『ここは退屈迎えに来て』
山内マリコのロードサイド小説を廣木隆一監督が映画化。橋本愛に門脇麦、成田凌の組み合わせには期待したけど、どうも共演ではなかった。
公開:2018 年 時間:98分
製作国:日本
スタッフ 監督: 廣木隆一 脚本: 櫻井智也 原作: 山内マリコ 「ここは退屈迎えに来て」 キャスト 椎名くん: 成田凌 私: 橋本愛 サツキ: 柳ゆり菜 須賀さん: 村上淳 新保くん: 渡辺大知 あたし: 門脇麦 遠藤: 亀田侑樹 山下南: 岸井ゆきの 森繁あかね: 内田理央 まなみ先生: 瀧内公美 椎名朝子: 木崎絹子 なっちゃん: 片山友希 皆川光司: マキタスポーツ
勝手に評点:
(私は薦めない)
コンテンツ
あらすじ
27歳の<私>(橋本愛)は、10年ぶりに東京から故郷に戻ってきた。実家に住みながらフリーライターとしてタウン誌の記事を書いて生計を立てるが、親にはフリーターのようにしか思ってもらえない。
ある日、再会した高校時代の友人サツキ(柳ゆり菜)と、サッカー部のエースで憧れの存在だった椎名くん(成田凌)の話題になり、彼に会いに行くことになる。
一方、東京に畏怖を抱くあまりに地元から出られずにいる椎名の元恋人の<あたし>(門脇麦)は、彼と過ごした青春時代の思い出が脳裏に焼き付いていて…。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
若者たちの共感を得たロードサイド小説
ロードサイドに生まれ育った若者たちの都会への憧れや息苦しい日常を描いた山内マリコの連作短編小説を、廣木隆一監督が映画化。
山内マリコ原作は門脇麦・水原希子のダブル主演の『あのこは貴族』(岨手由貴子監督)がとても良かったので、過去の映画化作品にも手を伸ばしてみた。
本作も門脇麦が出演し、また水原希子主演の最新作『彼女』が良かった廣木隆一監督とのタッグなので期待したが、これは当てが外れた。ちなみに、残る一つの映画化作品『アズミ・ハルコは行方不明』は、原作を読む限り映画化向きではなさそうなので、まだ観ていない。
◇
原作は、地方都市で育ち、どこまでも続く退屈な日常を生きる女性たちの、東京への憧れや諦め、現実との折り合いや輝いていた高校時代の一瞬などを、連作形式で描いた作品だ。
そして、その全てのエピソードに、みんなの憧れの象徴のような高校時代の人気者、椎名くんが何らかの形で絡んでくる。椎名くんを中心とした疎結合であり、各エピソードはそれぞれ独立している。
つまり、エピソードの垣根を越えて、女同士が知り合いということもない。この素っ気ない物語の構造が、原作ではどこかクールで魅力的に感じられた。
『椎名くんA to E』を作ろうとしてないか
映画は基本的に各エピソードを忠実に再現しているものの、短編集のように一つずつ話を片付けていくのではなく、各挿話を分断したり時系列を行き来させたりして、ひとつの物語として成立させようとした。
公式サイトにも、椎名くんを中心とした女性たちの人間相関図が載っている。これをみて、各エピソードが完全に切り離されたものだとは想像しないだろう。短編をひとつの物語にまとめようとするのは映画化の常套手段ではあるが、本作には馴染まなかったように思う。
<私>の橋本愛と<あたし>の門脇麦の二人の対比をやけに広宣では強調しているが、数ある登場人物から、この二人を物語のメインに持ってきた廣木監督の判断の成否も疑問だ。そもそも、山内マリコはそこまで意味ありげに<私>と<あたし>の一人称を書き分けていたのだろうか。
◇
廣木隆一監督は、モテモテ男子を中心において多数の女性の生き様を描いたのちに、ラストで全てをキレイにまとめる『伊藤クンA to E』の手法を、本作にも採用したかったのではないか。
だが、椎名くんは伊藤クンほど、イタいキャラでもないし、したたかでもない。ただの、昔の輝きを失った、同窓会<あるある>の元人気者なのだ。だから、この構造には無理があった。最後にキレイにはまとまらない。
今更レビュー(ここからネタバレ)
個別のエピソードに簡単にふれたい。<サブタイトル>は映画には登場しないが、原作から引用している。
◎私たちがすごかった栄光の話
◎地方都市のタラ・リピンスキー
27歳の私(橋本愛)は、何かになりたくて東京へ出たものの、10年が経ち、地元に戻ってきた。実家に住みながらフリーライターとしてタウン誌の仕事をしている私は、カメラマンの須賀(村上淳)と組むことが多い。
取材終わりに、高校時代に仲が良かったサツキ(柳ゆり菜)と合流し、須賀の車で当時みんなの憧れの的だった椎名くん(成田凌)に会いに行くことに。
道中で懐かしいゲームセンターを見つけて立ち寄ると、たまたま帰省中だという同級生の新保くん(渡辺大知)と再会する。
◇
橋本愛の透明感が、地方都市に夢破れて帰ってくるキャラに見えないのがつらい。『あまちゃん』でみせたような、やさぐれ感がない。
同様に村上淳も渋い感じなので反則。「東京なんて、どうってことない所だよ」と二人が口にするのが、サマになりすぎるけど、それって企画通り?
