『オアシス』
空想の世界で生きる脳性麻痺の女と、出所したばかりのどこか抜けてる男。愛おしくも切ない恋物語。暴力的な出会いから、いつしか二人だけの世界が広がっていく。イ・チャンドン監督の最高傑作はやはりこれ。
公開:2002 年 時間:133分
製作国:韓国
スタッフ 監督: イ・チャンドン キャスト ホン・ジョンドゥ:ソル・ギョング ハン・コンジュ: ムン・ソリ
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
ひき逃げ死亡事故で服役し刑務所から出たばかりの青年ジョンドゥ(ソル・ギョング)は、家族の元へ戻るが迷惑がられてしまう。
ある日、被害者家族のアパートを訪れた彼は、寂しげな部屋にひとり取り残された被害者の娘コンジュ(ムン・ソリ)と出会う。重度の脳性麻痺を持つ彼女は、部屋の中で空想の世界に生きていた。
互いに惹かれ合い、純粋な愛を育んでいくジョンドゥとコンジュだったが……。
レビュー(まずはネタバレなし)
ヤワな純愛映画では片づけられない
イ・チャンドン監督の「バーニング劇場版」公開に伴い、2019年にデジタルリマスター版が公開されていた。
「バーニング」は正直、村上春樹原作の映画化は難しいことを再認識しただけだったが、本作、そして『ペパーミントキャンディ』という傑作2本を美しい映像で観賞できることはとても嬉しい。
◇
この作品を最初に観た時の衝撃は、10年以上経過した今でも覚えている。
刑務所を出所したばかりで、30歳近くなっても社会に順応できず、家族にも見放されている男と、脳性麻痺で体の不自由で、満足に意思表示もできない女との恋物語。
このように表現したときの文字面と、ポスターに採用されていたジョンドゥとコンジュが並ぶショット(下記の書籍の表紙のやつです)から、多くの人は麗しく静かに思い合う純愛を想像するのではないか。私はそうだった。
だから、あまりに不可解で暴力的ともいえる二人の出会いや、コンジュの脳性麻痺の姿には、とても驚いた。ベネチアで監督賞を獲った純愛映画、というマイルドな先入観を容易にぶち壊す破壊性があったからだ。
そもそも純愛映画なのか
出所したばかりの怪しい男が食料品店の店頭で豆腐を貪るように立ち食いし(これは韓国では出所者の風習だとか)、無銭飲食で逮捕されやっと実家にたどり着いても歓待されず、交通事故で轢死させてしまった被害者宅を謝罪のため訪ね、その小さなアパートの一室に放置された女に気づく。
◇
そして後日、無理やりに侵入したその部屋で、ろくに動けない女に、男は襲い掛かるのだ。女は失神してしまうが、これでは、すぐに強姦未遂で刑務所に再送還しそうな展開である。本当に純愛映画なのか。
未見の方は、もうこの辺で、映画をまずご覧いただきたい。結論だけいえば、特殊な愛の形ではあるが、こんなに暴力的なのに切ない純愛映画は、まずほかに思い当たらない。
レビュー(ここからネタバレ)
互いを求めあう<姫>と<将軍>
ジョンドゥは前科者で、コンジュは重度の障碍者。ともに家族には厄介者扱いされており、理解もされていない。
ジョンドゥの唐突かつ暴力的なアプローチ(犯罪ですよね、はい)に当初コンジュは驚き拒絶するが、彼が初めに花束を持参したことや、「まあまあ見られる顔だ」と褒めてくれたことで、徐々に心を開き始める。
◇
厄介者同士は、自分を必要としてくれる相手を、互いに求めていたのだろう。すぐに二人は、<姫>と<将軍>と呼び合う仲になる。好きな色は?好きな季節は?好きな食べ物は? ありふれた言葉のやりとりが、二人にはかけがえのないものなのだ。
男・ジョンドゥの優しさ
