『弟とアンドロイドと僕』
阪本順治監督が、盟友・豊川悦司を主演に撮った実験的な野心作。そこにあるのは、究極の孤独。
公開:2022 年 時間:94分
製作国:日本
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
孤独なロボット工学者・桐生薫(豊川悦司)は幼い頃からずっと、自分が存在している実感を抱けないまま生きてきた。
そしてその不安を打ち消すため、彼は古い洋館で、自分そっくりな「もうひとりの僕」のアンドロイド開発に没頭している。そんな彼のもとに、ずっと会っていなかった腹違いの弟・山下求(安藤政信)が訪ねてくる。
寝たきりの父親(吉澤健)や駅で出会った謎の少女(片山友希)など様々な者たちが交錯する中、桐生と「もうひとりの僕」の間には、ある計画があった。
レビュー(まずはネタバレなし)
ベテラン阪本順治の放つ実験作
ある意味、すごい映画だ。誉め言葉ではない。だが、貶してもない。既定路線の型にはまった映画や、観客に優しい噛み砕いた映画が全盛の昨今の邦画界で、ここまでの野心作はなかなか作らせてもらえない。
「これを撮らないと先に進めない」と言い切った阪本順治監督も大したものだが、それを実現させてくれるキノフィルムズの木下直哉代表の肚の据わり方にも恐れ入る。
「この映画をどう宣伝したらいいのかまったくわからなくてすごく困っています」と主演の豊川悦司がイベントで語っているが、本質を言い当てているようで笑える。そういう、不思議な作品だ。
◇
大学でロボット工学を教えている桐生薫(豊川悦司)。脚が悪いのか、いつも片足でケンケンをするように歩き、授業では難解な数式をひたすら板書し、「字が汚くてすみません」と言って教室を去り、学生を唖然とさせる。
この変わり者の薫が、廃業した産科医院である実家に独り暮らし、精密なアンドロイドを開発している。そして、腹違いの弟である山下求(安藤政信)が、余命わずかな父親(吉澤健)の入院費をせびりに、兄の勤める大学に訪れる。
迂闊には薦められないが
自分の存在に実感が持てない薫、兄とは対照的に強かに生きてきた求、ライフマスクを顔に載せ、薫の分身のようになってくるアンドロイド。
「部屋とYシャツと私」、もとい「弟とアンドロイドと僕」。そこに、寂れた駅で薫と出会う、産科に通う謎の少女(片山友希)も加わり、話は混迷を深めていく。
◇
理解が難しいから、一般的な世間受けはしにくいだろう。解釈の仕方も人それぞれで大きく異なるかもしれない。迂闊にひとに薦められる作品ではない。特に、ストーリー性重視の御仁には相性が良いとは思えない。
だが、(金城武の『Sweet Rain 死神の精度』以来久々にみた)映画の全編で降り注ぐ雨の雰囲気、美術の原田満生によるゴシックホラー調の個人病院の怪しい美しさ、リフレインが不気味さを煽る安川午朗の音楽など、分からないからつまらないとしてしまうには惜しい部分が随所に存在する。
どちらかというとホムンクルス
アンドロイドの邦画というから、勝手に『さようなら』(平田オリザ原作)のように、本当に機械が人間を演じる映画を想像してしまった。
本作のアンドロイドは、途中でトヨエツの顔を与えられるなど、その製作過程からは、どちらかというと<ホムンクルス>と呼んだ方が、イメージが合う。
◇
コップをテーブルの下に落として拾おうとする薫が、もう一人の自分と出会うショットは、実に美しい。出来損ないっぽいホムンクルスのリアルさもいい。
まったくの余談だが、このレトロな洋間のテーブルの下のショットとか、姿見の鏡を特徴的に使用するところが、『ウルトラセブン』第19話「プロジェクト・ブルー(バド星人)」を彷彿とさせる。知らない人には説明のしようもないので、スルーして頂戴。
キャスティングについて
主役の薫には豊川悦司。常連の多い阪本組でも佐藤浩市と並ぶ筆頭俳優だが、やはりこういう(いい意味で)変な役はトヨエツが似合う。教壇でケンケンしたり両手でアクロバティックに板書したり、何をしでかすか分からない得体の知れなさは、豊川悦司でしか滲み出せない。
◇
