『ベンジャミンバトン』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』今更レビュー|大人エレベーターは昇りだけではない

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『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
 The Curious Case of Benjamin Button

デヴィッド・フィンチャー監督がブラッド・ピット主演で贈る、逆行時間を生きる男の人生

公開:2008年  時間:165分  
製作国:アメリカ

スタッフ 
監督:     デヴィッド・フィンチャー
脚本:          エリック・ロス
原作: F・スコット・フィッツジェラルド
  『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
キャスト
ベンジャミン・バトン: ブラッド・ピット
デイジー:    ケイト・ブランシェット
(少女時代)      エル・ファニング
クイニー:     タラジ・P・ヘンソン
ティジー:      マハーシャラ・アリ
キャロライン:   ジュリア・オーモンド
エリザベス:   ティルダ・スウィントン
トーマス・バトン:ジェイソン・フレミング
ムッシュ・ガトー:イライアス・コティーズ
マイク船長:     ジャレッド・ハリス
オティ:       ランパイ・モハディ

勝手に評点:2.5
(悪くはないけど)

(C)2008 Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment All Rights Reserved

あらすじ

1918年、ニューオリンズ。バトン夫妻の間に生まれた息子は小さいがしわだらけという老人のような赤ん坊。父親に捨てられた赤ん坊は老人ホームを運営する女性クイニーに拾われ、ベンジャミンと名付けられる。

不思議なことにベンジャミンは年月を経るうち、全身が若返っていく。

12歳の時、純真な少女デイジーと出会い、二人は仲良くなるが、成長したベンジャミンは船員になって世界各地へ。以後も彼の人生は数奇な道を歩む。

今更レビュー(ネタバレあり)

80歳で生まれ、年を取るごとに若返っていく数奇な運命のベンジャミン・バトンの物語。確かに数奇だが、そもそもどうしてそんなことになるのか。F・スコット・フィッツジェラルドの原作を読んでも、まったく解決にならない。

原作は短編といっていいボリュームで、老人として生まれた男が、年々若返っていく話。不思議な物語ではあるが、『華麗なるギャツビー』ならともかく、正直、これを映画化したところでモノになるとは思えず。

デヴィッド・フィンチャー監督がメガホンを取るまで、スピルバーグを始め何人もの著名な監督の間を企画が渡り歩いたようだが、みんな難色を示したのかもしれないな。

主人公ベンジャミン・バトンを、デヴィッド・フィンチャー監督の盟友ブラッド・ピットが演じている。

実際には、老人から幼年期まで何人かの俳優が演じているわけだが、皺だらけだった顔が、やがて精悍なブラピに変貌を遂げていくのは不思議な気分。

フィンチャー×ブラピのタッグは、『セブン』『ファイト・クラブ』に続く三作目だが、スタイリッシュで暴力的なサスペンスが持ち味だったデヴィッド・フィンチャー監督からは大きな路線変更。

何でフィンチャーがファンタジーを撮るのかという意外性は大きい。この作風の変化を受容できずに従来の鋭い切れ味を期待すると、肩すかしをくらうだろう(私のように)。

逆回転する時間を生きるというアイデアだけをもとに、フィッツジェラルドの原作をここまで発展させたエリック・ロスの脚本には驚いた。

風変りな主人公の人生をひたすら追っていくスタイルは、トム・ハンクス『フォレスト・ガンプ/一期一会』のようだと前々から感じていたが、いずれもエリック・ロスが脚本を手掛けていたとは。

 

原作では、何の説明もなく老人の姿で生まれてくるベンジャミン・バトンが、父親に煙たがられながらも育てられていき、次第に若返っていく。そこには親の愛情はあまり感じられない。

映画では序盤にあたる部分がうまく作りこまれている。まずは2005年、ハリケーンが近づくニューオリンズ。

病院で死の床に伏している老女デイジー(ケイト・ブランシェット)が、娘キャロライン(ジュリア・オーモンド)に、ベンジャミンの人生を綴った日記帳を読み聞かせるよう求める。そこから回想シーンに入っていくスタイルは、『タイタニック』を思わせる。

1918年。第一次世界大戦で息子を失った天才時計職人のガトー(イライアス・コティーズ)は、息子たち戦死者が無事に帰ってくることを願い、ニューオリンズの駅舎に逆回転する時計を設置する。

時を同じくして、老人のような顔で生まれたのがベンジャミンだ。原作と異なり、生まれてすぐバトン氏(ジェイソン・フレミング)に老人施設の前に捨てられ、切り盛りしている黒人夫婦に拾われる。