ジョンドゥは、頭のネジが一本足りないような不可解な行動を繰り返す。出所直後に無銭飲食をしたり、遺族に果物の籠持参で突然謝罪に行ったり、中華の出前で遠出してバイクで転倒したり、客の高級車を無断で借用したり。
彼の怪しい風貌と奇抜な行動で我々はつい彼を色眼鏡でみてしまうが、実は交通事故は兄ジョンイル(アン・ネサン)が起こしたもので、彼が身代わりに出頭したのだ。
それを知ると、ジョンドゥは軽率に行動し、口のきき方もなっていない人物ではあるが、けして悪い男ではないように思えてくる。むしろ、彼に罪を押し付け、出所時に所在不明にしている家族の方が、よほど性悪ではないか。
女・コンジュの憧れ
コンジュの周囲の人々も同類だ。兄夫婦は彼女を狭いアパートに押し込み、自分たちは障碍者に割り当てられる勝手の良いアパートに不正に入居している。
コンジュの世話を頼んでいる隣家夫婦も、彼女の部屋をラブホ代わりに使用するような連中だ。
◇
部屋の中に押し込められ、ラジオを聞くだけが楽しみのコンジュを、車椅子に乗せ、外に連れ出し、そうして楽しく会話に付き合ってくれるのは、ジョンドゥだけだ。
彼女は空想の世界で生きている。部屋の中で手鏡が映す陽光は、はじめは白い鳩であり、後のシーンでは白い蝶に変わる。その流麗さは、変化に気が付かないほどだ。
◇
そして、空想の世界はジョンドゥとのデートにも広がる。電車の中で他の恋人たちがじゃれあうのを真似して、彼女が彼の頭をペットボトルでふざけて小突く。
電車内で立ち上がり、悪戯っぽく笑うコンジュの姿はつかのま、健常者になっている。あまりに自然な動きで、一瞬戸惑う。
◇
更には、ジョンドゥが連れて行ったカラオケで普通に歌うことなどできないコンジュが、終電に乗り遅れて背負われている彼の背中でキレイな声で歌い出す。
ここでも彼女は健常者になる。どちらも美しいシーンだが、同時に彼女の願望を思うと、叶えてあげたい気持ちになる。
純愛だが、プラトニックとは違う
ごくわずかの幻想シーンを除けば、ほぼ全編を重度の脳性麻痺の女性として演じ続けたムン・ソリの女優魂には頭が下がる。白目をむきだすような表情を長時間続けるのは大変だろうし、女優としての葛藤もあったのではないか。
努力の甲斐あって、このような素晴らしい作品に仕上がったことは、他人事ながら嬉しいものだ。思えば、渋滞の高速道路でクルマを降りて踊るところも、『ラ・ラ・ランド』の先を行っていたのではないかという気にさえなる。
◇
純愛というが、プラトニックではない。コンジュの誘いにより、二人は一夜を共にするからだ。だが、これが最も悲劇的な結末を迎える。その行為のさなかに、コンジュの兄夫婦がアパートに入り込んできて、二人をみつけ大騒ぎするのだ。
愛し合って結ばれていた二人なのに、ジョンドゥは強姦魔として(今度こそ)逮捕されてしまうのである。なんと皮肉なことか。真実を伝えたくても、興奮したコンジュの言動を理解できるものは誰もいない。
オアシスにかかる影
逮捕されたヨンドゥは、警察の目を盗んで脱走し、コンジュの部屋の窓に近い木に登って枝を切り落とす。これは得意の奇抜な行為ではなく、彼女への無償の愛だ。
映画冒頭のシーンにも出てくる、彼女の部屋に飾られたオアシスの絵のタペストリー(描かれている黒人女性と少年と象は、中盤の空想シーンで絵から飛び出してくる)。そこにかかる木の枝の影を、彼女は怖がっていたのだ。
枝を切る彼の優しさに気づいたコンジュは、自分の思いを伝えるために、大音量のラジオの電源を入れる。周囲の誰にも分からない二人だけの会話が成り立っている。
◇
ラストシーンで、コンジュは雪のように埃の舞う自室を幸せそうに掃除している。ジョンドゥからの手紙が届いたのだ。
悲劇的な映画だが、明るい結末に少し安堵している。今度出所するときには、彼女が豆腐を用意してくれるに違いない。