フェリーニの『道』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『道』今更レビュー|フェリーニ生誕100年勝手に後夜祭①

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『道』
  La Strada

2020年はフェリーニ生誕100年! 代表作の一つである本作を今更ながらのレビュー。ニーノ・ロータの抒情的なメロディに浸りつつ、時代を超えても色褪せない映画の真髄を感じ取ろう。

公開:1954 年  時間:104分  
製作国:イタリア
  

スタッフ 
監督:     フェデリコ・フェリーニ
音楽:         ニーノ・ロータ

キャスト
ザンパノ:     アンソニー・クイン
ジェルソミーナ: 
        ジュリエッタ・マシーナ
イル・マット: 
       リチャード・ベイスハート

勝手に評点:4.0
(オススメ!)

あらすじ

貧しい家庭に生まれ育った知的障害の女性ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)は力自慢の大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)に買われ、彼の助手として旅回りに出る。

粗暴で女好きなザンパノに嫌気が差したジェルソミーナは彼のもとから逃げ出すが、捕まって連れ戻されてしまう。

そんなある日、二人はサーカス団と合流することになり、ジェルソミーナは綱渡りの陽気な青年(リチャード・ベイスハート)と親しくなる。

青年の言葉に励まされ、ザンパノのもとで生きていくことを決意するジェルソミーナだったが。

今更レビュー(ネタバレあり)

ハイ、またお会いしましたね。

言わずと知れたフェデリコ・フェリーニの代表作であり、アカデミー賞で外国語映画賞を受賞。

こんな古典的名作を今更レビューするのも妙な話ではあるが、昨年、フェリーニ生誕100年の映画祭が日本でも開かれたこともあり、懐かしく鑑賞してみた。

DVDで観ると、なぜか淀川長治の解説からスタートし、すっかり日曜洋画劇場気分に浸れる。

何でも本作は戦後イタリアから輸入した最初の作品だという。淀川先生が、「キ印は神なんですネ」というので、誰のことかと思ったが、役名のない綱渡り芸人(イル・マット)のことだった。

フェリーニ版・旅芸人の記録

安い金で買い叩かれて、死んだ姉ローザの代わりにザンパノと共に旅芸人として行脚することになるジェルソミーナ。

新しい生活に新鮮味を感じたのもつかの間、胸の筋肉で鎖を引きちぎる荒っぽい大道芸のザンパノは芸風同様に彼女への接し方も粗野で、女にもだらしないこの男との生活から逃げ出したいと思うようになる。

やがて、ザンパノとジェルソミーナがサーカスの一座に加わるようになり、そこでイル・マット(狂人)と呼ばれる綱渡りの芸人の男と知り合う。

この男のおかげで、ジェルソミーナはザンパノから逃げ出す機会を得るのだが、それでも結局彼女はザンパノとの暮らしを選ぶ。

シンプルなストーリーだ。主要な登場人物といったら、この三人だけといってもいい。だが、なぜこの作品は時代を超えて、多くの人々に愛され、高く評価されているのだろう。

時代を超えても色褪せないもの

私ははじめ、60年以上も前に撮られた本作を改めてこの時代に観たところで、何か心に訴えるものがあるか、不安だった。

というのは、例えば『市民ケーン』、或いは『第三の男』といった往年の傑作でも、今観てみると、期待ほどではないということが多いからである(まあ、個人的な感想です)。

サスペンスやエンタメ路線の作品は、時代とともにプロットや技術が格段に進歩し、それに慣れてしまった目には、名作といえども、古典は古典にしか見えないということではないか。

