窓に映るだけの真田のアングルが渋い)。ここで形勢逆転し、伊達が主導権を握るのだが、逃走からの一連の流れは秀逸だと思う。

(C)KADOKAWA 1980

不可解な点もいくつか

ただ、その部分を除けば、若干不可解な演出も多い。

伊達の狂気を現わす部分を除いても、冒頭の雨の路上で伊達が岡田警部補(青木義朗)ともみ合って殺す場面は遠景すぎて台詞も形勢も分からない。大体、傘を凶器にするのなら、突くべきだ。叩くのは嘘くさい。

伊達がクラシック好きなのを伝えたいのは分かるものの、本筋に関係ない演奏会シーンをあれだけ長尺で見せるのは、ちょっとバランスが悪い。

そりゃ、オケの指揮者が村川千秋『のだめカンタービレ』千秋じゃないよ、監督の実兄)でピアノが花房晴美なのは分かるけど。

そういえば、本作で流れるクラシックがもっぱらショパンなので、つい小林麻美のスマッシュヒット、「雨音はショパンの調べ」を意識してしまう。

配役・ロケ地などなど

ワンカットのみを含めて出演者は、これまでの村川透・松田優作作品に馴染みのある役者たちが総動員されたような印象。それは本作に限ったことではないが、ちょっとやりすぎな気もする。

闇カジノのウェイターに蝶ネクタイの山西道広。どうみても『あぶ刑事』の潜入捜査だわ。あと、大学同窓会の顔ぶれが岩城滉一、阿藤快、風間杜夫といった面々なのも、東大卒のインテリの集まりには見えず、笑えた。

公園で競馬新聞をよむ泉谷しげるには、何の意味があったのか謎だったが、サイレンサーの試射で殺されちゃう拳銃売人の佐藤慶のシーンは、背後の通行人に紛れる伊達がいい感じ。

女優陣には、伊達に呼ばれ部屋で自慰ショーを見せる岡本麗とか、真田の恋人でフラメンコをキレッキレで踊る、動く標的根岸季衣とか、今の活躍ぶりからは想像できない配役なのも興味深い。

古い映画のお楽しみ、ロケ地については、本作ではあまりサプライズはなかった。銀行強盗をはたらく東洋銀行の日本橋支店は、野村證券本社のあたり。東野圭吾『麒麟の翼』中井貴一が死ぬ直前に歩いていたところだ。

リニューアル前の上野駅や、列車の中で室田日出男がぶら下げてる駅弁の温かいお茶の容器が懐かしかった。ペットボトルがない時代か。

そして難解なラストシーン

さて、避けては通れない本作の謎のラスト。日比谷公会堂のコンサートホール、客席には誰もおらず、目を覚ました伊達が外に出ると、銃で撃たれたように倒れる。そこには列車で撃ったはずの柏木刑事がいる。

悪は滅びる。伊達は警官に撃たれて死んだ。そういう単純な解釈はできないだろう。だって柏木は死んでるはずだ。それに伊達が撃たれた時の銃声は、戦場で爆撃を受けた時のような音だったし、そもそも柏木は銃を向けてないし。

つまるところ、これは夢オチ、或いは狂人となった伊達の妄想ということになるのだろうが、どこまでがその対象なのか。

さすがに、華田令子(小林麻美)の隣の席に座って目を閉じたときから、ピアノを弾くフリしてるうちに居眠りしてましたという大胆な夢オチでは呆れてしまうから、これはない(と思いたい)。

勝手な解釈としては、これは列車から飛び降りて、真田と逃げ込んだ洞窟のあたりから、もう妄想だったのではないか。だって、洞窟で裸で行為に及んでいる男女がいるのも不自然だし、あの時点で既に伊達の頭の中は現実と戦場の区別がつかなくなっているし。

洞窟の中がいかにも作り物っぽいのは製作費の都合かもしれないが(でも天下の角川映画だぜ)、真田を銃殺したあと天を指さしてクラシックが聞こえ始める展開は、完全に舞台演出(これでピンスポがあたってたら、古畑任三郎だよ)。

てなわけで、私は、洞窟から既に妄想なのではないかと疑っている。或いは、列車から飛び降りた際に電柱にでもぶつかって死んでしまい、これはその死の寸前の一瞬の妄想なのかもしれない。

本作はリップヴァン・ウィンクルについて語る場面あたりで終わってたら、私にとっても確実に傑作だった。