『陪審員2番』
Juror #2
クリント・イーストウッド監督の新作は劇場公開なしの陪審員もの。
公開:2024年 時間:114分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: クリント・イーストウッド
脚本: ジョナサン・エイブラムズ
キャスト
ジャスティン・ケンプ: ニコラス・ホルト
フェイス・キルブルー: トニ・コレット
ハロルド・チコウスキー: J・K・シモンズ
エリック・レズニック:クリス・メッシーナ
アリー・クルーソン: ゾーイ・ドゥイッチ
マーカス・キング: セドリック・ヤブロー
デニス・アルドワース: レスリー・ビブ
ラスカー弁護士:キーファー・サザーランド
テルマ・ホルブ判事: エイミー・アキノ
ジェームズ・サイス: ガブリエル・バッソ
ヨランダ: エイドリアン・C・ムーア
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
ジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)は雨の夜に車を運転中、何かをひいてしまうが、車から出て確認しても周囲には何もなかった。
その後、ジャスティンは、恋人を殺害した容疑で殺人罪に問われた男の裁判で陪審員を務めることになる。
しかし、やがて思いがけないかたちで彼自身が事件の当事者となり、被告を有罪にするか釈放するか、深刻なジレンマに陥ることになる。
レビュー(まずはネタバレなし)
イーストウッド新作スルーしそうに
まさか、クリント・イーストウッド監督の新作が劇場公開されないことがあるなんて、思いもしなかったが、日本ではU-NEXTの独占配信のみ。
長年イーストウッド監督作品を扱ってきたワーナー・ブラザースだが、本作は傘下の配信サービスMaxのブランド商品にしたい思惑があるようで、米国内でも劇場限定公開となっている。
確かに、法廷や会議室内シーンばかりの地味な陪審員もので、クリント・イーストウッド自身も出演しないとなると、近年の邦高洋低が顕著な日本の映画産業事情を考えれば、劇場公開が見送られるのも無理はないか。
そんな経緯は置いておいて、作品自体はなかなかの見応えで、さすが生涯現役のイーストウッド監督の才能に衰えは見られない。内容はタイトルそのままの陪審員もの。
陪審員の映画といえば、法廷サスペンス映画の金字塔、シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』(1957)や、陪審員制度を日本に持ち込みアレンジした三谷幸喜の『12人の優しい日本人』(1991)などが思い浮かぶ。
いずれも、有罪で満場一致になりかける陪審員の議論が、一人の陪審員が投じた無罪票によって、じわじわと変化を起こしていく話。
◇
この作品も構造だけをとらえれば同じ部類に属するが、最大の差異は、陪審員2番にあたる主人公ジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)が、まさに裁判の対象である殺人事件に、当事者として関与しているという点だ。
「そんな偶然ありかよ」とツッコミを入れたくはなるが、この仕掛けによって映画のサスペンス濃度は大きく上がる。
良心の呵責と苦悩
被害者は大雨の夜に道路を歩行中、谷底に落下して死亡した女性。直前にバーで激しく大喧嘩をしていた恋人の男・ジェームズ・サイス(ガブリエル・バッソ)が逮捕され、被告人となっている。
その夜、同じ店に独りで来店していたケンプには、豪雨の中クルマを走らせ、橋の上で鹿らしきものと衝突した記憶がある。陪審員同士で事件について議論するうちに、ケンプの頭の中で思い浮かぶ最悪の想像が、次第に確信に変わっていく。
殺人の罪を無実である被害者の交際相手になすりつけることができ、しかもその人物も清廉とは程遠い暴力野郎だとすれば、真犯人としては「してやったり」とほくそ笑むところかもしれない。
だが、ケンプにとってこれは偶発的な事故であり、冤罪の被告を救うべく自供すべきか悩む。
彼自身、アル中と飲酒運転事故という過去の痛手を乗り越えようとしていた。自供した場合、飲酒運転ではないというケンプの主張を陪審員は信じないだろう。
そうなれば、再犯で無期懲役が濃厚。妻が出産間近な状況で、彼には受け入れがたいことだ。この良心の呵責と苦悩が、作品のキモの部分といえる。
キャスティングについて
ケンプを演じるニコラス・ホルトといえば、『X-MEN』シリーズのビースト、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のウォーボーイズ、『女王陛下のお気に入り』でもロン毛のカツラに厚化粧と、普通の姿での演技を見ることが少ない俳優だった。
ニコラス・ホルトの青白い繊細顔がこの役に合っている。次作予定は『スーパーマン』(ジェームズ・ガン監督!)のレックス・ルーサーだって。
被告をさっさと有罪にして検事長選に勝ちたいフェイス・キルブルー検事にトニ・コレット。対するエリック・レズニック弁護士にはクリス・メッシーナ。
隙のない冷徹さを感じさせる検事に、人権擁護派っぽいソフトな弁護士。ともに優秀な人材だと見てとれる。堅物の女性判事(エイミー・アキノ)も学校の教頭先生みたいでいい感じ。
この法律家たちを、安っぽいドラマにありがちなキャラにデフォルメしていないところに好感が持てる。特に検事は、目先の選挙に向けて何が何でも有罪に持ちこむタイプに見えたが、裏では正義のための労力を惜しまない人物。
本件裁判とは別でケンプが頼りにする弁護士役にキーファー・サザーランドが登場とは珍しい。イーストウッド監督作品には初参加か。実父の名優ドナルド・サザーランドとイーストウッドの共演作は『戦略大作戦』(1970)に『スペースカウボーイ』(2000)。
◇
陪審員の中にいる元刑事のハロルド・チコウスキー(J・K・シモンズ)。本来は不適切で選出されるべきでない経歴になるそうだが、そこに紛れ込んだこの人物が、持ち前の嗅覚で事件の裏付け捜査をし始める。
これは陪審制度ではルール違反になる。J・K・シモンズは大好きな俳優だけに、この違反が原因で途中退場となるのが勿体ない。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
陪審員12人の怒れる男女のうち、当初の採決では有罪10:無罪2。無罪票を投じたのは、真犯人を知るケンプと元刑事。ここからどんな挽回劇が見られるのか。それが陪審員ドラマの醍醐味なのだと思っていた。
だが、有罪だと断じる連中の意思は固く、また評決が全員一致でなければ、結論が出るまで陪審員を入れ替えて対応することになるらしい。展開が読めない中、再開された裁判で判事が陪審員長から評決の紙を受理する。
「全員意見が纏まりました」
いや、全員を説得するの早すぎるだろ? そこで気づく。結論は安易な方向に流れたのだと。
<不正が起きる三要素>というやつを、この映画で思い出した。「動機・機会・正当化」というものだ。
身重の妻を置いて終身刑にはなりたくないという「動機」、容疑者が逮捕され、都合よく目撃者もいるという「機会」、そしてその被告の男は麻薬組織とも繋がりのある暴力男であるという「正当化」。
これが揃ってしまい、ケンプは悪魔の囁きに抗えなくなったのか。
映画はラスト、トニ・コレット演じる女性検事長が正義の筋を通すところで幕を閉じる。切れ味鮮やかに終わらせるスタイルがイーストウッド監督らしい。
この役は、ひと昔前なら、それこそ今回元刑事役だったJ・K・シモンズに割り振られそうな役どころだし、もっと前ならイーストウッド御大自らが演じてもおかしくない。
だが、それを毅然と魅せるトニ・コレットがクールだし、時代とも適合させているように感じた。
こういう作品が劇場公開されず、シネコンではアニメ作品ばかりが一時間おきに上映されているのも、日本の文化的には緩やかな衰退に思えてならない。