育ての親であり、奇妙な赤ん坊を愛情たっぷりに育てる母クイニー(タラジ・P・ヘンソン)の存在が温かい。

(C)2008 Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment All Rights Reserved

原作では老人として生まれたということだったが、母体から産み落とされるからには、身体の大きさは乳児並みでなければならず、顔だけ老人という設定には納得感がある。

また、因果関係は不明だが、逆転時計のアイデアもファンタジーぽくて、いい感じ。

ただ、いかに脚本に装飾を施しても時間に逆らう男のトリッキーな設定頼りなのは否めず、深い感動とまではいかなかった。

ベンジャミンの数奇な人生は苦難の連続のように思えるが、実はフォレスト・ガンプのように人々との出会いに恵まれて、割と順風満帆にもみえる。

拾ってもらった母クイニーと、父ティジー『グリーンブック』マハーシャラ・アリ!)の善人夫婦。実の娘が生まれてもベンジャミンへの愛情が変わらないのが素晴らしい。

(C)2008 Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment All Rights Reserved

当初育った老人施設では、みんなが同世代のようなものだから過ごしやすい。

老人施設で働くピグミー族のオティ(ランパイ・モハディ)はベンジャミンに世界の広さを説き、彼をチェルシー号の船員に雇ったマイク船長(ジャレッド・ハリス)は女を教えてくれただけでなく、彼と深い絆で結ばれる。

寄港先ロシアで出会った人妻エリザベス・アボット(ティルダ・スウィントン)とは、密会を重ね不倫関係となるが、真珠湾攻撃により戦局が動き出すと、置き手紙を残して姿を消す。

(C)2008 Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment All Rights Reserved

ベンジャミンはマイク船長とともにチェルシー号で米国海軍のために戦うことになる。命からがら故郷に戻ると、ボタン工場の経営者バトン氏に再会。彼は息子を捨てたことを詫び、全ての事業資産を譲るという。

いろいろな人との出会いを重ねる中で、ベンジャミンだけが若返り、多くの人は亡くなっていく。

7回雷に撃たれたという老人の話と、エリザベスが68歳で英仏海峡を泳いで横断する話が、まるでウェス・アンダーソン監督の映画の小ネタのように小粋に挿入される。

そして、数奇な彼の人生において中核となるのは、老人施設で入居者の孫として紹介され一目惚れした7歳のデイジー(エル・ファニング)だ。彼女はベンジャミンが老人でないことに気づき、やがて惹かれ合うようになる。

老人に生まれ若返りながら生きるベンジャミンには、愛するデイジー(ケイト・ブランシェット)年齢がつりあう時期はつかの間しかない。それはまるで、電車がすれ違う瞬間のように。

愛し合う二人が、電車が並走するように同じ速さで年齢を重ねていくことは、当たり前でありながら、実に幸せなことだと気づかされる。

(C)2008 Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment All Rights Reserved

デイジーはバレエダンサーとしてNYで成功を収めかけるが、不運な交通事故によって脚を傷め、夢を断たれる。ベンジャミンとデイジーは復縁し、娘も生まれるのだが、ここで彼は苦渋の決断をする。

今は若々しい自分だが、やがて少年になり、子供に戻るだろう。二人の子供の面倒を彼女ひとりに背負わせるわけにはいかない。こうして彼はデイジーの前から姿を消し、彼女は再婚する。

自分一人だけ若返っていくというのは、何と寂しいことなのだろう。世界中でたった一人、反対車線を走る男。しかもそれが輝かしい青年期やティーンの頃で止まるのならまだしも、そのまま幼児や乳児になっていき、死んでいくのだ。

(C)2008 Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment All Rights Reserved

2002年、ニューオリンズの駅の逆転時計は老朽化からデジタル時計に差し替えられる。古時計が格納された倉庫がハリケーンで浸水するシーンで映画は幕を閉じる。

名画を思わせる重厚な画面作りと緩やかな時間運び。数奇な人生を持つ男の孤独と悲哀。

だが、よく考えると逆転時計とベンジャミンとの因果関係はよく分からないし、ニューオリンズだからってハリケーンを絡める理由も、公開当時ならまだ分からなくもないが、今となってはとってつけたようにみえる。

なぜ、デヴィッド・フィンチャー監督がこういうファンタジーを撮るのかが、一番の謎のままだ。