だが、本作のような心情をとらえたドラマ、そして抒情的なニーノ・ロータメロディは、時代とともに褪色することがないのだ、きっと。

だから、モノクロスタンダードサイズの画面など意識することもなく、ネオリアリズムの世界に引き込まれてしまうのではないかと思う。

ジェルソミーナとザンパノ

何といっても、フェデリコ・フェリーニのミューズであり私生活の伴侶でもあるジュリエッタ・マシーナの圧倒的な存在感。

年齢不詳でショートカットにピエロのような風貌。悲しく沈んだ顔のあとに、時おり見せる天真爛漫な笑顔。

淀川先生も、ちょっと頭の悪い女の子と言っていたか、知的障害という予備知識でついジェルソミーナを色眼鏡で見てしまうが、作品のなかで具体的な言及はあまりない。

確かにすこし妙な言動はあるが、ザンパノの方言を聞き分けたり、明日の天気が分かったり、或いはすぐに子供と打ち解けたり、彼女ならではの特異な才能もいろいろ窺える。

知的障害の取り扱いと同様に、アンソニー・クイン扮するザンパノという荒くれ男のパワハラ・セクハラぶりも相当古典的(時代を考えれば無理もないが)。

つらくあたられても、ザンパノを愛おしく思う気持ちと愛想をつかして逃げたい気持ちが、ジェルソミーナの中で揺れ動き、その複雑な心模様が作品に深みを与える。

ところで、本作を不朽の名作にした、あの美しいニーノ・ロータのメロディを彼女が最初に口ずさむシーンで、「ザンパノ、この曲を覚えてる? 雨の日に聴いた曲よ」とジェルソミーナがいう。

となれば、少し前に焚火の前で舞う彼女が「明後日は雨だわ」と予想した通り、雨が降った日に二人で曲を聴くシーンが本来はあったのではないか。この部分の編集には、今更ながらちょっと違和感を覚えた。

(c) BETA FILMS ALL RIGHTS RESEREVED

天使の羽根を持つ男

さて、サーカスの一座に加わったザンパノを昔から知る、綱渡り芸の男イル・マット(リチャード・ベイスハート)

彼をからかうわ、ステージの邪魔はするわで、犬猿の仲なのだが、なぜかジェルソミーナとは親しくなり、なかなか上達しなかったラッパも、イル・マットのおかげで上達していく。

何より、彼はザンパノと違い、彼女のラッパを褒めてくれる。彼女は承認欲求が強い訳ではないが、料理も下手で何のとりえもない自分はどうしたらいいか悩んでいて、イル・マットはそこに救いの手を差し伸べてくれたのだ。

イル・マットの挑発にのったザンパノが一晩警察に拘置され、サーカスの一座は彼を置いて次の町に向かう。一緒に来てはと誘われたジェルソミーナには、ザンパノから逃げ出すチャンスだった。

その晩に、彼女のもとにイル・マットが訪れる。天敵のザンパノも退治し、言葉巧みに彼女に言い寄るのかと思っていたら、予想外の展開となる。

「お前みたいな何もできないアザミ顔の女を追い出さずにいるなんて、ザンパノはお前に惚れてるんじゃないか?
犬みたいに吠えることしかできない、可哀想なやつなんだ。お前以外に誰がそばにいられる

更には、
小石にだって何だって、この世のものは何かの役に立ってる。お前もブスだけど、何かの役に立ってるんだ」
確か、こんなようなことを言っていた。

よく考えれば、相当失礼で強引な台詞回しだが、ジェルソミーナはこれで、ザンパノを独りにしてはいけないと、元気を取り戻すのだ。

ザンパノと一握の砂

イル・マットは彼女をザンパノのいる警察まで送り届け、最後に自分のネックレスまで餞別代わりにプレゼントしてくれる。天使の羽根も付けてたし、これは淀川先生の言う通り、神さまなのかもしれない。

「小石でも役立つなら、一緒に暮らしてもいいわ。少しは私を好き?」

再び二人の生活が始まり、ジェルソミーナはザンパノに心を開くが、彼の方はどうにも塩対応で、修道院で盗みを働かせたり、彼女の気持ちに応えない。

それどころか、路上で偶然再会した神さまイル・マットを、あろうことか殴り殺してしまうのだ(死ぬということは神ではないのかも)。

イル・マットを慕っていたジェルソミーナにとって、これは衝撃的だった。彼女はすっかり心を病んでしまい、生活の邪魔になったザンパノは、寝ている彼女を置き去りにしてしまう。

小石の精神でザンパノの役に立てばと、寄りを戻した彼女だったが、結局報われることなどなく、つらい出来事だけが続いた。

そして数年後、ザンパノは、よく彼女がラッパで吹いていたあのメロディを口ずさむ女性に出会う。訊けば、その曲を教えてくれた娘は病死した、と知らされるのである。

ここで、ようやくザンパノは、自分が失ってしまったものの大きさと尊さに気づき、悲嘆にくれて砂浜でもがき苦しむのだ。

なんともビターなエンディング。この男に心情を何一つ語らせないで、ただただ砂を握らせるところが、本作の奥ゆかしいところである。

TV版吹き替えは、ザンパノに小松方正、ジェルソミーナに市原悦子、イル・マットに愛川欽也。聞かなくても、吹き替えがしっくりと馴染んだ会話が、ありありと想像できる。

それにしても、ジェルソミーナって、一度聞いたら忘れられない、この作品にピッタリの名前だなあ。