映画『敵』考察とネタバレ|独居老人にも美学はある

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『敵』

筒井康隆の原作を吉田大八監督が映画化。主演はこの人しかいないといえるハマリ役の長塚京三

公開:2025年  時間:108分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:        吉田大八
原作:           筒井康隆

                『敵』
キャスト
渡辺儀助:         長塚京三
鷹司靖子:         瀧内公美
菅井歩美:         河合優実
渡辺信子:        黒沢あすか
渡辺槙男:          中島歩
湯島定一:         松尾貴史
椛島光則:          松尾諭
隣人:           二瓶鮫一
編集部員:      カトウシンスケ

勝手に評点:3.5
  (一見の価値はあり)

(C)1998 筒井康隆/新潮社 (C)2023 TEKINOMIKATA

あらすじ

大学教授の職をリタイアし、妻には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋にひとり暮らす、77歳の渡辺儀助(長塚京三)。毎朝決まった時間に起床し、料理は自分でつくり、衣類や使う文房具一つに至るまでを丹念に扱う。

時には気の置けないわずかな友人と酒を酌み交わし、教え子を招いてディナーも振る舞う。この生活スタイルで預貯金があと何年持つかを計算しながら、日常は平和に過ぎていった。

そんな穏やかな時間を過ごす儀助だったが、ある日、書斎のパソコンの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。

レビュー(まずはネタバレなし)

筒井康隆原作の映画なんて、何度も映像化される『時かけ』『七瀬ふたたび』を除けば、2006年の『パプリカ』以来だ。尤も、今回はジュブナイルSFでもハチャメチャ展開のコメディでもなく、規則正しい生活を送る元大学教授の独居老人の物語。

かつての筒井康隆作品を思い浮かべると、主人公の老人なんてもっと過激な言動を繰り返しそうなものだが、著者の円熟に伴うかのように、マイルドになっている。

原作ではお得意の漢字で遊ぶ表現が随所にみられ、筒井康隆らしさを感じさせるが、映画となるとその辺は表現できないので、受ける印象は微妙に異なるか。

監督は吉田大八『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007)以来、多くの作品を撮っているけれども、どれもジャンルもスタイルも大きく異なるし、いわゆる常連俳優というのもあまり作らない監督。

だから作風が読めず、どれだけ才能のポケットがあるのか分からないが、今回はその中でも異端だろう。

だって、老人男性の日常を全編モノクロで撮った作品だ。どうしたって地味な映画になりそうだが、そこは主人公の渡辺儀助長塚京三を起用したことで、いい塩梅に華のある作品になっている。

(C)1998 筒井康隆/新潮社 (C)2023 TEKINOMIKATA

フランス文学の権威である元大学教授。早くに妻を亡くし、子供もなく、古くからある山の手の実家住まい。講演の依頼は来ても、安売りはしたくないので10万円以下では受けない

昼には麺類を自炊して食す。付け届けされる石鹸は独居老人には使いきれないから、スーツケース一杯になるほど保管している。

大学教授のプライドを捨てきれず、若い女性にはついいい所を見せたくなる一面もあり、自分なりの美学と欲望はまだまだ健在な77歳の渡辺儀助

パリのソルボンヌ大学を卒業し、フランス語も堪能な長塚京三を当て書きしたような主人公ではないか。年齢を重ねてもスリムな体型を維持し、ダンディで知性的。だらしなく醜悪な老人とは一線を画す。

いくらダンディな長塚京三だからといっても、規則正しい生活を屋敷の中のシーンだけで延々と見せられるだけでは退屈してしまうが、彼の日常生活に関わりを持っている何人かの人物が、物語に変化を与えてくれる。

仲の良いデザイナーの湯島定一(松尾貴史)、元教え子で渡辺の庭の古井戸を復活させようとしている椛島光則(松尾諭)、同じく元教え子で出版社にいる、先生のお気に入りだった鷹司靖子(瀧内公美)

(C)1998 筒井康隆/新潮社 (C)2023 TEKINOMIKATA

そして、新たに渡辺の知り合いとなった、行きつけのバー「夜間飛行」でバイトするオーナーの姪で仏文科学生の菅井歩美(河合優実)