ゲームセンターの寂れた感じは、伝わってきたけれど、新保くんがトランスジェンダーだという設定は、切り札としてすぐに明かさなかった原作と違い、映画ではビジュアルですぐバレてしまうのが不利。
◎君がどこにも行けないのは車持ってないから
22歳のあたし(門脇麦)は書店でのアルバイトを終えて、駐車場で待っている同級生の遠藤(亀田侑樹)の車に乗り込む。
あたしは高校時代に椎名と付き合っていたが、卒業後、椎名は大阪に引っ越して音信不通だ。椎名を忘れられないが、自分に好意を寄せる遠藤と何となく体の関係を続けている。
◇
みんなの憧れだった椎名と付き合っていた<あたし>もまた、あの頃が人生のピークだったのだろう。橋本愛が出せていないやさぐれ感が、彼女には充満している。この役は椎名くん以上にイタい。
門脇麦が成田凌の彼女で嫌われ者というと『チワワちゃん』だし、二人で並んでクルマに乗っていると『さよならくちびる』にしか見えん。
本作では、フジファブリックの「茜色の夕日」が門脇麦や渡辺大知らによって口ずさまれるシーンがある。口ずさむというか、大声で歌い上げるのだが、この曲は無伴奏で歌って聴かせるのはなかなかキツイ曲だと思った(この二人は歌える人のはずなのに)。
歌詞に思い入れが強ければ、感動できるのかもしれないが、私にはダメだった。せっかく当のフジファブリックが主題歌もやっているのなら、ここも別の聴かせ方があったのではないか。
◎やがて哀しき女の子
24歳の南(岸井ゆきの)とあかね(内田理央)はファミレスでガールズトークを繰り広げる。
抜群の美貌をもつあかねは10代の頃にアイドルとして活動し、中学を卒業すると東京に引っ越したが、仕事がなくなり、実家に戻ってきた。あかねは早く結婚したいと焦っているが、南は結婚に興味がないという。
◇
ファミレスに入り浸って退屈な日々を嘆き合う二人。大声でヤリマンについて語り合ったり、ドリンクバーで自分のロストバージン話をしたりって、地方都市では日常的なのだろうか。
どことなく、常に牙を隠し持っていそうな岸井ゆきのが今回も怪演。彼女が最終的に結婚する相手が、なんと椎名くんなのだ。
これじゃ、まるで、成田凌へのストーカー愛が実ってついに念願が叶った『愛がなんだ』(今泉力哉監督)のテルコのリアルストーリーのようじゃないか。よかったねえ、テルちゃん。
◎ローファー娘は体なんか売らない
なっちゃん(片山友希)は、禿げ上がった47歳の男・皆川(マキタスポーツ)と援助交際中だが、お見合い結婚を理由に関係解消を告げられる。
◇
なっちゃんも、クラスで太陽系の中心にいるような椎名くんが好き。だが、物語的には特に接点なしか。皆川はなっちゃんと別れて、見合いであかねと結婚するという流れになっているようだが、これは映画オリジナルと思われる。
◎東京、二十歳
青春を謳歌する兄を醒めた眼で見ている椎名の妹・朝子(木崎絹子)は、東京の大学に通うために、家庭教師のまなみ先生(瀧内公美)の家で勉強を教えてもらっている。
◇
東京に憧れながらも、結局飛び出せなかったまなみ先生の薫陶をうけて、ついに上京してシティガールになる朝子。こういう娘が将来、『あのこは貴族』の水原希子のようになっていくのかな。あっちは東京タワー、こっちはスカイツリーだった。
それにしても瀧内公美が、廣木隆一監督の前作『彼女の人生は間違いじゃない』とはまるで違う印象で、誰だか分からなかったほど。
大切な記憶をみんなが共有して訳ではない
原作由来の場面は、概ねそんなところだろうか。
須賀から高校時代のことをあれこれ聞かれ、ゲームセンターに足を踏み入れ、そして母校を訪れたことで、「私」の脳裏にあの放課後が蘇る。
ある日の放課後、唐突に「私」とサツキは椎名くんから誘われて、奇跡のように楽しい放課後を彼らの行きつけのゲームセンターで過ごした。
◇
「私」たちにとって決して忘れられない思い出は、椎名くんにとっては、誘ったことさえ覚えていない些細な日常なのだ。ゲーセンと高校生の橋本愛という組み合わせは、『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八監督)を思わせる。
新保くんも、気まぐれで椎名くんに誘われて一緒に放課後にハンバーガーを食べただけなのに、それを忘れられず彼女になりたいと憧れ続けることになる。
結局、高校時代にみんなのアイドルだった椎名くんも、みんなの嫉妬の対象だった交際相手の「あたし」も、東京からの出戻り組の「私」や、アイドルをやめたあゆみも、みんないつの間にか、この地方都市に戻ってきて燃え殻のようになっている。
夢破れて、山河あり。なんとも切ない物語のなかで、椎名くんと結婚した南と、上京を果たした朝子だけが、かろうじて望みをつないでいるのかも。
ラストの一言はちょっと違うと思った
終盤、記憶の中でキラキラと輝いていた椎名くんと教習所で再会した「私」は、彼からある衝撃的な言葉を告げられる。
公式サイトにはそうあるが、正直、大した台詞とは思えないし、むしろよくある会話だ。これは原作にはないオチだが、勿体付けて逆にはずしているように思う。
◇
それならば、原作通りに、再会した椎名くんにはもうDQNネームつけた娘がいて、当時の輝きはまるでなくこの町に溶けこみ、「お前らも早く子供産めよ」と問題発言してしまうオヤジになっているほうが、納得感があったのではないか。
ラストにようやく出てくるタイトルが、自虐ネタに思えてしまったよ。