『女の都』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『女の都』今更レビュー|フェリーニ生誕100年勝手に後夜祭⑥

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『女の都』
 La città delle donne

フェデリコ・フェリーニが盟友マストロヤンニの主演で撮った、ドキッ!女だらけの言論大会。

公開:1980 年  時間:139分  
製作国:イタリア

スタッフ 
監督:     フェデリコ・フェリーニ


キャスト
スナポラツ:マルチェロ・マストロヤンニ
妻エレナ:    アンナ・プリュクナル
列車の女:    バーニス・ステガーズ
ドナテッラ:  ドナティラ・ダミアーニ
カッツォーネ博士:  エットレ・マンニ
バイクの中年女:ジョウル・シルヴァー二

勝手に評点:3.0
  (一見の価値はあり)

あらすじ

汽車の車窓から田園風景を眺めていたインテリ中年男スナポラツ(マルチェロ・マストロヤンニ)。グラマラスで色っぽい女性(バーニス・ステガーズ)が彼の前に現れた。

彼女の事を見つめずにはいられないスナポラツ。女は色目を使うような態度で席を立ち、汽車を降りて行った。そしてスナポラツも吸い寄せられるように汽車を降り、後を追って森の中へと足を踏み入れた。

いつの間にか女性は姿を消すが、彼が辿り着いた先は女ばかりが集まるウーマンリブの国際大会の会場だった。

今更レビュー(ネタバレあり)

フェデリコ・フェリーニ監督の分身といえる中年男の役を、いつものようにマルチェロ・マストロヤンニが演じている。くたびれた男の哀愁がまた伊達男っぽい。

タイトル通りに、女だらけの都に迷い込む男の物語。とはいっても、けして彼がハーレムでモテキを満喫するような話ではまるでなく、どちらかといえば、男性不要論を唱える勇ましい女性陣に完膚なきまでに叩きのめされるような作品。

1980年の公開だが、今の時代なら男女のとらえ方が時代錯誤だといわれ完成も危ぶまれそうだし、そもそもフェリーニでなければ作品になり得なそうにない題材といえるか。

冒頭、長いトンネルに入ろうとする列車のコンパートメント席にひとり座る主人公のスナポラツ(マルチェロ・マストロヤンニ)

向かいに座るグラマラスな美女(バーニス・ステガーズ)が気になってしまい、車内のトイレまで追いかけていき、言葉少なに後ろから抱きつく。

いわば性犯罪だが、女もそれを待ち望んでいたようで、「ここでやるの?」とノリがいい。だがそこで列車が停まり、女はあわてて列車を降りる。のっけから強引な展開だ。

女は駅に向かわず、停車車両から飛び降りて草原を森に向かって歩いていき、スナポラツは慌ててそれを追う。いい女をみるとケツを追いかけてしまう、諸星あたる『うる星やつら』ね)のような行動原理が単純明快で分かり易い。

こうして男は、森の奥にある女の都に迷い込んでしまう。

マルチェロ・マストロヤンニ扮する映画監督が新作の構想と療養のため温泉地へと訪れ、異境における理想と現実の混沌を見事に映像化したフェリーニの代表作『8 1/2』(1963)。

また、監督自身の生まれ故郷での思い出をベースに、女性に対する興味や妄想を惜しみなくさらけ出した『フェリーニのアマルコルド』(1973)。

本作はこの二作のエッセンスを配合したような作品になっている。

さて、翻弄された列車の女を追いかけてスナポラツがたどり着いたホテルには、世界各国の女性たちが集まっており、ウーマンリブの国際集会が開催されている。

女たちに囲まれてはじめはゴキゲンなスナポラツだったが、「ペニスとの戦い」「男なんていらない!」、そして家事と育児のワンオペで疲弊する女の姿が舞台で演じられ、「結婚は悪夢」と盛りあがる。

やがて一人まぎれ込んだ男性スナポラツに非難が集中し、命からがら逃げだすことに。

  • どこかに理想の女性がいると幻想を抱く
  • 女性は男性に劣ると思っている
  • それなのに女性を最高の存在とし欲望を抱いている
  • 下品さや攻撃性を素直に認めず遠慮を知らない

愚かな夢を懲りずに追い求めている舌鋒鋭く吊るし上げをくらう伊達男マルチェロ・マストロヤンニ。男はみんな同じだ。

どうにか逃げ出す彼を手助けしてくれるのは豊満ボディのドナテッラ(ドナティラ・ダミアーニ)。タマ蹴りの達人女性たちが結集するスケートリンクの恐怖感。ここは『燃えよドラゴン』の武術大会か。

スナポラツは駅まで送ってやるというオートバイのおばさん(ジョウル・シルヴァー二)にビニールハウスで強姦されそうになったり、パンク・ファッションの少女たちの車に乗せてもらうが轢き殺されそうになったりと、散々な目に遭う。

そして迷い込んだのがカッツォーネ(巨根)博士(エットレ・マンニ)の豪邸だった。磯野カツオ『サザエさん』ね)という名前はイタリアでは大声で言いにくいという話を思い出す。

まるで女性の独裁国家に抵抗する反政府ゲリラのようなこの博士の屋敷は男根モチーフの調度品に溢れ、関係をもった数千人の女性たちの写真と声を収めた博物館まで用意されている。

壁のパネルを押して顔写真と声を楽しむスナポラツの間抜けぶりと、まるでスペクター『007シリーズ』ね)のアジトのような広い地下室一杯に女たちのパネルが飾られた空間のナンセンスな面白味。

なんとその部屋にはスナポラツの妻エレナ(アンナ・プリュクナル)もおり、混沌としていく中、カッツォーネ博士の一万人斬りの記念パーティが開催される。

宴席は大いに盛り上がるが、かねてより博士が恐れていた女性警察が邸内に入り込み豪邸の破壊を命じ、別れの歌とともに博士は死ぬ。

一人になったスナポラツをドナテッラたち踊り子たちが手厚くもてなし、「50歳だがまだ現役だ」と熱い夜に期待を膨らませるが、気づけばベッドの横には妻エレナ。

ベッドの下を覗くと地下に向かう滑り台。その先の暗がりにはイルミネーションに囲まれた巨大空間があり、まるでディズニーのアトラクションのよう。

そこで彼は、幼少期から興味を抱いた女性たちとの思い出を振り返ることになる。女中、魚屋の店主、温泉看護師、女性ライダー等など。

だが、滑り台の終点は牢獄になっており、スナポラツは判決を受け、リングに上がり女性レスラーと戦う羽目になる。

もう、博士のパーティ以降の展開は、完全に現実離れした妄想の世界である(もっと前からか)。

映画の終盤には、美しき娘ドナテッロの形をした気球に乗って、スナポラツが宙ヘと浮かび上がる。この気球は巨大化した綾波レイ『エヴァ』ね)を思わせる。だが地上からの発砲で気球は破裂し、そこで彼は汽車の中で目を覚ます。

初めのシーンから半ば気づいていた夢落ちなので、落胆はない。中国の新鋭ビー・ガン監督の佳作『凱里ブルース』(2020)も、列車がトンネルに入るところからの夢落ち映画だったが、本作に着想を得たのかも。

目覚めたスナポラツの向かいには妻エレナ、横には見知らぬ乗客として列車の女やドナテッロが座っている。もう女は懲り懲りか、スナポラツ? いや、そんなはずがない。