なかなか面白い座組みだが、妻・信子(黒沢あすか)が早逝し独身生活が長い渡辺は、たまに自宅に訪れる元教え子の鷹司靖子と深い仲になることをつい妄想してしまう。

また、フランス文学を学ぶ菅井歩美からはバーで渡辺の関心をひくような質問をされ、元大学教授の自尊心をくすぐられ、つい甘い顔をしてしまう。

(C)1998 筒井康隆/新潮社 (C)2023 TEKINOMIKATA

瀧内公美河合優実といった共演女優の演技と妖艶さに引き立てられ、本来は貯金通帳とにらめっこで、あと何年暮らしていけるかを計算するような味気ない筈の渡辺の生活が、妙に充実しているように見える。

 

高齢でも性欲だけは衰えない渡辺は、77歳でも自慰行為を欠かさない様子が原作には書かれており、そんなの長塚京三では割愛だろうと思っていたら、夢精とはうまい手を考えたものだ。

そして、そんな日常にひたひたと足音を潜ませて、<敵>が近づいてくる。ここから映画は別世界に突入するのだ。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。

原作が出版されたのは1998年なので、この<敵>に関するデマのような情報に渡辺が徐々に感化されていくインフラは、パソコン通信だ。様々なバンドルネームの持ち主が、多様な意見をぶちこんでくる。

この映画はモノクロだが時代設定は現代のようなので、これを、毎日メールアカウントに次々と飛び込んでくる詐欺メールのような形式に変更している。時代の違いとはいえ、ややスケールダウンの感は否めず。

バンドルネームの持ち主たちがリアルに登場することもなく、ただ顔が垢で汚れた難民のような<敵>が襲ってくるだけなのも、やや盛り上がりに欠けるか。

<敵>とは何なのか、現実なのかという問いかけに対しては、原作同様に、観る者によって受け止め方が異なる部分になるのだろう。例えば、北から襲ってくるからロシアだということではないらしい。

無礼な若手編集者(カトウシンスケ最高!)に対して鷹司靖子が、「先生が言っている<敵>はメタファーなのよ!」とお説教しているし。

具体的に<敵>の正体を暴かないことで、この作品はどの時代にも、順応できるものになっているのかもしれない。誰にでも漠然と感じている<敵>の存在があるだろうから。

<敵>が誰かということよりも、私には、後半になって現実社会と渡辺の妄想がどんどん交錯していく様子の方が面白く観られた。

普通この手の夢落ちを何度もやられると辟易するものだが、次第に「これは妄想だな」と感じ取れるようになってくると、その前提で盛りあがれるようになってくる。

中でも、渡辺が鷹司靖子に自宅で鍋をふるまい、しっぽりやろうとしているころに、若手編集者が突然押しかけ、気がつけば死んだはずの妻まで食卓におり、修羅場になっていく映画オリジナルの場面は秀逸だった。

妻のコートを今も大事に取っておいては抱き締めるような愛妻家の渡辺だから、教え子を自宅に連れ込んだことで罪悪感から妻に叱られる妄想を見るのだろうか。

(C)1998 筒井康隆/新潮社 (C)2023 TEKINOMIKATA

家族のいない渡辺は、先祖代々が山の手に残した自宅を、甥っ子の槙男(中島歩)に相続するよう細かい遺言を書いている。昭和の二枚目をやらせたら天下一品の中島歩はモノクロが似合う。

遺言の内容はラストに明かされる。正直言って、相続する槙男もかえって迷惑なんじゃないかと思われる細かい指示つきの遺言だ。

思えば渡辺は先祖代々のこの家を守ることに固執し、愛妻をパリに連れて行ってやることもせず、自分の美学を貫いた昭和の困った頑固男なのだ。

「先生、学生時代に私を土日にも研究室に呼び出して朝から晩まで手伝わせて、夜遅くまで観劇や食事に付き合わせたのも、立場を利用したハラスメントですよね?」

妄想の中で鷹司靖子にそう言われて、先生は凹む。

「悲しいこと言うなよ」

春になれば、また鷹司靖子に、菅井歩美に会えるなあと思いながら、孤独死する渡辺。通帳の残高は残っているし、ある意味、恵まれすぎた人生だったのかもしれない。

<敵>の正体は結局よく分からなかったが、長塚京三が一度だけ披露する流暢なフランス語の台詞は、『グランメゾンパリ』キムタクより洗練されている気がする。