そして腹違いの弟・求に安藤政信。『るろうに剣心 最終章 The Beginning』や『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』など、近年もハイペースで活躍しているが、阪本作品には『亡国のイージス』(2005)以来となるか。安藤政信は目下事務所を辞めフリーなので、直接携帯に阪本順治監督から出演オファーがあり、快諾したとか。
産婦人科医に迷い込むような、謎の少女役には『茜色に焼かれる』(石井裕也監督)の片山友希。台詞は極少ながら、重要な役柄を演じる。阪本監督が『半世界』のキャンペーンで訪れた高崎でたまたま撮影中の彼女に出会ったのが縁だという。『フタリノセカイ』(飯塚花笑監督)のことだろう。
ちなみに、同作で彼女と共同主演した坂東龍汰は、阪本監督の最新作『冬薔薇』に出演しているという奇縁。
求の母親役の風祭ゆき、父親役の吉澤健といったベテラン勢の中で、私が特に印象深かったのは大学で薫の上司にあたる主任教授の臼井を演じた本田博太郎。
彼は舞台ならいざ知らず、彼は映画やドラマでは、特徴のある喋りがエスカレートして笑いを取りがちに思うが、本作では絶妙な位置に踏みとどまった。観る者が感じる常識的な疑問をどんどん主人公に投げ込んでくれるのも小気味よい。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
私は、いますか?
臼井(本田博太郎)が薫の自宅まで連れてきた娘婿の精神科医(山本浩司)の診断によれば、薫は片足を自分の身体と認識できずにいる。だから足を動かせずにケンケンしながら歩いているのだ。
それにしても、この医師はむりやり押しかけ診察して、しかも本人に無断で患者の上司を同席させるのだから、精神科医としては相当無神経なヤツなのだろう。
◇
だが、薫の症状は深刻だ。片足どころか、彼は自分が存在することにさえ自信が持てずにいる。そんな薫が、駅前で偶然出会った少女と親近感を覚えるのは自然な流れだ。少女は、彼と同じ悩みを抱えて生きてきたのだから。
「私は、いますか?」
薫は自分の存在を認識できず、自分が映らないという理由から家や研究室の鏡も封印してしまう。そして、自分とそっくりな存在を、アンドロイドで創り出そうとする。
産科医である父が看護婦の春江(風祭ゆき)との不倫に溺れ、薫の母親は、生まれ育ったこの廃病院の暖炉で焼身自殺した。
その家の中で、薫は再び自分を誕生させ、延命処置をしている父親に見せつけてやろうとしていたのだろう。だから、彼はカネを払ってでも、無駄な延命にこだわって大声を上げた。
「もう一人の僕がくるまで、勝手に死なないで!」
カインとアベル
腹違いの弟である求は、愛人の子だ。薫と仲が良いはずもなく、彼に治療費を要求するだけでなく、古い実家を売るように言葉巧みにけしかける。そしてある晩、求は薫の家に訪れ、このアンドロイドを目の当たりにする。
「何だよこれ」「僕です」
この、すっとぼけた豊川悦司のリアクションがいい。ここからどう話は展開するかと思ったら、アンドロイドは呆気なく求に倒され、あろうことか首を斬られてしまう。悲嘆にくれ泣き叫ぶ薫が哀れだ。
◇
結局、このカインとアベルのような兄弟は、殺し合いを避けられぬ運命にある。最後に草むらから運び出される薫の遺体には片足に自分で刃物を突き刺したような深い傷があった。
「ボクはいますか」
薫の廃病院を訪ねた少女は、そこに吊るされたアンドロイドに気づく。一度首を刎ねられたが、再び薫の手でこの世に生まれ出ることができたのだろうか。
少女とアンドロイドはぎこちなく抱擁しあう。中盤でアンドロイドの目から見える世界はモノクロで映し出される。ラストで示された少女の目に見える世界もまた、モノクロだった。少女も、薫と同様に、どこかの時点でアンドロイドにすり替わったのだろうか。
この世に生を受けた二体のアンドロイド。阪本順治監督は私小説的作品だというが、どのような経験がこういう世界を創り出すのだろう。とりあえず、私が学生だったら、あの大学教授の授業は敬遠したいけれど。